悪役令嬢が革命に沈むまで
「ふん、下賤な者どもが何を騒いでいるのかしら」
私、エリザベート・フォン・ヴァルトハイムは、バルコニーから城下を見下ろしながら鼻を鳴らした。民衆たちが広場に集まって何やら叫んでいる。
まるで蟻の群れのよう。
「令嬢様、民が蜂起しております。税の重さと食糧不足に耐えかねたようで……」
執事のセバスチャンが青ざめた顔で報告してきた。
「それがどうしたというの? 私たち貴族が優雅に暮らすために、平民が働くのは当然でしょう? パパに言って兵を差し向ければいいわ」
私は優雅に紅茶を口に運ぶ。この国で最も権力のある公爵家の令嬢である私に、平民ごときが逆らえるはずがない。
つい先週も、街で私の馬車の前を横切った少年を鞭で打たせたばかりだ。「令嬢様の前を汚らわしい」と。少年は泣き叫んでいたが、私は笑いながら見ていた。母親が許しを乞うて土下座しても、私は気分が晴れるまで鞭打ちを続けさせた。
それから三日前、パン屋の老人が「もう税を払えません」と泣きついてきた。「では店を差し押さえるわ。あなたは路頭に迷いなさい」と私は言い放った。老人は絶望の表情を浮かべていたが、それが何だというのだろう。払えないなら消えればいい。簡単な話だ。
そういえば一ヶ月前、村の娘が婚約者と結婚式を挙げようとしていたのを思い出す。
その婚約者が私好みのイケメンだったものだから、私は領主権限で彼を召し上げた。娘は泣いて懇願したが、「あら、平民の分際で私と競おうなんて百年早いわよ」と一蹴した。その後、婚約者は私に三日間弄ばれた後、「飽きたわ」と追い出された。彼は廃人同然になり、娘は悲しみのあまり川に身を投げたと聞いた。でも、それも平民の勝手な行動。私のせいではない。
最も痛快だったのは、半年前の冬だ。凶作で食糧が足りなくなったとき、私は領民への配給を全てストップさせて、代わりに城の倉庫に蓄えた。「万が一のときのため」という名目だったが、実際は私の気まぐれだ。民は飢えていたが、私は毎晩豪華な宴会を開いた。パンが食べられないなら、ケーキを食べればいいのに。本当に愚かな人々だわ。
その冬、村で十人以上が餓死したと報告があったとき、私は「ふーん」と言って、新しいドレスのカタログをめくっていた。死んだのは老人と子供ばかりだったらしい。働けない者から消えていく。自然の摂理というものだろう。
だが、セバスチャンの表情はさらに曇った。
「それが……公爵様は既に民衆に捕らえられ、屋敷も包囲されております」
「なんですって!?」
紅茶カップが手から滑り落ち、床で砕け散った。窓の外を見ると、確かに松明を持った民衆が屋敷を取り囲んでいる。数百人、いや千人以上はいるだろうか。
「エリザベート・フォン・ヴァルトハイムを引き渡せ!」
「悪政を敷いた令嬢に裁きを!」
「俺の息子を鞭で打った罪を償わせろ!」
「娘を殺した悪魔め!
怒号が響き渡る。
私の心臓が早鐘を打ち始めた。
ああ、あの連中か。覚えているわけないのに。
「ば、馬鹿な……この私が、この私が平民なんかに……!」
逃げようとしたが、既に屋敷の入り口は破られていた。民衆が雪崩れ込んでくる音が聞こえる。使用人たちは既に逃げ出したか、民衆側についたのだろう。誰も私を守ろうとしない。日頃から鞭で脅して働かせていたから、当然か。
部屋の扉が蹴破られた――――
「見つけたぞ、悪役令嬢を!」
粗末な服を着た男たちが部屋になだれ込んでくる。その中に、あの鞭打った少年の母親がいた。憎悪に満ちた目で私を睨んでいる。
「ま、待ちなさい! 私はヴァルトハイム公爵家の令嬢よ! あなたたちなんかに触れる権利は……!」
「権利だと? 俺たちから搾り取るばかりで、何が権利だ!」
「うちの子供は飢えて死んだんだ! お前が贅沢するために!」
「娘は川に身を投げた! お前が婚約者を奪ったせいで!」
「息子の背中には、お前がつけた鞭の傷がまだ残っている!」
次々と叫ぶ声。
ああ、全部私がやったことだ。でも、それがなぜ今になって……。
「この国から貴族という害虫を駆除する!」
私は壁際まで追い詰められた。逃げ場はない。
「い、いやぁぁぁ!!」
民衆の手が私に伸びてくる。
これまでの優雅な生活が走馬灯のように頭を駆け巡った。毎日の舞踏会、高級な宝石、贅沢な食事。そして、私が踏みにじってきた人々の顔。
「お願い、許して……! 税を下げるわ、食糧も配るわ! だから、だから……!」
命乞いをする自分が信じられなかった。でも、死にたくない。
こんな形で終わりたくない!!!
「遅せぇよ! もう遅いんだよ!」
民衆の怒りの手が私を捕らえた。
引きずり出される。
華やかなドレスは引き裂かれ、宝石は奪われていく。あの少年の母親が私の髪を掴んで引っ張った。痛い。今まで他人に痛みを与えてきたのに、自分が痛みを感じるなんて。
「広場へ連れて行け! 魔女裁判にかけるんだ!」
私は広場まで引きずられていった。そこには臨時の処刑台が設けられていた。なんてこと。本気で私を処刑するつもりなのだ。
「エリザベート・フォン・ヴァルトハイム! お前は民から搾取し、苦しめ、何人もの命を奪った!
お前は魔女だ! なによりも、お前のその罪、万死に値する!」
民衆の代表らしき男が叫ぶ。周りから歓声が上がる。
「待って、待ってください! 私はまだ十七歳なの! これからやり直すわ! 善政を敷くから!」
「それを五年前に言ってほしかったな。お前が十二歳のときから、もう人を人とも思わない悪魔だった」
男は冷たく言い放った。
確かに、私は十二歳のときから領地経営に口を出していた。面白半分で税を上げたり、気に入らない者を追放したり。それが今日まで続いた結果が、これ。
処刑台に引きずり上げられる。
目の前には首を切り落とすためのギロチンが据えられている。
「やめて、やめてぇぇ!!」
泣き叫んでも誰も助けてくれない。当たり前だ。私はこれまで誰の涙にも耳を貸さなかった。助けを求める声を嘲笑ってきた。鞭で打たれて泣く少年を笑い、飢える老人を無視し、婚約者を奪われて泣く娘を嘲った。
「これより、悪役令嬢エリザベート・フォン・ヴァルトハイムの処刑を執行する!」
首に冷たい刃が当てられる。
ああ、こんなはずじゃなかった。
私の人生はこれからだったのに。
バラ色の未来が待っているはずだったのに。
なぜ、なぜ平民ごときに。
でも、もう遅い。積み重ねた悪行が、今になって私を飲み込もうとしている。
「これが、お前の因果応報だ」
最後に聞こえたのは、民衆の歓声だった。あの鞭打った少年も、奪われた婚約者も、飢えた老人の家族も、みんな歓声を上げている。
そして、私の世界は暗転した。
後日、この国では貴族制度が廃止され、新しい政治体制が始まったという。
エリザベート・フォン・ヴァルトハイムという名前は、暴政の象徴として歴史に刻まれることになった。
誰も彼女のために涙を流す者はいなかった。
彼女が流させた涙は、数え切れないほどあったというのに。
他にも色んな作品を書いてますので気になる方はぜひ読んでみてください!




