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3.ピンクの呪縛

音楽室の空気は重く、埃っぽい。

ナユ、ミホ、山田先生、サキ先輩、そしてイチコが行方不明になって1週間。吹奏楽部は事実上の活動停止だ。

なのに、アルトサックスのレナとテナーサックスのカナデは、なぜか音楽室に引き寄せられる。


トランペットのイチコが消えた日から、2人の楽器ケースからピンク色の光が漏れ、夜中にガタガタと揺れる。レナは眠れず、カナデは悪夢にうなされる。あのピンク色の物体が、2人を離さない。


「もう…逃げられないのかな」

カナデが震える声で言う。レナは黙って頷く。

2人は昨日、倉庫で1995年の日誌を見つけた。古いトロンボーンが呪いの発端と書かれていたが、なぜ、どのように呪いが始まったのかは不明だった。


「もっと知らないと…私たちも消えるかもしれない……」


レナが呟く。ふたりは顔を見合わせ、黙りこくる。

しばらくそうやってすごしていたが、意を決したカナデが提案した。


「OBに聞くしかない。1995年の部員、誰か生きてるはず」


2人は学校の卒業アルバムを頼りに、1995年の吹奏楽部員を探した。


1人の名前が浮かんだ――ユキエ、元クラリネット奏者。当時3年生で、日誌に名前が何度も登場していた。昔の卒業アルバムは、個人情報がゆるく、ありがたいことに行方を知ることができた。実家の洋食店は今も営業しており、老夫婦に尋ねるとすぐに現在の住所を教えてくれた。


ユキエは町外れのアパートに住んでいた。40代後半の彼女は、2人が吹奏楽部だと知ると顔をこわばらせた。


「……何を、知りたいの?」


彼女の声は低く、部屋には楽器の影すらない。

レナが勇気を振り絞る。


「ピンク色の物体…知ってますよね? 1995年の日誌に、あなたの名前が」


ユキエの目が鋭くなる。

長い沈黙の後、彼女は話し始めた。


「―――あれは…私たちが呼んだものよ」


1995年、吹奏楽部はコンクールで全国を目指していた。だが、練習は厳しく、部員間の不和が深まった。

ある日、顧問が倉庫から古いトロンボーンを持ち出した。戦前の楽器で、元の持ち主は不明だった。


"これを吹けば、音色が特別になる"と顧問は言った。


ユキエを含む3人が試しに吹いた。

音は確かに美しかったが、翌日から異変が起きた。トロンボーンのマウスピースにピンク色の粘液が現れ、触れた部員が次々に行方不明になった。


「あれは、楽器に宿る何か……人の執念みたいなものよ」


ユキエは続ける。もう楽器はしていないと言うその指は、ガサガサに荒れていた。


「トロンボーンの持ち主は、戦時中に音楽を禁じられた奏者だったって噂があった。彼女は自分の音楽を残すため、楽器に魂を縛りつけた。ピンクの物体は、その怨念の欠片なの」

「怨念の、欠片――」


「それは―――どうやって止めるんですか?」


カナデが叫ぶ。ユキエは首を振る。


「止まらない。楽器を捨てても、燃やしても、別の楽器に移る。あのトロンボーンを吹いた私たちは、呪いを広げた。新しい奏者が楽器を手にすれば、呪いは続く。あなたたちの部活にも、誰かがあのトロンボーンを使ったのよ」


レナとカナデは顔を見合わせた。ナユだ。彼女は学期初め、倉庫で「カッコいいトロンボーン」を見つけたと言っていた。

その日から、彼女の音色は不思議な魅力を持っていた。そして、ピンクの物体が現れ始めた。



音楽室に戻った2人は、ナユのトロンボーンケースを開けた。ピンク色の物体が、管の奥で脈打っている。大きさはバレーボールほどに成長し、表面は血管のようにうねる。


「これ……ナユのせいじゃないよね?」


カナデが泣きながら言う。

レナは黙ってケースを閉じた。隣に並んでいる、イチコ、レナ、カナデの楽器ケースに目をやって、ため息をつく。


「私たちの楽器にも…もう、いる」


ユキエの言葉が頭を離れない。呪いは奏者の執念を喰らう。

音楽への情熱、仲間への嫉妬、コンクールへのプレッシャー――それらが物体を育て、宿主を奪う。消えた部員たちは、物体に「飲み込まれた」のだ。

レナは自分のアルトサックスを見つめる。リードに、ピンクの小さな塊がこびりついている。カナデのテナーサックスも同じだ。


「楽器、捨てよう」

「でも、ユキエさんが言ったじゃん。捨てても、別の楽器に移るって。次は……他の部員の楽器かもしれない」

「じゃあ、音楽をやめる…それしかないの?」


カナデの声は震える。コンクールへの情熱、仲間との思い出、3年間の練習――すべてを捨てるなんて、想像もできない。


「でも、ユキエさんが言ったよね。『本当に逃れられたか、誰も知らない』って」

「何か…他に方法があるはず」

「もう一度、あの日誌を読み返してみよう」


2人は1995年の日誌をもう一度読み返した。

そこには、呪いから逃れた部員、ミサトの記述があった。


「ミサトはトロンボーンを吹くのをやめ、楽器を土に埋めた。ピンクの物体は彼女を追わなかった。でも、彼女は言った。『夜、土の中から音が聞こえる』」

「土に……埋める?」


カナデが顔を上げる。


「それ、試してみる?」

「それだけじゃダメだよ。ミサトは逃れたけど、呪いは消えてない。ナユたちが消えたのは、呪いがまだ生きてるから」


2人は倉庫へ向かった。

古いトロンボーン――呪いの発端――が埃をかぶっている。マウスピースにピンクの粘液が脈打つ。レナが思いついた。


「このトロンボーンを…壊せば、呪いが弱まるかもしれない」


2人は夜、校庭の裏にトロンボーンを持ち出した。ハンマーを手に、レナが叩く。

金属が軋み、管がひしゃげる。ピンクの物体が溢れ出し、地面を這う。


カナデが叫びながらスコップで土をかぶせる。物体はうねり、ピチピチと跳ねるが、土に埋もれると動きが鈍った。


「効いてる……かも!」


カナデが息を切らす。

だが、トロンボーンの破片から、ピンクの光が漏れ続ける。2人は自分の楽器ケースを見る。レナのサックス、カナデのテナーサックス――どちらも、ピンクの塊がまだ蠢いている。


「いや……ダメかも……」


レナが呟く。呪いは弱まったかもしれないが、消えていない。土の中から、低い音が響く。トロンボーンの音色のような、怨念の唸り。


「音楽をやめるしかないのかな」


カナデが泣きながら言う。レナはサックスを握りしめる。


「でも…私、吹きたい。ナユたちと、また演奏したい」


その瞬間、彼女のサックスからピンクの粘液が溢れ、手を這う。レナは叫び、楽器を投げ捨てるが、粘液は腕に絡みつく。


「レナ…!」

「カナデ、逃げ……て……」

「だけど……」

「急いで……っ!!!」


カナデは走り出した。振り返らずに。


翌朝、カナデは一人で音楽室にいた。

レナも消えた。彼女のサックスケースは空で、ピンクの塊だけが床に転がる。カナデは自分のテナーサックスを見つめる。リードに、ピンクの光が揺れている。


「音楽をやめれば…逃げられる?」


カナデは呟くが、ケースを手に取ってしまう。

コンクールの楽譜が頭をよぎる。ナユの笑顔、イチコのトランペット、レナのサックス。音を捨てるなんて、できない。


校庭の土の中から、トロンボーンの音が響く。ピンクの影が音楽室の窓を這う。カナデはサックスを構え、震える息で吹き始める。音は美しく、だが、管の奥からピンクの物体が這い出す。彼女は目を閉じ、演奏を続ける。


音楽室はピンクの光に満たされ、誰もいなくなる。







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