第二部エピローグ
パーティ会場の最も奥まったところに、王族たちが集まる一画があった。
会場を見下ろすように数段高くなったその場所には、ソファや様々な料理が置かれたテーブルが置かれ、背後の壁面にはフィロマ王国の紋章が大きく施されたタペストリーが掛けられている。
そこで王家の者たちは思い思いに寛ぎながら、ときおり挨拶にやって来る臣下の者たちに応対していた。
「フィオナ!」
王太后マリアに連れられてやって来たフィオナにいち早く気が付いたウィルソンが、歓喜の声を上げてソファから立ち上がった。
その様子に、まるで人懐こい大きな犬が尻尾を振って喜んでいるような姿を想像してしまい、フィオナは思わずクスリと笑みを零す。
それで彼女の緊張も少しだけ解れたようだ。
そんな二人に微笑ましげな視線を向けるマリアとレフィーナ、そして国王夫妻。
しかし、ただ一人だけ……ウィルソンの妹、リリーナは不機嫌そうな目をフィオナに向けていた。
「ようこそフィオナさん。レフィーナもよく来たわね。……すみませんお義母さま、わざわざ迎えに行っていただいて」
王妃エリーセがフィオナやレフィーナに歓迎の言葉をかけたあと、少し申し訳なさそうにマリアに言うと、彼女は少し苦笑を交えながら答えた。
「いいのよ、私が招待したのだから。それに、さっそく絡まれそうになってたし……私が行って良かったわ」
先ほどのユリアとのやり取りのことだろう。
この場に集まったのは、比較的気心の知れた者たちが多いが……そうであるが故に、かえってフィオナが悪目立ちする事をマリアは懸念していた。
自分が招待したのだから、ちゃんとフォローしなければ……という事だ。
しかし……
(……でも、マリア様が直接会いに来たものだから、余計目立ってたような)
……と、心遣いはありがたく思うものの、フィオナは複雑な気分であった。
「さあフィオナさん、座ってちょうだい。美味しい料理もたくさんあるから、遠慮しないでどんどん食べてね」
「は、はい……」
王太后からそう言われれば、フィオナは断ることなど出来るはずもなく、恐る恐るといった感じでソファに座る。
当然ながらウィルソンの隣に……と思いきや、二人の間にリリーナが移動してきた。
「ん?リリィ?どうしたんだ?」
「えっと……?」
ぐいっと無理やり割って入ってきた少女に、ウィルソンは不思議そうに聞き、フィオナは困惑の声を上げる。
そんな二人をよそに、当のリリーナはすまし顔でジュースの入ったグラスを傾けていた。
「あらあら……ウィルはまず、リリィを説得しないといけないようね」
思いがけない孫娘の様子に、マリアはクスクス笑いながら言う。
国王夫妻も柔らかな笑みを浮かべているが、小さな女の子にそんな態度を取られたフィオナは心穏やかではない。
(前もそうだったけど……何でこんなに嫌われてるんだろ……王子との仲は誤解なんだけどなぁ……)
出来れば誤解を解きたいと思うものの、この場でそれを言うのも憚れる。
学院長の話では、フィオナとウィルソンが婚約者と言うのは方便である事をマリアは認識してるとの事だったが……本人から直接聞いたわけではない。
結局そのまま王家の人々との歓談となる。
……何れにしても、適当に挨拶を済ませて適当に料理を食べて、さっさと引き上げると言う彼女の目論見は初っ端から頓挫する事になったのである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ほら、こっちも美味しいぞ、フィオナ」
「じ、自分で取れます!」
給仕が運んでテーブルに置いていく料理の数々をウィルソンが取り分けてやると、フィオナは顔を赤くして言う。
終始、小さな子供にするように甲斐甲斐しく世話を焼いてくるものだから、周りの視線が気になるのだ。
実際にそのやり取りは、王族に挨拶にやってきた者たちの目にとまり噂が広がっていくことになるのだが……
(うぅ、王子め……やっぱり外堀から埋めてくつもりだな……!)
などとフィオナは内心で怨嗟の声を上げるものの、ウィルソンにそのような打算は無いことは分かっているので強く拒否することもできない。
お人好しであるが故に、少しずつ後戻りできない状況に追い込まれていた。
そんなふうにしてフィオナはその場から抜け出すことも出来ず、王家の人々と歓談しながら食事をしていたのだが……
状況が動いたのは、それから暫く経ったときのこと。
フィオナたちが来場した際に声をかけてきた人物、ユリアが再び現れたのだ。
「国王陛下、ならびに皆様方にご挨拶を申し上げます。マリア様、先ほどは申し遅れましたが……此度はご病気が快癒されたこと、臣下としてお慶び申し上げます」
洗練された優雅な所作で彼女は挨拶の口上を述べる。
「ありがとう。そう言えば……今日はご両親は一緒ではないのかしら?」
「はい。領政が立て込んでいるようでして……私が名代としてお伺いしました。父と母がよろしく伝えてくれ……と」
そう言いながら、ユリアの視線がフィオナを捉える。
先ほどのやり取りを思い出したフィオナは何となく気不味くなり、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべて会釈した。
だが、ユリアの視線が合ったのはほんの一瞬のことで、彼女はリリーナを挟んで隣に座っていたウィルソンに向き直って話しかけた。
「ウィルソン様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ、よく来てくれた。今日はどうか楽しんでいってほしい」
彼女はフィオナに向けるのとはまるで違う柔らかな笑みを浮かべ、ウィルソンも笑顔で応じた。
そしてユリアは、ほんの一瞬だけフィオナを横目で見たあと続けて言う。
「ところで……例の件、お考えいただけましたでしょうか?」
そう聞かれたウィルソンは笑顔から一転して困ったような顔になり、慎重に言葉を選びながら返す。
「その件は既に正式に断っていると思うが……お父上から聞いていないだろうか?」
その応えを聞いたユリアは、むしろ笑みを深くして言う。
「ええ、それはお伺いしております。ですので本日はその真意をお聞きしようと思ったのですが……。もしかして、そちらのフィオナさんのこと……遊びではなく、本気でいらっしゃるのでしょうか?」
「ふぇ……?」
なんの話をしているのか分からず、ただぼんやりと成り行きを見ていただけのフィオナだったが、突然自分名前が出てきて思わず間の抜けた声が漏れる。
だが彼女の困惑をよそに話は進んでいく。
問われたウィルソンは真面目な表情になってはっきりと応える。
「無論だ。私は遊びで女性を口説くような真似はしない」
その言葉でようやく、フィオナも何の話をしていたのかを察する。
要するにユリアは……ネヴァグ家は、ウィルソンとの婚約話を打診していたということだろう。
先のレフィーナとのやり取りや、これまでの話の流れから察するに、彼女はかなり高位の貴族家であるのだろうとフィオナは理解した。
と同時に、そんな人物を差し置いて……と、何だか居た堪れない気持ちになった。
「……それはウィリアム様やエリーセ様、マリア様もご承知のことなのですか?」
ユリアは顔を曇らせ、今度は国王夫妻や王太后に話を振る。
この場でウィルソンがはっきり言った以上、彼の家族達も承知しているのだろうとは彼女も理解しているだろうが……
代表して応えたのはウィリアムだ。
「我々はあくまでも当人たちの意思を尊重するだけだよ。あまりにも相応しくないと判断すれば口を出すこともあるかもしれないがね。しかし、今のところフィオナさんはそうではない。……まあ、正式に決まっているというわけでもないが」
最後の一言は、フィオナの意志を尊重してのものだろう。
息子はその気とは言え、もともとフィオナはフリをしてもらってるだけなのを知っているから。
しかしユリアにしてみれば『正式に決まってはいない』という言葉は重要だ。
再び笑みを浮かべた彼女は、フィオナを一瞥しながら畳み掛けるように口早に言う。
「彼女の意志はどうなのです?見たところ……ただ権力者に言われるがまま流されてるだけのようにも見えましたが?マリア様もかなり大変だったと聞きますし……同じ苦労を彼女に強いるのですか?」
それにはウィルソンも彼の家族たちも言葉に詰まる。
無理強いしてるつもりは無かったが、確かにユリアが言う事も一理あると思ったから。
そしてユリアは、フィオナがあまり乗り気ではない事をそれまでの短いやり取りだけで見抜いていた。
「あなたも迷惑してるんじゃなくて?この際ですからハッキリ仰った方が身のためですよ?」
「ユリア様、それは少々差し出がましいのではないですか?」
「貴女には聞いておりませんわ。……フィオナさん、どうなのです?」
たまらず口を挟んだレフィーナも軽くあしらい、有無を言わさぬ雰囲気でユリアは直接本人に問い質した。
フィオナにその場の視線が集まる。
彼女は困り顔になって何と答えようかと考えるが……
(う〜ん……何だか面倒な話になってるよ……。まあ確かにこの人の言う通り、成り行きでここに居るのは間違いないんだけどさ。……でも、それを素直に言うのは何だか癪な気がする)
意外と負けず嫌いなフィオナである。
確かに今世では目立ちたくないと言う気持ちがあるが……ウィルソンの事は何だかんだで嫌いではないのも、また事実だ。
それが恋愛感情なのかは今は置いておくが、彼と彼の家族に自分が『迷惑している』とは思われたくなかった。
そしてフィオナが意を決してユリアに答えようとしたとき……パーティ会場に流れていた楽曲が、それまでとは異なった雰囲気となる。
それを機に、広くスペースが開けられた会場の中央に何組もの男女が進み出てダンスを始め、にわかに活気づきはじめた。
「あら……丁度よい機会です。ウィルソン様、フィオナさんを婚約者に……とお考えならば、ダンスの一つも披露なさっては如何です?」
挑発的な笑みを浮かべてユリアは言う。
彼女の認識ではただの平民であるフィオナならば、きっと困り果てると思っているのかもしれない。
「あなたは見目は優れていらっしゃるようですが、それだけで王太子殿下の婚約者は務まりません。知識、教養、品格……様々なものが求められるのです。ダンスもその一つですわよ?」
それもまた、正論だろう。
そしてそれは言外に『あなたは相応しくない、私こそが相応しい』と、主張しているのだ。
ウィルソンは、どうやってその場をおさめようか……と悩む。
そして、ふとフィオナの方を見ると、彼女も丁度ウィルソンの方を向いたところだった。
交差する互いの視線、戸惑いが浮かぶ表情……
しかしそれもほんの一瞬のことだった。
フィオナはにっこりと微笑む。
そしてそれを見たウィルソンは何かを感じ取り、立ち上がって彼女に手を差し出した。
「では、せっかくだから踊ろうか」
「ええ。いいですよ」
ごく自然にウィルソンの手を取って立ち上がるフィオナ。
そしてそのまま二人は軽やかな足取りでダンス会場に躍り出ていった。
予想外の二人の行動に驚くユリアはそれを止めることも出来ず、ただ見送ることしか出来なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ダンス会場に現れた若き王太子と、彼が手を引いた謎の美少女に周囲の視線が集まる。
注目を浴びる中、楽団が奏でる楽曲に合わせて二人は軽やかに踊りはじめた。
ウィルソンのリードに合わせ、見事なステップで踊るフィオナ。
その動きは誰の目から見ても違和感なく……いや、それどころか他の誰よりも洗練された動きに見えた。
これにはウィルソンも驚いて、周りに聞こえないように囁き声で聞く。
「随分と上手いではないか」
「こう見えても、運動神経には自信がありますよ」
「知ってる。何と言っても竜と互角だからな。しかし……女性パートなんて、一体何処で……?」
フィオナがダンスを踊れること自体についは、彼もそれほど不思議とは思わない。
当人が言った通り、優れた運動神経と前世の経験があればこそ……と。
しかし、アレシウスは男だったはずなので、女性パートが踊れるのは一体どういう理由なのか……そこが疑問だった。
今世は平民のフィオナが、これまでダンスを嗜む機会があったとも思えない。
フィオナは苦笑しながら答える。
「男女どっちも踊れます。弟子たちが社交界に出る時に、練習に付き合うために覚えたんです」
「あぁ……そう言えば、前にうちに来た時の挨拶も……」
はじめてウィルソンの家族と対面来たとき、彼女が古めかしくも美しい所作の挨拶をしていたことを彼は思い出した。
あれも本来は女性の作法だったので、その練習とやらの賜物だったのだろう……と。
「面倒見が良いのだな」
「親代わりみたいなものでしたから」
過去を懐かしむような、少し寂しげな顔でフィオナは言う。
そんな会話を交えながらも二人のダンスは流麗で、見るものを魅了する。
だが、軽快なその動きとは裏腹に、ウィルソンは先ほどのユリアの言葉を思い出し顔を曇らせていた。
「……フィオナは、迷惑しているのか?」
いつも自信にあふれる彼が見せる弱気な表情。
しかしフィオナはそれを笑い飛ばした。
「ふふっ……今さら何を言ってるんですか。私が何を言おうとお構い無しだった人が。……まあ、正直言って最初は迷惑してましたけど?」
「うっ……そうだったのか……」
「でも今は……こうして王子と踊るのは、イヤじゃないです」
フィオナは、柔らかな笑みを浮かべて言う。
偽りのない、心からの言葉を。
言ってから照れたのか、少し顔が赤くなってる。
しかし、すぐに今度はいたずらっぽい表情になって続けた。
「それに、言われっぱなしも癪ですからね」
「……ははっ!確かにな!」
彼女の痛快な言葉に、ウィルソンは破顔して同意するのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……見事なものね。どうかしら、フィオナさんは?」
ウィルソンとフィオナの華麗なダンスに対してマリアは称賛の言葉を送り、それからユリアに水を向けた。
無言で二人を見つめていた彼女は、感情を押し殺すような声で返す。
「……確かに、今回は引き下がるしかないようですね。ですが、ダンス一つで測れるものでもないでしょう」
あくまでも、彼女は身分による立場の違いに拘っているようだ。
マリアは思わず苦笑しながら続ける。
「貴女の言うことが間違っているとは言わないわ。でも……あなたはウィルに恋しているのかしら?」
「恋とか愛とか……王族や高位貴族ともなれば、そんな己の感情よりも優先すべきことがございますでしょう?」
唐突とも思えるマリアの言葉にも淡々と答えるユリア。
その心のうちがどのようなものなのか、その表情から伺い知ることはできない。
そして彼女はその場にいとまを告げ、立ち去ってしまった。
残されたマリアたちは顔を見合わせる。
「彼女も悪い子ではないと思うのだけど、少し真面目すぎるのよね……。あれもまた血筋なのかしら?」
「確かにお父上のネヴァグ侯爵とよく似ているようですね。頑固で融通が利かないところは」
ため息をつきながら漏らした母マリアの言葉に、息子であるウィリアム王もそう同意した。
そしてマリアは再び苦笑しながら呟く。
「本当に……私も若い頃は苦労させられたものだわ」
ただでさえ懸念すべきことがある上に、自身が目をかけたことによって更なる波乱が起きなければ良いが……と、彼女はフィオナの身を案じる。
しかし古の大魔導士の生まれ変わりたる彼女ならば、きっとどんな困難も乗り越えてくれるだろう……とも思うのだった。




