学院長室にて
学院長室の扉を開け、中に入るフィオナ。
そこで待ち受けていた人物が彼女を出迎えるように執務机から立ち上がり、穏やかな口調で話しかける。
「ようこそいらっしゃいました、フィオナさん。はじめまして、私は学院長のケリュネイアと申します。よろしくお願いしますね」
「は、はい……こちらこそ、よろしくお願い致します」
学院長……ケリュネイアと名乗る人物の挨拶に、フィオナは少し詰まりながらも挨拶を返した。
彼女がなぜ戸惑いを見せたかと言えば……その風体が予想外のものだったから。
服装自体はおかしくはない。
一般的な魔道士が着るものとしては仕立てが良く装飾が施された高級品のように見えるのは、彼女の立場的には当然と言えるだろう。
それよりも奇異に見えるのは……顔の殆どを覆う黄金の仮面を被っている事だ。
更に、頭には幾重にも折り重なる白絹のようなヴェールを被っていた。
唯一露わになった口元を見れば彼女が柔らかな笑みをたたえていることは分かるものの、その相貌は謎に包まれている。
声や全体的な雰囲気は、学院長という肩書から想像するよりも相当に若い女性であるように思われた。
「この仮面が気になりますか?」
「いえ、その……」
それを聞くのは失礼になるかと思い、フィオナは言葉を濁すが……もちろん気にはなっていた。
すると、ケリュネイアは仮面で顔を隠している理由を説明する。
「これで人に会うのは失礼かもしれないとは思うのですが……少々、顔にひどい傷があるのです。ですから、そちらの方が不快な思いをさせてしまうと思いまして……。自分でも怪しげだとは思いますけど、公でもこの姿なのです」
「そうですか……すみません」
「いえ、初対面で驚かれるのは無理からぬことと思います」
不躾な視線を送ったことをフィオナは気まずそうに謝罪するが、ケリュネイアは特に気にしていないと返した。
そして、フィオナをここに呼んだ理由について話し始める。
「さて、挨拶はそれくらいにして。貴女にここまでご足労頂いた理由ですが……いくつかあります」
そう言いながら彼女はフィオナの近くまで歩み寄り、彼女に向かって手をかざす。
「失礼します」
「……!」
ケリュネイアの手から魔力の波動が放たれたことを察知してフィオナは一瞬だけ身構えるが、それが特に害のないもの……探査波動の魔法に似たものと分かり、されるがままとなる。
そしてケリュネイアは、フィオナが内包する莫大な魔力を感じ取り、ほぅ……と感嘆の息をついてから言う。
「巧みに隠されているようですが、その圧倒的な力はなかなか隠しきれるものではありませんね。ほとんどの者は誤魔化せても、それなりに気付く者もいることでしょう」
彼女の言うことが正しいのはフィオナも既に分かっている。
フィオナが大魔導士の生まれ変わりと知る前から、ウィルソンやレフィーナ、フェルマンなどは早くから彼女が実力を隠しているであろうことを見抜いていたのだから。
そして、フィオナもケリュネイアを間近にして気付いた事があった。
「学院長も……私と同じだとお見受けしますが?」
「貴女ほどではありませんよ。まあ、私は隠すのが目的ではなく、鍛錬のためにそうしてます。精密な魔力制御と、魔力量の成長のために……ですね」
その言葉にはフィオナも頷く。
前世の時代では魔道士の鍛錬法としては当たり前のものだったのだ。
だが、それを実践している者に彼女は現世で会ったことがなかった。
(現代にも……これほどの魔道士がいるとは。やはり世界は広いね)
前世より魔法学が一度衰退した現代においては、自身の持つ力はあまりにも突出していると思っていたフィオナ。
実際にそれは事実であろうが、ケリュネイアのような人物を目の前にすれば、認識も改まると言うもの。
自分よりも優れた魔道士が現世に存在していても不思議ではないと彼女は思った。
「お呼び立てした理由の一つは、貴女の……大魔導士アレシウスの生まれ変わりという貴女の力が、どれほどのものか肌で感じたかったから。魔道士としての純粋な好奇心だったのですが……想像以上でした」
そう言いながら彼女は、フィオナの方にかざしていた手を降ろす。
口元に浮かぶ笑みは、こころなしか満足そうに見えた。
「では、残りの理由はなんでしょうか……?」
呼び出しの理由の一つは分かったが、それは本題ではないだろう。
おそらくは研究棟に関することだろうとは当たりをつけていたが……
「もう予想はついているでしょうけど、アレシウス様の研究棟に関してです。長年、様々な調査解析、結界解除の試みが行われていましたが……ついに封印が解かれたと知ったとき、どれほど興奮したことでしょう」
その言葉の内容にしては、あくまでも落ち着いた様子で彼女は語った。
「私としては、もうとっくに破られていたと思っていたのですが。それで……その関係で私に話とは……?」
「フェルマン先生から報告は頂きましたが、あの施設の調査は自由にして良い……と?」
解除の魔道具を求めるときに同行したフェルマンに、確かにそのようなことを言った覚えがあるので、フィオナは頷いてそれを肯定する。
「ええ。あそこは元々この学園の施設の一つであって、アレシウスの所有物というわけではありませんでしたし。私に『調査するな』という権限はありませんよ」
それも理由の一つだが……彼女自身は、あくまでもアレシウスとフィオナは別人であると考えていることもある。
……わざわざ自身の管理者権限を返上するということも無いが。
「なるほど……。実は、少し悩んでおりまして」
「……?」
言われたことがよく分からず、フィオナは首を傾げて疑問を顔に浮かべた。
それを見たケリュネイアは、苦笑しながら続ける。
「アレシウス様の時代と現代では魔法学のレベルに著しい隔たりがあるのは、あなたもよくご存知の通りです。ですから……かつての賢者たちの叡智は、再び魔法学を大きく前進させるための原動力となるでしょう」
その言葉にフィオナは頷く。
自分から積極的に働きかけるつもりはないものの、彼女も魔法学の衰退を憂いていた。
だが、研究棟の調査してもらうことによって魔法学が大きく前進するのなら、それは喜ばしいことである……そう思っていた。
しかし、ケリュネイアは、ある懸念を口にする。
「ですが、それはあまりにも危険な劇薬ともなりかねない。かつて魔法学が衰退した原因を考えれば、同じ道を辿る可能性も十分にあるのです」
「それは……まあ、そうですね……」
それも理解できる話だ。
現在のフィロマ王国を取り囲む環境は比較的安定していると言えるが、過分な力が野心を呼び覚ます可能性は否定できない。
かつてアレシウスも憂いた事でもある。
だが、それでも……
「それでも、人の探究心は前へ進むことを止めないでしょう。例え、アレシウスの研究棟が無かったとしても、いつかは辿り着くことになる」
「ええ、その通りです。それで、ここからが本題なのですが……」
そう切り出したケリュネイアに、フィオナは嫌な予感を覚えた。
「要は、世に急激な変化が起きることがないように情報をコントロールすべきと判断しました。これは王国とも協議した話でもありますね。そのために……フィオナさんには研究棟の管理者となって頂きたいのです」
思わず口をついて出そうになった「え、めんどくさ……」という言葉を、何とか飲み込むフィオナ。
彼女は呼び出されたときから何となく予感はしていたのだが、面倒くさいというのが率直な感想だ。
平穏平凡な人生を歩むという彼女の目標がさらに遠のく話に目眩を覚えそうになるが……研究棟の封印を解いた責任はある程度果たす必要があると考えた。
そして、渋々と言った雰囲気ながらも彼女は頷いて……
「……学業に支障がない範囲でなら」
と、了承するのだった。




