幽玄のファルダマラ
「コホン。では気を取り直して行きましょうか。……あ、王子は3歩以内に近付かないでくださいね」
気を取り直して……と言いつつも、未だに「つ〜ん」として不機嫌なフ様子のフィオナ。
取り敢えず落ち着いてはいるものの、冷たい視線を向けながら彼女はウィルソンに宣告する。
「なんと……!私に死ねと言うのか!?」
「それくらいでは死にません」
絶望の表情で言う彼に対しても、そっけなく返す。
実のところ……彼女はそれほど怒っているわけではない。
しかし、その態度が照れ隠しであることを彼女は自覚してないだろう。
むしろレフィーナやメイシアの方が敏感に察知している。
二人は顔を見合わせて意味深な笑みを浮かべていた。
「3歩……けっこう近づけますわね」
「なんだかんだ嫌じゃなかったのかしら」
「複雑な乙女心と言うものではないでしょうか」
二人はこそこそ話しているようだが、フィオナの耳にもばっちり届いていた。
「……君たち、なんか仲良くなってない?」
二人にジト目を向けながらフィオナは言う。
自分をネタにして盛り上がるのはやめてもらいたいところだが、自分の友人同士が仲良くなるのは喜ばしい……と、複雑そうな表情である。
「メイシアさんとお話するのは楽しいですわね」
「私も……レフィーナさんって、こんなに気さくで話しやすい人だとは思わなかったわ」
「……まあ、二人が仲良くなれたならいっか」
何だかんだで彼女はお人好しである。
「話は終わったか?……もうこれ以上話をややこしくするなよ。行くぞ」
フェルマンはやや辟易として言いながら、先頭を切って出口の扉の方へと向かう。
どうにも年頃の少女たちの会話にはついていけないようだ。
ともあれ……最終試練を突破した一行は、ついに大呪術師ディアナの研究室に足を踏み入れるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その部屋はフィオナ以外の面々が想像していたものと異なり、拍子抜けするほど『普通』だった。
これまでの感覚から比べればやや手狭にも感じるが、一人で使うのであれば十分過ぎるくらいの広さはある。
入り口から見て左右の壁面には書棚が立ち並び、部屋の中央にはソファやテーブルなどの応接セットが、奥の壁際には執務机のようなものが配置されている。
左右の書棚の切れ間にはそれぞれ扉があるようだ。
フィオナがそのうちの片方、右側の扉を指して言う。
「ここは書斎で、収納庫はあっちだね。そこに解呪の魔道具もあるはず」
『そう言えば今更なんだけど。アレを持ってくのは良いとして、ちゃんと使える人はいるの?』
「だぶん……まあ、それは何とかなるよ。とにかく中に入って探そう」
そしてフィオナは収納庫の扉を開け中に入る。
他の面々もぞろぞろとあとに続いた。
そこは書斎よりも広い部屋だったが、ところ狭しと棚が並べられていてむしろ窮屈だ。
長年放置されていたわりには湿気や黴臭さなども無く、それだけでも保管状態は良好であろうことが伺えた。
一応、きちんと整理がされているらしく乱雑な雰囲気は感じられないが、この中から目的の品物を探し出すのは骨が折れるだろう。
いちいち一つずつ探すのは大変なので、フィオナは管理者たるディーネに確認する。
「さて……ディーネ、どこにあるか分かる?」
『う〜ん……確か、左奥の方だったと思うけど。あぁ、目録見れば分かるか。そこのキャビネに入ってるから開けてみて』
ディーネは実体が無い映像のため、彼女が指差したキャビネをフィオナが開ける。
「ちゃんと目録作ってるとか、ディアナは几帳面だよね。どれどれ……」
彼女は取り出した目録……一見して紙でできた台帳をめくって目的の品物のありかを調べる。
その様子を見たウィルソンが疑問を口にした。
「千年以上も経ってるのに……ボロボロになってないのだな」
保存環境にもよるだろうが、彼が普段目にするような紙ではこうはいかないだろう、と思ったのだ。
「王子、『3歩』ですよ。……この紙が特殊なのと、あとはこの部屋自体に時間を緩やかにする魔法がかけられてるんです。まあ、時間操作といっても擬似的なものですけど」
近くに来て覗き込もうとしていたウィルソンにしっかりと釘をさしてから、彼女はそのように説明した。
そして彼女は目録をパラパラとめくりながら目を通し……
「あった。え〜と……魔道具エリアの3−14棚、2段目……よし、行ってみよう」
目録をもとに戻し、彼女たちは収納庫の奥の方へと向かう。
棚の間の細い通路を進んでいく途中、フィオナ以外の面々はキョロキョロしながら歩いていた。
薬品や鉱物類、何に使うのか良くわからない器具、動植物の標本……おそらくは呪術に関係するであろう数々の品々に興味津々といった様子だ。
しかし今はそれらを見ている暇は無いため、彼らは質問したい気持ちをぐっと堪えているようだった。
やがて収納庫の最も奥まった一画にやって来た一行
目的の棚の前に立ったフィオナが、上から二段目の高い位置にある戸に手を伸ばそうとするが……
「と、届かない……」
「ここか?」
背を伸ばして懸命に手を伸ばしていたフィオナの真後ろに付いたウィルソンが、悠々と戸を開けて中に入っていた大きな箱を取り出した。
「……ありがとうございます」
『3歩』ルールを反故にされた事に彼女は文句を言いそうになったのを何とか飲み込み、少し顔を赤らめて素直に礼を言った。
そして、ウィルソンが下に降ろした大きな箱を開け、中をあらためると……
「これは……ファルダマラ、か?」
中に入っていたものを見て、戸惑うようにウィルソンは呟いた。
様々な装飾が施されたそれは、彼の記憶にあるものに類似していたが、確信には至っていない。
だが、フィオナは彼の言葉を肯定する。
「ええ。ディアナが長年の研究の末に創り出した……『幽玄のファルダマラ』。清らかな旋律で呪いを打ち祓うという魔道具です」
彼らの言うファルダマラとは弦楽器の一種であり、王宮の楽団でも演奏されるポピュラーなものだ。
『幽玄のファルダマラ』と呼ばれたその魔道具は現代のものと比べてやや小ぶりで、形も少し異なるようだ。
しかし弾き方は昔も今も殆ど変わらないはず……とはフィオナの言。
そして更に、箱の中にもう一つ。
「こっちは楽譜ですわね。見慣れない記号もあるようですが……」
レフィーナが手に取って見ているのは、黒革らしき装丁の楽譜集。
レフィーナの言う通り、今では目にしない音楽記号もあるようだが、曲を奏でること自体は可能と思われた。
「そこに載ってる、呪いの種類に応じた曲を弾くことで解呪の魔法を発動させるんだよ。王子、王宮の楽団になら弾ける人もいますよね?」
先ほどディーネが言っていた「使える人はいるのか?」というのは、つまりそういうことである。
そしてフィオナの問いに対し、ウィルソンは頷きながら答える。
「ああ、それはもちろんだが……私も多少は弾けるぞ」
「あ、そうなんですね!じゃあ、マリア様の呪いは、王子が直接解いてあげて下さい」
そう言って彼女は楽器をウィルソンに手渡す。
孫が自らの力で手に入れたもので呪いを解いてくれるなら、きっとマリアも喜ぶだろう……と、フィオナは思うのだった。




