『詩的理解の、絵画的発見道路』・・・『詩の群れ』から
『詩的理解の、絵画的発見道路』・・・『詩の群れ』から
㈠
詩的理解というものがあるな、この世界には、だろうだ。
だろうだ、詩の崇高美について、考える訳であるな、極自然に、だろうだ。
だろ、詩人になったような気持で、詩を理解するということなんだ。
そうか、しかし、其の詩的理解には、絵画もカテゴライズされるんじゃないか、え?
㈡
そうなんだ、ムンクの叫びが、脳内で反芻すると言ったような、ことなんだよな。
だろう、それは、まさに、芸術の脳内だと言えるだろうだ。
そうだろう、極自然、と言う処が、また、格別じゃないか、だろうだ。
だろうだろうだ、而して、発見するのは、都会の喧騒の道路だろう。
㈢
つまりは、詩的理解の、絵画的発見道路ってことで、もう、狂って候だろうだ。
だろうな、世界も狂って、我々意味不明歓迎祭の成立だろうだ。