処方番号1-3 『爆弾scoop』
「それにしても、久々に来てみれば店の中もアナタも多少は見れるものになったじゃない。いつも野暮ったい髪が珍しく綺麗にまとめられていたのはどういう心境の変化かと思ったけれど、その子の入れ知恵ってわけ。
嫌いじゃないけど……、その飾りっ気のない棒はどうにかならなかったの?」
と、マスターに目をやる。
月面のような柔らかい灰色が、一本の銀によってハーフアップにまとめられている。
食器棚に何故か転がっていた鉄箸の片割れだと知れば、きっと火山雷を起こす質だと見た私は賢いからネ、黙っていよう。
「簪に適した形状のものが他なかったというのもありますが、髪が不揃いなため下手に飾りがあると引っ掛かってしまうのでちょうどよかったんです。
本来なら、蜻蛉玉やメタルパーツなどであしらわれたものがあるんですが……」
僅かに声が上ずりかけながらも、さり気無く懸命に自分の奮闘の結果を伝える。
飲食店のマスターを名乗るには少々身だしなみに難があった。酒とピッカピカのキッチン用品という応用が利かない物で溢れかえったこの場所で、身だしなみを整えさせることが出来ただけでも奇跡だと褒めて欲しい。
実物を作るなりできれば感心の一つもさせられただろうに、ここぞの場面で自国の文化を外の人に主張できないなんて悔しみだ。
「――ここで普通に口を開けるのね。
田舎の出の脆い石ころかと思っていたけれど…………、ホントにいったいどこから転がってきたのかしら?」
ワインロゼの瞳が、干天の下で揺蕩う砂原色の髪の隙間から爛々と光る。
先程からの一言一言何かを断ち切るような、嚙み切るような喋り方が一変した。くくられた髪がゆらりと揺れる様はさながら獲物を狙いすます獣の尾。じっくり検分するように舐め上げる口調が、項に牙を立てられる錯覚を覚える。
「こんな薄汚い仔ネズミにご執心とはな。天下のベルラプターも地に落ち――」
「いちいち噛付くな。カミツキガメ」
「何故っ! 俺にっ! 対してだけっ! そうも口が悪くなる!?」
ぼそりと呟いた言葉を耳ざとく拾って怒りを露わに席から立ち上がるが、椅子座から離れきれてない尻、妙な足の向き、やり場に困らせたのか、拳の矛先がゆらゆらと定まらずにいるせいでみょうちきりんな恰好に留まっていた。
きっと行儀の良い者しか周囲にいなかったか、はたまた有無も言わさず我の強さで相手を叩きのめしてきたのか。真横からの水差しジャブの経験が無く、カウンタースタイルの一つも持ち合わせていないらしい。
「あら、言うじゃない」と蠱惑的にほほ笑む彼、だが。
――っ、
褒めるというよりかは、どことなく道化同士の茶番劇でも楽しんでいるようにも感じたのは気のせいか?
知らず知らずに曲がっていた上背に気づき、ピンッと伸ばし直す。
「フォガート、アンタ勘違いしているようだから言っておくけど、美しさは空から綺麗な状態で降ってくるものじゃないの。地べたを這いずって生きる人が作り出す美なら尚更、ね。
このアタシが自ら地べたから積み上げたものが落ちるだなんて万に一つもあり得ないわ。
それに、道端に転がっている小石が薄汚れているのは当然のこと。それが本当に美しいと思えるモノかどうかは別として、目に留まればとりあえず拾ってみる探求心こそ美の極致への近道よ。
もっとも、アンタにそんな地道な努力が理解できるとは思ってないけれど」
「ハッ! 審美眼に自信を持つのは勝手だが、メッキを塗り重ねて誤魔化しているのはそちらだろうに。
……とうとう己の本性もすら分からなくなったか? 駄犬もどきが」
“ズンッ”と、空気が圧し掛かる――――。
一気に沈み込んだそれは一切の動きの停止を万物に強制する。
毛孔部が隆起した肌が、生きて逃がすものかと凍り付いたこの空間に、逃げる隙など永遠にやってこないと敏感に感じ取っていた。
――――運動力を失った数多の粒子が熱の生産を放棄する。
激しく体を叩く心臓のオトだけが、下がり続ける温度に抗う。
けれども、一音でも外に漏れれば最後。二つの切っ先が即座にこちらを向くことになる。
――――少しデも密度を上げテ遮ろうと、全身ノ筋肉に力を入レルことしかデキナイ……
この場を諌めるべき主は呑気に次の酒を物色している。
互いに牽制し合いながら、動かず。
このまま――――ずっと――――――………………………………
「そこまでにしたらどうだい? 二人とも。
自分たちの口喧嘩にこれ以上他人を巻き込むものじゃないよ」
緩やかに波打つ紅葉を控えた葉色の髪の隙間から、赤い瞳が静かに調停に入る。
粛と窘める声の主は、音と熱を取り戻した店のカウンターの一番端にずっと鎮座していた。
白樺の木――。
病的な白い肌を緑が纏う。
若葉のシャツに深緑のベストとズボン。
肩に羽織られた上着と薄い不精髭が気だるげに見せる。
だが、他の三人に比べ、着実に年を重ねた風貌のおかげか、年代物のウィスキーのような重厚さと品の良さが見受けられる。
両手で包みこまれた金の絵付けが光る群青の陶磁器からは、湯気が淡く立ち昇っていた。
何であれ、彼らのお目付け役のような立ち位置には違いない。
興覚めだと、二人は顔を背けて各々のグラスを口に運ぶ。
途端に解けた空気に内心ホッと息をつく。
「ありがとうございました。ええっと…………」
「ジェイ・ビスコッティ。ジェイで構わないよ。
二人が申し訳なかった。優秀ではあるけど、まだ若いせいか血の気が多くてね、勘弁してやってほしい。
――けれども、君も時々口が過ぎる節があるみたいだね。何が切っ掛けで巻き込まれるか分からない以上、気を付けた方がいい」
ゆるゆると微笑みながら手を差し出してきた。
男性らしい節くれが目立ちながら、意外にもがっしりと硬さが所々感じる暖かな手だった。
「いえ、こちらこそ失礼致しました。敬語が外れると口調が乱れる自覚はある上での発言ですので、どうかご容赦ください」
「ははっ。見た目以上に豪胆だね、君は。
美獣と錬金館の主の睨み合いの直後でこうも早く気を取り直すなんて」
何やら変なネームが聞こえた。
というか、もういい加減話を進めたい。この混沌とした盤面で私は次にどう行動したらいい?
どうしたら平穏無事に屋根裏の砦にたどり着ける?
「それで真面目な話、どういった経緯でこの子を?
最初は貴方目当てで近づいた妖魔の類かと思ったけれど……、そうではないんだろう?
となると、貴方が半場無理やり囲い込んだとしか思えない。
事と次第によっては相応の対応を取らざる負えなくなる。質の悪いボヤが燃え広がるのはあまり 気分は良くないからね」
さっさと答えろ、と言わんばかりに柔らかな眼光が針葉樹のそれになっていった。
この混沌を作り出した諸悪の根源? を徹底的に追及する構えなのだろう。
今の今まで口を挟まず物見に徹し、紳士的な物腰を主体としたやり取りを見ていた身としては少々驚きの豹変ぶりだった。
ちびちびと酒を飲む二人もやはり気になっていたのか、黙したまま目線で先を促しにかかる。
針の山を向けられた状況にも全く動じず、当の本人は照れくさそうに「そう見られると気恥ずかしいですね」と微笑を浮かべると――――、彼はとんでもない爆弾を落としていきやがりました。
「単純な話……、惚れてしまったのですよ」
……………………………………………………はい?
――静寂。
一石投じらた波紋が消え失せるのをじっと待つような静けさ。
出会ったばかりの捻じれた四つの心が、一つに重なった奇跡の瞬間だった……――――。