処方番号1-2 『カオスなgust達』
「…………おジャマし――」
「してませんから、早くお入りなさい」
店内はいつも通り――のはずだった。
夕日の残り火に照らされたような薄暗い店内。
唐草模様が美しい鈍色の手すりに沿って数歩、右手の一段下がったフロアにはアンティーク調のテーブルセットがいくつか置かれ、さらに向こうにあるカウンター席からは、かっこよさの為だけに取り付けたらしい竈が観賞できる。
今まさに本職を立派に放棄して暖炉の役割を果たしているところだ。
レンガ造りの壁奥にはピッカピカのキッチンが放置されているのに、宝の持ち腐れも大概にしてほしい。
料理する気があるのかこの人?
だが、つまみの乏しさに反比例して酒の種類は竜の宝物庫クラスと言っても過言ではない。
現に、多種多様な空瓶が三人の男達を囲むようにキラキラと密集している。
「もう店じまいかと思っていましたが、お客様がいらっしゃったんですか? マスター」
この店では曜日ごとのルーティンワークは一週目で理解できる。
そんなものはない。
客なんていやしないのだ。
そもそも、店主のいる時間帯さえはっきりしないのに営業もなにもない。
昼に突然追われるように飛び込んでくる時もあれば、夕方定時帰宅をする時もある。はたまた、朝から夜中までしっかりいる日もある。
にも拘わらず、三人も客がいるなんてついに“閉店サービス”に乗り出したかとしか思えない。
「いえ、お客様ではありません。こちらは私の職場の方々ですよ」
店にぴったりと嵌まる低く落ち着いた声。
途端に、無意識に肯定の波に微睡むような心地になる。
ゆっくりと沈みこむようなこの雰囲気には未だに慣れない。いや、慣れてはいけない。
現実では考えられない異色で異様な出で立ちではある――――、
が、それだけを理由とするには、崩れかけた崖の際に立たされた感がどうしても拭い切れずにいる。
「貴方もいかがです? ご存じ通り、酒類の取り扱いには些少の自負がありますよ」
「いえ……、男性同士の飲み会に首を突っ込むほど無粋ではありませんよ。お気持ちだけありがたく頂きます」
フードを外しながら答えると、カウンターへと近づく。
――例えるなら“小麦粉と水の流動実験”に似ている。
どうにか掌に掬い上げた小さな危機感、それを常に転がし続けていなければ、あっという間に溶けて飲まれて抜け出せなくなる気がしてならない。
優しさの中にどこか危うさを感じるのは、
寂し気でありながら、とろりとした月色の瞳に魅かれているだけなのか――――
「随分と珍しい毛色の仔ネズミを雇ったなアンフェル。まともに店を回す気が貴方にあるとも思えん。殺風景な寝床に手慰みの愛玩でも置くことにしたのか?」
よし、誰だか知らないが早急に処してやろう。
「大変だマスター、こんな時間に子供が紛れ込て酒を飲んでいます。丁重に外へ叩き出してきますが構いませんよね?」
分かりやすい俺様キャラを引っ提げて抜かすコイツは日本人の謙虚で奥ゆかしい心なぞ勿体無い。
「……誰がガキだと? 仔ネズミ」
「申し訳ありませんが、初対面の相手にいきなり暴言をぶん投げてくるような方を大人扱いする気はありません」
やるのか? 針頭。
銀縁のガラスの奥にある目玉をすり潰して抹茶にしてやろうと、スッと睨みつける。
予想外の返しだったのか、憤然の空気を纏いながらも訝し気に顔を歪める。その拍子に眼鏡の片側のつるから伸びるチェーンが揺れた。
顔は山脈の如き彫の深さによって見事な陰影を作り出す。鉛がかった紺がつんつんと気まぐれに上を向きつつ、はらりと零れた髪が刺々しい態度の中に流麗さを描いていた。
黙っていればエリートコースを歩いてだって独走できるオシャレメンズに違いない。
「ふっ。少しはまともな感性の小石らしいわね、フォガート先生? 多少出来の良いメッキに胡坐をかいているから、粗雑な性格が露呈するのよ」
口元に人差し指を添えながら、珍しいものを見たと言わんばかりに愉快そうに笑う。
――――――――紅色の爪がひどく映えた。
もう一方の手で持ち上げられたシャンパングラスに口づけると、ゆっくり黄金が消えていく。
優雅に組まれた長い足、少し広がった黒のズボンの裾からはワインレッドのヒールが凛と咲いていた。同じく黒のベールのようなトップスが身体の形を華奢にさせるが、首の小さな山なりの曲線が予想を否定する。
ただ、中性的と表現するには少し躊躇いがあった。
フォガートとかいう輩が、恵まれた環境下にいながらも貪欲に強く育った血統書付きのドーベルマンなら、彼は美の彫像。
男性と女性。
要所要所に散りばめられた二つの元素が組合わさった分子が、彼を構成している。
いつか読んだ『幸せの王子様』とは違い、中身を叩き割っても宝石のように輝いているのではないかと思わせる。
きっとどこが欠けようが、それすら“美しさ”として世に認められるのだろう。
――――だが悲しいかな。
残念ながら、そんなハイパークラスの美形のご尊顔よりも、掲げられたグラスの中身の方が気になってしまうのが、異世界人の性である。
そんな私を見てマスターは、心なしか嬉しそうに笑った。
「私のこだわりです。炭酸が抜けないよう、軽く魔法をかけているんですよ」
「何が“軽く”よ。
簡易的にとはいえ、たかが飲み物の為に……、しかもワンドリンクごとにいちいち閉鎖魔法をかけるなんて芸当、アンタぐらいにしかできないし、やらないわよ」
「けれど美味しいでしょう?」
業腹だと言わんばかりに眉をひそめる。
――――が、白魚の指先だけは素直に敬意を表し、小さくグラスを傾けた。
水面を目指して消えるはずの気泡が、ふと、忘れ物を思い出したかのように底へと沈んでは…………また、浮き上がる。
その一つ一つがキラキラと輝く真珠の如く。
どんな魔法が凄くてそうじゃないのか全く分からないが、隠し味みたくお手軽に使うもんじゃないってことは私にも分かる…………。
――――――――つくづく、此処は私の世界じゃない。