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薬師見習いの処方魔術  作者: 湖陽 照
第1章 祝福のメイラード
10/13

処方番号1-9 『空からwelcome』

 直線的でブレのない見事な絶叫は、オペラ歌手も万雷の喝采に加わる事だろう。

 けれど冷やっこい澄んだ空気の塊に猛烈な勢いでぶつかり続ける感触を全身で感じながら、頭から美しく垂直落下している身としては心底どうでもいい話である。


「心が洗われるような美しい快晴ですね。少々風が冷たいですが……、人の温もりがあるとそれも心地よく感じます」


「何が“少々”だっ、全速力で落っこちてるんですよ! 今すぐ機体を水平にして高度を上げろッ!!」

 

 「承知いたしました、機長殿」の声が轟音の隙間を縫って耳に届くと、先程までのフリーフォールが嘘のようになだらかな曲線を描きつつ、x軸に対する平行移動に移った。

 成程、確かに美しい空ではある。空と宙の境を突き抜けた先に見える深い蒼、それを版画でそっくり写し取った色の海がまだまだ遠い眼下に広がっている。

 ――――しかし、


「前振りも無しにスカイダイビングっていったいどういう神経!?

 安全も確めずに道路に飛び出しちゃいけませんって習わなかったんですか!?」


「何を言っているんです、此処は空ですよ?」


「空中だろうが水中だろうがいきなり飛び出してオーケーなとこなんてない!」 


「けれど楽しかったでしょう?」


「…………取り敢えずそうやって聞き返しておけばいいって思ってる節、ありません?」


 異常なこの状況と相も変らぬマイペースな振る舞いとの乖離に、跳ねまわっていた心臓もようやく落ち着きを取り戻す。

 偶々、絶叫系の遊具を周回する質だから良かったものの、そうでなかったら海に落ちる前に昇天していたはずだ。ずれきったお互いの常識が嚙み合うことは今後あるのか…………、正直、期待薄だが根気よく“お話”していくしかない。そう決意を込め、握られた左手を掴み直す。

 

 これが唯一の命綱だと思うと今更ながら――――、かなり怖い!!!

 

「あちらが見えますか? あれが島の端です」


「…………?」 


 たなびく髪を除けながら促された方向に首を伸ばす。

 中天にかかる太陽光で白んだ水平線が青い景色を二つの層に割いている、それだけだった。

 マスターは私の訝しげな心を察したのか、件のものが見える位置まで歩くような態勢で近づいて行く。


「――――、うそーん……」


 ――――――――海が滝のように落ちている。


「実際に落ちている訳ではありません。あくまでそう見えているだけで、向こう側には海も陸地もちゃんとありますよ。

 この島には世界でも数少ない魔法学の研究施設や学校、腕の良い魔具職人の工房などが多数存在しており、俗称ですが『研究学園島』とも言われています。正式名称は『符合の島』ですが、そちらよりも世間には聞こえが良いかもしれませんね。

 学びの為に、多種多様な種族や身分の方々が一堂に会するので邪な心を持った輩に目を付けられやすくなる。辺境の寂れた島が権威ある魔法の島として名を馳せるようになり犯罪被害が頻発するようになった頃、外部との出入りを厳しくしようと多くのウィザード達によって海域の周辺に『混合乱魔(ジャンブルマジック)』がかけられました。

 今では魔法の内側にある海域ごと“島”として世に認知されています」


「ジャンブルマジック?」


「魔法を複合的に無造作に掛け合わせることです。

 魔法の種類、出力、タイミング、その時の匙加減で魔法の内容も強度も変わってきます。殆どの場合、魔法として成立せず暴発するか、大した効力もない魔法が出来上がるだけですが、ごく稀に地道な努力だけでは辿り着けぬ奇跡が生まれることもある。

 ……かけた当人達にも理解できない魔法ならば、安易に手出しも解除も出来ないという寸法です」


 嘗て地面は平らで海は滝のように落ちていると信じられてきた。正しくは信じさせられてきたというべきか。


 古き幻想。神々の作りし庭。現界する星々の中心。

 数多の人間による疑問、推論、観察によって覆された天動説よ、此処に――――、


 …………拡大解釈もいいとこでした、はい。

 

『ジャンブルマジック』なんてかっこつけた名前の割には想像以上に強引なやり口だった…………。

 鍵も鍵穴も無ければ開けられるはずもないという理屈なんだろう。

 崇高なる精神の下、真理の頂に辿り着かんと切磋琢磨に研鑽を積み重ねるマジカルな頭脳派ユニットのイメージが一気に崩れる。


「要するにただのやけくそプレーじゃないですか。

 ウィザードっていうのは実は脳筋族の集まりだったりするんです?」


「まさかそんなことは。

 『その昔、魔法はとある子供の無邪気な悪戯を詰め込んだ大窯から始まりました』のくだりは有名なんですよ。

 子供の無知で無秩序な楽しいだけを放り込んで出来上がった偶然からの贈り物に、頭の中を図式と欲で一杯にした夢も欠片もない犯罪者の理論が勝てるはずもないというもの。

 少なくとも魔法がかけられてから破られたという話は聞きません。永遠に続く魔法などありはしませんが、複雑化した強大な魔力が長い時間の中で自然現象に近い形になったのでしょう。いやはや、当時のウィザード達は本当におバ――、お茶目だったのですね」


 あ、バカとは思ってるんだ。


「鍵が無ければ箱ごと爆発させればいいじゃない系の犯罪者が現れないといいですけど……。

 因みに、外に出たらどうなるんですか?」


 ――――――――。


 …………ビュービュー吹く風音が空恐ろしさを掻き立てる。

 突然マスターが真顔になると、ゆっくり……、ゆーっくりと柔和な笑みを浮かべて、

 

「……さあ?」


 怯える子供を愉しむかのように瞳が煌めいた。

 ゾゾッと背筋を駆けあがる悪寒。


「なにぶん魔法の使用規制が甘かった時代でしたから。

 時代と研鑽が進んだ今、偶然に委ねるジャンブルマジックは危険且つ邪道だと揶揄し、推奨を否定するウィザードも増えているくらいです。昨今では禁止指定されている類をはじめ、研究段階で未完成だったものも含んだ、転移や隠蔽に関連する魔法を片っ端から惜しみなくデタラメにかけ散らかした結果出来上がったのが、捻じれた空間の境界線。

 一度出れば何処に飛ばされるか分からないが故に、『移り気海溝』などと何時しか皆さん口にするようになりました」


「節操なしにも程がある……」


 “海溝”というのは言い得て妙かもしれない。

 海と海の狭間、細く棚引く絶対の黒。

 巌に打ち付けられる悲鳴も無く、暴力的な量の海水が淡々と堕ちていく。


 ――――但し、この境界線における水の逝く先は黒ではなく“白い嵐”が隠していた。

 塩辛い風巻だけではない、箱型受像機の砂嵐に似た点々の歪みがザーザーと吹き荒れ、続きを誤魔化している。


 認知できない。

 見つけられなイ。

 あの向こうはナイ?




 ナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイ――――――――




「あまり見過ぎないで」


 そっと覆い隠す掌。

 白い闇がサッと暗くなって引き戻される。

 いつの間に強く握り締めていた手とは逆の手が、海風で失いつつあった暖かさを瞼越しに寄こしてくれた。


「此処に連れてきた私が言うことではありませんが、何処に通じているのか分からないものを見続けるものではありません。それは己の在処に疑問を産み付けてしまう。そして、決して孵化させるべきものではない。

 孵ってしまえば最後、“ソレ”は自身への関心と労りを啄み肥大し、生きている限り苦しめ続ける」


「……すみません、もう大丈夫です」


 手を退けるよう腕をタップして合図すると、眉尻を下げた、先程の嵐より柔らかい色の髪の端正な顔立ちが映った。

 

「必要なこととはいえ、急ぎ過ぎましたね。あり得ざるものばかり見せられ続ければ、本来なら発狂してもおかしくはない」


 「もう行きましょう」と再び私たちは姿を消した。




※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ――――そして、ようやく理解した。

 突然のフリーフォール、海の果て、現実非ざるワイルドピッチはこの為か。


 確かに景観という意味ではこちらの方が高い。先程のアレは近づかなければ見ずに済む。店を起点に生活するなら猶の事。

 だが、目的地に辿り着くためには此処を越えなければならない。


 思い起こすは海上交通の要、世界の文明の交差路、二大文明に挟まれた六千の島嶼部で成り立つギリシャの街並み。アレよりも暗めのトーンを基調に、島の中心につれて高く積み上げられる建物群。間を透き通った水の毛細血管が走り、あちらこちらから聞こえる大小様々な水音が縦横無尽に入り組んだ高低差の激しい土地柄なのだとこの数日、訴えかけられてきた。

 店の周辺や普段買い付けに行く市場など、平坦な場所もいくらかあったがこうしてみると実はかなり大きな島であると認識を改める。


 頂上を飾っていた尖がり帽子の屋根は何だろうと思っていたが、――――何の事はない。


 

 先細る大地、その上に悠然と建てられた学び舎からなる巨大な浮遊物――――、

 


 ――――その一角に過ぎなかった。



 むき出しになった建物の裏側が高い壁と化して洞の淵をなぞる。

 その下、荒々しい島側の岸と浮遊する側の岸を重厚な鎖が数本、元は一つの陸地だと証明するように辛うじて繋ぎ止めていた。


 立っている位置から目線を少し下げた先に校舎が建つ地面が見えるが、その間には先程の白い嵐とはまた違う、ぼんやりとした靄が溜まっていた。

 走って飛び越えようなんて笑い話にもならない。

 

「少々高所で、遠い場所……か。

 マス――、学長の意図は何となく察しました。前座がなければまず間違いなく帰ってましたね、絶対。けれど、瞬間移動なんて便利な魔法が使えるのなら直接校内に行けばいいでしょうに」


「今後何度も出入りする以上、景観として慣れておくべきでしょう。

 私もいつも送迎が出来るとはお約束できませんので、今回は特別です。瞬時に空間を移動する魔法はあまり大っぴらに使うものではありません。許されてしまえばプライバシーなど無くなってしまいますから」


「それってまさか違法なんじゃ――――」


「私はとある可愛らしい人に恋をしました。

 その方は漆黒の美しい外見だけでなく、迂闊に口にして良いことと悪い事の区別をつけられる賢い頭も持った素晴らしい方だと信じています――――。

 信じても……、構いませんよね?」


「…………ハイ、アンフェル学長……」


 美人の目からハイライトが消えかけると怖いが過ぎる、リアルで知った日でした。


「しかし、あんな所に学校なんか建てて、生徒とかはどうやって行くんですか?」


「もちろん飛んでです」


「……、…………」


 ……具問だった。

 そりゃそうだ、飛ぶわな普通。魔法が使えるのだから。


「くそう、憎し魔法使いめ。私には三千里より遠く感じるよ、母さん…………」


「お母様ですか?」


「気にしないでください、ノリで言ってみただけなので…………」


 当たり前のように空を飛んでなんて聞かされてはこっちだっていじけたくもなる。

 空を飛ぶ手段はこちらの世界で幾つも確立されてはいるものの、“身軽に自由に”という条件を課せられれば未だ色褪せぬ人類の夢想、未踏の極地と言わざるを得ない。


 こちらの悶々としているのを余所に身体は地から離れる。


「そもそも寄宿制の学校ですのであまり学外に出る機会はありません。徒歩で行く方法もなくはありませんが、少々大掛かりな準備が必要になります。

 ですので、特別な期間以外は基本空を飛ぶかもう一つ、別の方法で出入りします。そちらは後程」


「簡単に家には帰れないってことか。なら今回の事件、猶の事早めにどうにかしないと」


 ふわりとそろって降り立つとマ――、学長はようやく手を放し、振り返って告げる。

 これから何が起こるにしても、もう引き返せない締め切りと始まりの瞬間。


「ようこそ。――――我らがブラックレイルカレッジへ」

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