『おはよう。』
冬の朝日は、少し冷たい。
卵とパンの焼ける音が微かに聞こえてきて、香ばしい香りがボクの身体を包み込む。
朝のリビングに響く足音が、ボクの鼓動と共鳴して、とても心地がいい。
「はるかー!早く起きなさーい!」
「起きてるー!」
『はるか』はこの家に住んでいる高校生の女の子であり、ボクは『はるか』が大好きだ。
2階から、はるかがトントンと渇いた足音を響かせながら、軽快に階段を駆け降りてリビングのドアを開け、ボクに近づいた。
「ココちゃーん!今日も可愛いねー!」
はるかはボクの頬を掴んでフニフニと撫でた。
毎朝の恒例行事だ。
(寝ている時に触られるのは、正直鬱陶しさを感じるけれど、はるかの柔らかく暖かい手は、とても気持ちがよくてクセになる。)
「ほらはるか、早く食べちゃいなさい。パパも新聞ばっかり読んでないで早く食べて!」
「はーい。」
「はーい。」
「あ、ママ。そういえば夏帆ちゃんって覚えてる?中学の時に一緒だった・・・」
「あー!あの背の高い可愛い子??何回か遊びに来たこと、あるわよね?」
「そうそう!あの子F大受かったらしいよ。スポーツの推薦で。」
「あら!すごいじゃない!あんたも頑張んなさい。」
「はいはーい。」
「それで、はるかの試験はいつなんだ?」
「パパ知らないの?それでも受験生の父親?来週の土曜日!」
「そうかそうか!すまんすまん。」
「しんじらんない。いただきまーす。」
「いただきます。」
ボクはこの瞬間の香りがとても好きだ。
お日様のような香りが、ボクの3人の家族から伝わってくる。
その暖かい香りは、ボクをまた眠りの海に誘うのである。
しかし、朝のニュースが流れてリビングは沈まり返った。時が止まった感覚がした。
『新型コロナウイルス新規感染者が、東京都で過去最多を更新し・・・・・』
鼻を刺すような不安と恐怖の臭い。嫌いだ。
肉体が燃え、腐っていく臭いがする。気持ち悪い。空気が重い。吐きそうになる。頭が痛い。
冷たい鎖で身体を締め付けられているようだ。
苦しい。
(はるか・・・助けて・・・。)
ボクはお腹を見せるように仰向けになり、甘えた声ではるかを呼んだ。
「パパ!ママ!見て!ココちゃんが仰向けで寝てる!可愛いー!」
「あらあら。お腹冷えるわよココ。」
「はるか。写真撮ってパパに送ってくれ。」
(ほらね。ボクはみんなを笑顔に出来るんだ。)
お日様のような暖かい香りが、またボクを包み込んだ。
「あ、パパ!早く出ないと遅れるわよ!」
「おお、もうそんな時間か!はるか、今日遅くなるなら連絡を・・・」
「あー!もううるさい!早く行きなよ!」
「全く誰に似たんだか・・・行ってきます。」
「あー、パパ。お弁当。」
「ママありがとう。ココー!行ってくるからなぁ。良い子にしてろよ。」
パパはボクの頭を優しく撫でてくれる。
(パパの手は大きくて、すごく安心するんだ。)
カランと玄関の飾りが鳴り、パパの匂いが遠くなった。
少しだけ、心臓がキュッと痛くなる感覚がした。
「ほら、はるかも。遅刻するわよ。急いで!」
「わかってる!今日塾で自習するから遅くなるね!帰る時ママに連絡する。」
「いってきまーす!」
はるかの匂いが遠くなった。
また、心臓が痛む。
「大変。ママも支度しなきゃ。」
ガチャガチャとお皿同士が激しくぶつかる音がして、水道から水が流れ、止まった。
「ココちゃん。ママもお仕事行ってくるからね。良い子で待っててね。」
(ママはボクの背中をゆっくり撫でてくれる。これが一番気持ちがいいのだ。)
玄関の飾りがカランと鳴るのを、3回聞くのは心が寂しくなる。
リビングはとても静かだ。
朝食の卵焼きとトーストの微かな香り。
はるかの、少しミルクに似た甘い香り。
パパの、香水の香り。
ボクは一つずつ大切に匂いを嗅いだ。
(今日もがんばってね。ボクは、信じて待っているからね。でもね、でも、寂しいだ。。お願いだよ。早く、帰ってきて。)
ボクは大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
日光が入り込んでいる窓から外を見て、帰りを待とう。ボクは身体を起こして、窓に向かって座った。
(あと何回、この言葉をはるかに伝える事が出来るだろうか・・・)
『おはよう。』




