88:続・知られていたなんて(アルフィール視点)
「せっかく可愛らしい方をご紹介しましたのに残念ですわ。まさか利用なさってたなんて。あの子はいつから寝返ってたのかしら」
荒れ狂う本音は綺麗に胸の内に隠して。ジミ恋の悪役令嬢アルフィールをなぞり、高慢な口調で問いかける。すると殿下は、ふっと笑みを溢した。
「それを聞いてどうするつもりかな」
「使えない犬など必要ありませんもの。仕置きをするに決まってますわ」
シャルラさんには令嬢教育を施したとはいえ、所詮は付け焼き刃。社交に慣れていない彼女が化かし合いをどこまで出来るかは分からなかったし、口を滑らせたり、逆に取り込まれる可能性も充分にあった。
そしてイールトも、わたくしに忠誠を誓っていてもシャルラさんへの恋心を捨てきれていないのは分かっていたから。シャルラさんが殿下の手中に落ちれば、イールトからも情報が漏れるかもしれないと考えてはいた。
だからわたくしは念のため、今回は二人に対して限定的な情報しか渡さなかったのよ。その結果、二人ともわたくしを裏切ったと分かってしまった事は、実際とても悲しく思う。
それでもわたくしには、あの二人を巻き込んでしまった負い目があるから。本当には責めるつもりなどないのだけれど。
(殿下には、同情でもいいからシャルラさんに心を向けてもらわなくては。そして……わたくしの事はどうか嫌って)
最悪な事態になったとしても、すでに覚悟は出来ている。対抗する手段を得るために、令嬢の域を越えて何年も鍛錬を重ねてきたのだもの。それでも出来るならば、殿下には魔獣襲来の際、真っ先にシャルラさんの元へ向かってほしいと思う。
心からの願いを込めて、わたくしは扇子を広げて殿下を見据えた。けれど殿下は、苦笑して肩をすくめた。
「仕置きなどと心にもないことを言うものではないよ、フィー」
「まあ、殿下。なぜそう思いますの? わたくしは本気ですのに」
「怯えなくていい。君は負けたと言ったが、まだ勝負は終わっていない」
殿下はおもむろにわたくしの前に跪き、わたくしの手を取った。
「……殿下?」
「フィー、君は負けないよ。私が必ず勝たせる」
「殿下、何を」
「知っているんだよ、私は」
心の奥底まで覗き込むような視線に息が詰まる。知っているって……?
「殿下、まさか」
「君が言おうとしなかったのも理解出来る。それを知っても私は婚約を解消しなかっただろうし、君は未来を知る魔女として断罪される可能性もあるのだから」
わたくしの計画を二人が話す可能性は考えていたけれど、それはあくまでも「婚約を解消するために、シャルラさんを殿下に近づけている」という事柄だけで。まさか口止めしていたわたくしの秘密まで明かすとは思っていなかった。
(殿下は、何をどこまで聞き出したの……?)
殿下に知られてしまったのが、シャルラさんに伝えた事柄だけならまだいい。殿下のこの口ぶりなら、わたくしが未来を騙ったとされても家族にまで咎は及ばないだろうから。
でももしも、イールトが全てを話してしまったのなら?
「シャルラさんが話したのですか」
「ああ。だが、彼女から聞いたのはほんの一部に過ぎない。魔獣の種類など、足りない分はイールトが話してくれたよ。邪帝竜をシャルラ嬢が浄化することもね」
「そんな……」
イールトだけは、わたくしを究極的には裏切らないと信じていたのに。殿下にあの事まで知られてしまったなんて。
(ずっと隠してきたのに、もうこれまでね)
わたくしが最も隠したかった事は、たった一つ。わたくしが助かるためには殿下を傷付けなければならないという事だった。
ヒロインが王子ルートに進んだ場合、悪役令嬢アルフィールは怪我一つ負わないけれど、代わりにディー様が瀕死の重傷を負ってしまう。ヒロインはディー様を救いたい一心で聖魔法を使い、通常では考えられない奇跡を起こす。そうしてディー様は死を免れ、ダークエンパイアドラゴンも正気に戻り事態は終息するのよ。
これだけならシャルラさんを鍛えればいいと考えられるけれど、転生して実際に調べたからこそ分かった事実から、そう簡単にはいかないと理解出来た。
どうやら魔物は王族の血を好むらしく。王子ルート以外では、王家の血筋に近い悪役令嬢アルフィールが死ぬからこそ、ディー様やヒロインたちは無事に生還を果たせるようだと分かった。
逆に王子ルートではディー様が血を流すため、アルフィールは無傷で生き残る事が出来る。それに気付いた時、わたくしは愕然としたものだった。
(嫌われてもいいと思っていたけれど。わたくしが殿下を傷付けようとしていることまでは、知られたくなかった)
婚約解消をどれだけ願っても、わたくしの心は常に殿下に向いている。
でもだからこそ、せめてこれだけは知らずにいてほしかった。偽りのわたくしを嫌いになってもらうのは構わないけれど、本当のわたくし自身を嫌われるのはあまりにも辛すぎたから。
けれどそんな悪あがきも、もうおしまいだわ。
(こうなったら、これを利用してでも嫌われてみせる)
わたくしにも公爵令嬢としてのプライドがある。崩れそうな心を叱咤して殿下の手を振り払い、わたくしは立ち上がった。
「そういうことでしたら、もうお分かりでしょう?」
「フィー?」
「わたくしは、殿下に相応しい人間ではありませんの」
扇子をパチリと閉じて高慢に見下げれば、殿下は驚いた様子で目を見開いた。
(こんな表情もなさるなんて。もっと色んなお顔を見てみたかったけれど、もう無理なのね……)
胸に込み上がる切なさを押し込め、わたくしは悪役令嬢らしく不敵に笑いかけた。
「わたくし、死にたくありませんのよ。ですので殿下、代わりに死んでくださいませ」
これでも殿下がわたくしを嫌わないなら、わたくしは殿下をお守りするために、自ら血を流した上で戦わなければならないけれど。そこから生還出来る可能性は極めて低い。
だからわたくしはあえて、反逆罪に問われてもおかしくない言葉をぶつけたというのに。
「君が望むなら、いくらでも私の命をやろう」
ふわりと微笑んだ殿下に、思わず息を飲む。何を言ってるの……?
「でもね、フィー。君の本当の望みは違うだろう?」
何も言葉が出てこなくて、目を見開いて固まったわたくしを、殿下はそっと抱きしめた。
「頼むから、私から君を奪わないでくれ」
「どうして……」
「君が真に私のためを思ってくれているのも、私は知っているんだよ」
耳元で囁かれた殿下の優しい声を聞いて、涙が滲む。
大好きな殿下に嫌われてでもわたくしが死にたくない理由は二つあった。一つ目はもちろん、今度こそ人生を最後まで謳歌したかったから。そして二つ目は……殿下に幸せになって欲しかったから。
ヒロインが王子ルート以外の結末を迎えた場合、ディー様は婚約者である悪役令嬢アルフィールの死を嘆き悲しむ。
それは単なる政略結婚の域を超えたもので、愛する者を永遠に失った悲しみに暮れるディー様の姿はジミ恋ファンに衝撃を与えた。ディー様が笑顔になれるエンディングを目指して、多くのファンが最難関の王子ルートに挑むようになるほどにね。
その一方、王子ルートでのエンディングでは、ディー様を傷付けた事に責任を感じたアルフィールが、嫉妬に駆られて魔物寄せの香を使った事を自白する。けれどディー様の温情と、ダークエンパイアドラゴンの襲来など魔物寄せだけでは起き得ない不可解な面もあった事を理由に、その罪は公になる事なく秘密裏に処理される。
そうしてアルフィールはディー様との婚約を解消されるだけで終わり、その後自らの意思で修道院に入って。ディー様は、自身の命を救い、ダークエンパイアドラゴンの浄化という奇跡を起こしたヒロインと婚約する事で、幸せな結末を迎える事が出来ていた。
だからわたくしは、何としてでも死ぬわけにはいかなかった。わたくしは生きて、殿下に別の道を提示しようと足掻き続けてきたのよ。けれどそこまでは、イールトにも話した事はないはずだった。
「まさかそれも、イールトから聞いたのですか」
「いいや。さっきも言ったが、イールトから聞いたのは現れる魔獣の種類だけだ。私が血を流すことも、イールトは言っていない」
「えっ……」
「気にしなくていい。君が口を滑らせなくても、私はそれに気付いていた。エンパイアドラゴンについて、王家には様々な話が残されているんだよ」
……どういうこと? わたくしが知らない、王家の血の意味がまだあるということ?
混乱したわたくしの肩を掴んで。殿下はわたくしと目を合わせた。
「フィー。君が何を選ぼうと構わない。だが私は決して君を離さないし、死なせもしない」
「殿下……」
「君のためなら、私はいくらでも血を流そう。その程度で、共に未来を歩めるなら安いものだ」
とんでもない事を言われている自覚はある。こんな危険な事を言い出す殿下を、わたくしは本来、諫めるべき立場にいる。けれど胸の内を、どうしようもない歓喜が満たしていった。
「何があっても諦めないと、そう仰るのですか」
「そう言っている。私がどれだけしつこい男か、君は嫌というほど知ってるだろう? 君は何も心配せず、私について来ればいい」
自信に溢れた殿下の微笑みに、知らず涙が溢れる。
殿下は、わたくしが誰にも明かさなかった心に気付くほど、わたくしを見ていて下さった。ここまでわたくしを求める殿下に、全てを知った上で任せろと言われたら断る意味なんてどこにも見出せなかった。
殿下はそっとわたくしの顔を両手で包み込み、指先で涙を拭った。
「フィー、私の手を取れ。君が恐れる未来は、私が全て打ち砕いてやる」
「……はい」
震える声で返事をすれば、殿下はわたくしの泣き顔を隠すように力強く抱きしめて下さった。
まだ不安が消えたわけではないけれど。それでももう一人で立ち向かわなくていいんだと、殿下が支えてくださるのだと心が緩んで。ずっと張り詰めていたものを全て手放して、わたくしは殿下に身を委ねた。