76:孤児院に行きました
「こりゃ驚いた! 何したんだい、シャルラ。肩と腰の痛みがなくなってるよ!」
「えへへ。貴族になったから魔法が使えるようになったんですよ」
「魔法! これがかい!」
私がお礼にと女将さんにかけたのは回復魔法だ。魔法を使う際には呪文の詠唱をする事がほとんどだけれど、これは必ず言わなきゃいけないわけじゃない。魔法で一番大切なのは、イメージなのだと学園で教わっている。
魔法は身に宿る魔力を引き出して具現化させるんだけれど、呪文はあくまでもその過程をイメージしやすくするために使うだけだ。だから魔力操作に長けてくると、詠唱なしで魔法を使う事が出来るようになるらしい。
そしてこの呪文だけれど、特殊魔法には決まった形が存在しない。元々、使える人がほんの少ししかいないから、体系化するよりも個人個人でやりやすい形を探した方が早いという事で、呪文は各々が自分で考えるらしい。
特に聖魔法は、魂という目に見えないものから情報を引き出す必要があるから、ほとんどの人が呪文というより祈りのような形で魔法を使うそうで。人を癒すという神秘的な力と相まって、聖なる魔法と呼ばれるようになったんだとか。
そんなわけで私も、相手の体に触れて願えば回復魔法を使えるようになったわけです。今は触れなくても使えるようにする練習中。これがなかなか難しいんだけれどね。
「ちょっとあんた、シャルラの魔法だってよ! 知ってたかい⁉︎」
「知ってるさ。俺はパンを配達した時にかけてもらってるからな」
「なんだって⁉︎ あんたばっかりズルいじゃないか!」
「そう怒るな。俺もやってらうようになったのはつい最近だ」
よほど身体が楽になったのか、女将さんは怒りながらバシバシと親父さんを叩いてる。でもその目はどこか嬉しそうだし、叩かれてる親父さんも笑ってる。親父さんと女将さんは、本当に仲が良い。
回復魔法は練習したくても、疲れていたり痛みを感じたりしている人がいないと成功してるか分からない。わざわざ練習のために怪我をするわけにもいかないし、失敗する可能性もあるから病人相手に練習するわけにもいかない。
だから私はこれまで、イールトさんやリジー、ラステロくん、そして家族みんなに協力してもらって練習してきた。
それでようやく手応えを感じてきた所で、親父さんにもかけさせてもらった。親父さんはすごく喜んでくれたけど、女将さんの事も気にしてた。私がいなくなった分、今まで以上に働くようになった女将さんは、最近肩や腰の痛みに悩んでたんだって。
それを聞いたのもあって、出来る限り早く女将さんに会いにきたかったんだよね。
「女将さん。私、お役に立てましたか?」
「立ったなんてもんじゃないよ。あんたのおかげで助かったよ! シャルラ、ありがとう」
「また来ますから、元気でいて下さいね」
「もちろんだよ。シャルラも無理はしないようにね。この魔法っていうのも、あんまり大っぴらにするんじゃないよ。こんな便利な魔法があるなら、誰かに攫われかねないからね」
「はい、ありがとうございます」
お世話になった女将さんたちに、ずっと自分で出来る何かを返したいと思っていたから、こうして喜んでもらえて本当に良かった。
温かい気持ちで、私は女将さんとしっかり抱擁を交わす。すると親父さんがイールトさんに「シャルラを頼む」と話しかけて。イールトさんが「任せてください」と力強く返すと、励ますようにその肩を叩いた。
もう私は店員じゃないけれど、女将さんも親父さんも私を気にかけてくれている。それが私は、心底嬉しかった。
別れ際、お土産にと焼いてきたクッキーを二人にも渡して。女将さんと親父さんに見送られてパン屋を出ると、私はイールトさんと孤児院へ向かった。
パン屋で働いていた頃、毎週金の日に女将さんと歩いていた道は、久しぶりだったけれど何も変わりなかった。けれどイールトさんと歩くと何だか新鮮に感じられる。
小さな頃の思い出話をしたり、馴染みの野良猫をイールトさんに紹介したりしながらのんびりと道を歩けば、イールトさんは柔らかな微笑みを返してくれた。二人きりの時間はあまりに幸せで、この数ヶ月の慌ただしさで疲れていた心がどんどん綺麗になっていく気がした。
そうして道の先に孤児院の屋根が見えてきた頃。イールトさんがふと思いついたように問いかけてきた。
「孤児院には何人ぐらい子どもがいるの?」
「私が最後に来た時は、確か十七人だったような。もう孤児院を出なきゃいけない子たちもいたので、もう少し減ってるかもしれませんけど」
「そうか。王都の孤児院は何歳までいれるのかな」
「十五歳ですよ。大体みんな、見習いの仕事を見つけて出て行くんです。住み込みじゃない時は、部屋を借りるお金が貯まるまで孤児院から通わせてもらえたはずですけどね」
「十五歳か……。結構早いんだね」
「そうなんですか?」
「お嬢様の付き添いで、メギスロイス公爵領の孤児院にも何度か行ったことがあるんだけどね。向こうは十八歳までなんだよ」
「場所によって違うんですね。……って、あれ?」
話をしながらたどり着いた孤児院には、なぜか見慣れない馬車が止まっていて。首を傾げた私の手を、イールトさんが不意に握った。
「シャルちゃん、出直した方がいいかも」
「えっ、何でですか?」
「それは……」
「ん? 誰かと思えばイールト……シャルラ嬢じゃないか!」
「ゼリウス様⁉︎」
馬車の陰から顔を出したゼリウス様に驚いていると、ゼリウス様は繋がれた私たちの手を見て眉を寄せた。
「……二人でデートか?」
「あ、えっと……」
「ええ、そんなところです」
私はどう答えたらいいかと迷ったけれど、イールトさんはにこやかに即答していた。どうしよう、イールトさんにデートだって宣言された! めちゃくちゃ嬉しい!
「そちらは視察ですか?」
「まあな。孤児院にデートとは……変わった選択だな」
「シャルラ様のお望みでしたので」
「シャルラ嬢の?」
イールトさんの問いに、なぜか喧嘩腰に応えたゼリウス様だったけれど。イールトさんが堂々と返すと、不思議そうに目を向けられた。
今日は秘密のデートなんだけど、イールトさんは隠す気がないみたいだから、これは素直に答えて良いって事だよね。
「私、ここの孤児院によくパンを届けに来てたんです。だから知り合いの子たちに会いたくて」
「そういうことなら、少し待ってくれ。入れるように話をつけてくる」
ゼリウス様は優しい笑みを浮かべると、孤児院の中へ入って行く。そういえば視察でここに来てるって言ってたけど、ゼリウス様が視察に来たわけじゃないって事なのかな?
「あの、イールトさん。私たちここで待ってていいんでしょうか?」
「見つかっちゃったからね。それに、他は護衛の騎士しか連れてなさそうだから、大丈夫だと思うよ」
「護衛の騎士って……」
嫌な予感を感じていると、ゼリウス様が戻ってきた。
「来ていいってよ。今日もお忍びだから、ディー様でよろしくな」
うわあ、やっぱり第一王子の視察だったんだ! 何でイールトさんとのデートなのに、第一王子と会う羽目になってるんだろう!
でもゼリウス様の感じだと、私たちの予定を知ってて来たわけじゃなさそうだし、単純に運が悪いんだろうな。……辛い。
とはいえ、許可を得たのに挨拶もせずに帰るなんて今更出来ないわけで。ものすごく嫌な気分でいっぱいになりつつも、私はイールトさんと手を繋いだまま、ゼリウス様に続いて孤児院へ足を踏み入れた。