72:偽らなければならないなんて(イールト視点)
王宮で話を終えた俺たちは、行きと同じくラステロ様と共に転移陣で学園へ戻った。
時刻は昼近くになっていたが、アキュエリテ翌日である今日はどの店も休みだ。きっと本当はシャルちゃんを昼食に誘いたかっただろうラステロ様は、残念がりつつもまた転移陣で王宮へ戻っていった。おそらく今後の動きについて、王子殿下とさらに詰めるのだろう。
そうして俺とシャルちゃん、リジーの三人だけとなれば、リジーを無視するわけにもいかない。
大事な妹であり、ずっと一緒にお嬢様をお支えしてきたリジーに対して複雑な思いはあるが、他人の目のない今しか話す機会はないわけで。今後協力していくわけだし、馬車乗り場へ向かう間に何かしら話すべきだろう。
正直に言って俺は、リジーがシャルちゃん付きとなった初日からお嬢様を裏切っていたと聞いて、ショックだった。だが同時に、一人で頑張っていたシャルちゃんを支えていたのかと思うと羨ましくも思えて。
何を言おうか散々迷った挙句、色んな葛藤を押し込めつつも、シャルちゃんを支えてくれていた事に礼を言った。
だが……。
「意気地なしの兄様に感謝される筋合いなんてないわ。わたしはシャルラ様の一途な想いに胸を打たれたの。シャルラ様を泣かせるような結果になったら、いくら兄様だって承知しないんだから」
なぜかリジーに睨まれてしまい、返事に困る。
お嬢様のお考えを裏切ったとはいえ、リジーはお嬢様のためにシャルちゃんに協力していたはずだが。いつの間にかシャルちゃんの事も気に入っていたらしい。
腹立たしく感じたが、これなら安心してシャルちゃんを任せられると、自分を宥めた。
そんな俺たちの会話に、シャルちゃんが恥ずかしそうに顔を赤く染める。可愛らしいその顔をずっと見ていたいがそうもいかない。シャルちゃんとリジーを子爵家の馬車に乗せて見送り、俺は一人、馬に乗って公爵邸へ戻った。
お嬢様と移動する時は馬車を使うが、俺一人なら馬の方が速い。本当は風魔法を使って自分の足で走るのが最も速いが、町中でやると事故に繋がるため、そうするのは郊外へ出た時だけだ。そのため俺は、こうして一人で行動する時は、大抵馬に乗っていた。
「ただいま戻りました。お嬢様はどうなさってますか?」
「起きておられますよ。今はお部屋で昼食を取っておいでです」
「分かりました。先に着替えてからご挨拶に向かいます」
「イールト、あなたは昼食は?」
「まだですが、お嬢様にご報告してからにします」
昼休憩を取っていたメイド長に挨拶をして、使用人棟の自室で着替える。
アキュエリテの翌日という事もあり、俺は元々午前中に休みを頂いていたが、昨日の件がある。一夜明けてもお嬢様の精神状態はいいとは言えなかったため、俺はリジーからシャルちゃんの様子を聞いてくるとお嬢様に話し、子爵家に行った事にしていた。
外出着からいつもの従者服に着替え、お嬢様のお部屋へ向かう。リジーが抜けた後、お嬢様は専属メイドを選んでいないが、お嬢様の周りには常に複数人のメイドが控えている。彼女たちに不在にしてた間のお嬢様のご様子を確かめてから、俺は扉をノックした。
「お嬢様、イールトです。戻りました」
「お入りなさい」
公爵邸の二階にあるお嬢様のお部屋は、寝室と衣装部屋、居間の三つに分かれている。てっきりまだ寝室にいらっしゃるかと思ったが、その手前の居間で寛がれていたようだ。
すぐに響いた声に扉を開ければ、少し疲れた表情ながらもきちんとデイドレスを纏い、凛として座るお嬢様の姿があった。
それでもやはり、気にしてらしたのだろう。お嬢様はすぐに人払いをして、本題に入った。
「おかえりなさい、イールト。リジーには会えて?」
「はい。やはりシャルラ様も、お嬢様のことを心配なさっていたそうです。予定通り殿下と踊れたから気に病まないでほしいと、言付かっております」
「そう……。彼女にも悪いことをしたわね。曲順のリストを、パーティー前にもう一度確認するべきだったわ」
「それは私の不備です。気付けず申し訳ありません」
「あなたのせいではなくてよ。あなたを動かすのは、わたくしなのだから」
昨夜のあれは全て殿下が仕組んだ事で、リストを再確認したとしても分からなかった事なのに、俺はそれを口に出来ない。申し訳なさそうに目を伏せるお嬢様を見て、罪悪感が胸に込み上げる。
それでも一切顔には出さず、俺は出来る限り穏やかに声を出した。
「少し順番は狂いましたが、あの時流れていたのは間違いなく運命のワルツでした。それにダンスの最中、殿下から近いうちにお忍びで出かけないかとお誘いも受けたそうです」
「まあ、本当に?」
「はい。ですので王子ルートには入れたのではないかと」
安心させるように微笑めば、お嬢様の表情が微かに緩んだ。何も心配いらないと話すより、こうしてシナリオ通りに動く方が何倍もお嬢様の心を和らげる。悔しいが殿下の言う通り、王子ルートにシャルちゃんがいると偽るのが一番いいのだと改めて思えた。
「曲順が変わったのは、やっぱり強制力なのかしらね」
「お嬢様……」
「殿下の立場を揺るぎないものにしつつシャルラさんとも踊れるように、あの曲は三曲目に変わったんだわ。きっと」
ぽつりと呟かれたお嬢様の言葉に、俺は曖昧な笑みでしか返せない。強制力を恐れつつ、それにどこか安堵するお嬢様を見守るのはとても辛かった。
「やはり王子ルートでしか、お嬢様は救われないのでしょうか」
思わず口をついて出た言葉に、お嬢様は切なげに微笑んだ。
「違うことをして失敗したら、その方が問題なのよ。殿下を失うぐらいなら、わたくしはやはり同じことをするわ」
「ですが、だからといって」
「シャルラさんがいれば、殿下は大丈夫。そうすればわたくしも、身を投げ出す必要はなくなるの。誰も失わないためには、こうするしかないのよ」
王子殿下をお嬢様はこれほどまでに想っていて。だからこそ、ご自身が殿下のそばにいる事を拒み続ける。
そしてその理由だけは、殿下に決して伝えられない。今日だってそれだけは話さなかった。これを伝えてしまったら、お嬢様がもし助かったとしても、殿下の隣に立てなくなるだろうから。
(それでもどこかで気付いてほしいと、お嬢様の痛みも受け入れてほしいと思うのは、過ぎた望みだろうか)
未然に防げるというなら、それに越した事はない。それでもそれがなされるかは分からない。全てを話せないのなら、いざという時には俺が間に入るつもりだ。俺の血で代わりになるはずもないけれど。
(王族とエンパイアドラゴン……どんな関係があるんだろうな)
公爵閣下でも掴めなかった、王家の秘密。ここから先は、殿下方に託すしかない。
「イールト。あなたは最後まで付いてきてくれるわよね」
「もちろんです、お嬢様」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
敬愛する主人を裏切り、偽りを述べる。どうにもならない板挟みに胸が痛むが、これも俺が選んだ道だ。
全てを手に入れるために、今はこの痛みに目を瞑って。俺は静かにお嬢様の部屋を辞した。