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恋に落ちた日(イールト視点)

いつも応援頂きありがとうございます。おかげさまで先日、ブックマークが100を越えました。

御礼の気持ちを込めてショートストーリーを描きましたので、お楽しみ頂ければ幸いです。


本編の続きは今夜投稿を予定しています。どうぞよろしくお願いします。

 子爵家へ向かう馬車の中、泣き疲れて眠ってしまったシャルちゃんの穏やかな寝顔に、愛おしさが込み上げる。まだ表に出すわけにはいかないが、一度は諦めようとした想いを、これからは大切に温められると思うと自然と頬が緩んでしまう。

 自分で思っていた以上に、どうやら俺はシャルちゃんが好きらしいと自覚して。恋に〝落ちる〟とはよく言ったものだと、俺は初めてシャルちゃんと会った時の事を思い返した。



 ◆



 今から三ヶ月ほど前。春が終わり、木々が生き生きと緑を増やし始めていた緑木(オレア)の月、第一(ゴルド)の日。

 晴れ渡る空の下、昼時となった下町にいた俺は、爽やかな陽気とは対照的に疲れ切っていた。


 お嬢様が長年気にされていたヒロインを探し出すべく、下町の馬車通りについて事前に調べ上げていたが。該当する箇所はかなりの数に上り、たった一人で回るにはあまりに広すぎた。

 それでも事情が事情なだけに、人手を借りる事も出来なくて。早朝からただひたすら一人で歩き回っていたが、普段は見ない俺を不審に思ったのだろう。巡回中の警備兵に捕まってしまい、矢継ぎ早に続けられる質問の数々をどうにか誤魔化して解放された所だった。


(早く見つけて帰りたい。休んでる場合じゃないけど……さすがにこのままじゃ無理だ)


 目を離した僅かな隙に、どこかで馬車事故が起きるかと思うと、休憩など取れるはずもない。だが精神的に参ってしまった上に、朝から歩き通しだったため腹の虫が鳴いていた。

 さっさと仕事を終わらせたいけれど、そうもいかなくて。痩せ我慢も限界を迎えて、どこかで一休みしようと考えた時、目に入ったのは一軒の古びたパン屋だった。


(確かあれは、今流行りのバゲットサンドを作った店だったな)


 香ばしい焼き立てパンの香りを通りまで漂わせるそのパン屋には、多くの客が次々に出入りしていて。紙袋を手に出てくる人々は、一様に幸せそうな笑みを浮かべている。

 美味しいと噂には聞いていたが本当かもしれないと、俺の足は自然とその店へ向いた。


(この店なら、心配もいらなそうだし)


 俺はとある理由から、カフェや食品を扱う店に入るのを敬遠しているが、こんな古びた店なら杞憂に終わるだろうと気楽に考えた。

 そうして期待に胸を弾ませながら店へ入ると、カラリとドアベルの音が鳴ると共に、若い女性の元気な声が響いた。


「いらっしゃいませ!」


 その声を聞いた瞬間、表情には出さなかったが、つい眉を寄せたくなった。俺が食品関係の店を避けるのは、女性店員に言い寄られる事が多いからだ。


 普段俺が行くのは、お嬢様が好む茶葉や菓子類を扱う上町の店で、利用する客は貴族や富裕層がほとんどだ。だがそこで働く売り子は平民だ。身分問わず若い女性は見目が良く金を持つ男に群がりがちだが、平民の女性たちは貴族相手ではさすがに尻込みしてしまう。

 その点、従者という立場である俺には声をかけやすいのか、俺はよく店員に言い寄られていた。妹のリジーによれば、どうやら俺はそれなりに()()()部類の顔だというし、貴族家の従者なら実入りも良いと思われるからだと思う。


 大抵そういった店員は、俺に対して過剰に愛想良く振る舞う。中には過度な身体接触を試みる者もいて、正直うんざりしてしまう。

 それだけならまだいいが、他の男性客との対応があからさまに違ったりすると、従者のくせにと難癖を付けられたり、お仕えしている公爵家の品位を疑われたりもするから困る。

 この店の店員も同じ可能性があると思うと、ただでさえ疲れている俺は嫌気がさした。


 だがそんな俺の考えは、すぐに間違いだと分かった。


「シャルラちゃん、いつもの頼むよ」

「はい、ちょっとお待ちくださいね!」


 棚いっぱいに大小様々なパンが並ぶ店内には、昼時という事もあってか多くの客がいる。そのほとんどは、体付きの良い男たちだった。

 庶民の多くは朝晩二食の生活が基本で、日中は小腹を満たす程度のものを軽く摘むだけで終わらせる者が多い。そんな中で、昼食にパンを買って食べるのは、力仕事をしている男がほとんどだから、客層がこうなのも理解出来る。

 かなりの強面が揃っているが、俺と同い年ぐらいの少女は彼らににこやかに対応しつつも、堂々と待たせていて。何をしてるのかと思ったら、カウンターから表に出てきた。


「ごめんなさい、通してくださいね」


 男たちの間を縫って顔を出した女の子の傍らには、薄汚れた一人の老婆がいて。よく入店を許したなと驚くようなその老婆の肩を、女の子はしっかりと掴んで支えながら外へ誘導していった。


「おばあちゃん、これ落とさないように気をつけてね。しっかり食べて元気になったら、また旦那さんと来てね。待ってるから」

「ありがとうねぇ」


 扉を開けて老婆に紙袋を渡して、その背をしっかり見送ると、女の子はパタパタと店の奥へ戻っていって。恐らく手洗いをしっかりしてきたのだろう、エプロンも変えてカウンターへ出てきた。


「お待たせしました! いつものですよね!」


 そこからは、ゴツい男性客を笑顔で次々に捌いていく。楽しげに会話しながら、くるくると動き回るその女の子の姿に、いつの間にか俺は見入っていた。


(さっきのご老人といい、この男たちといい。普通なら嫌がったりもしそうだけど……この子は平気なんだな)


 感情を表に出さない貴族とはよく顔を合わせるが、目の前にいる女の子の笑顔はそれとはまた違う。無理をしていたり取り繕っているわけではなく、常に心を開いてどんな相手も受け入れてるように見えた。

 そんな子は初めてで興味深く、接客の様子はいつまで見てても全く飽きなかった。この店の客が笑顔で帰るのは噂にあるパンの美味しさだけじゃなくて、この子の存在も関係してるのかもしれない。


「お客さん、初めてですよね? どれになさるか決まりましたか?」

「え? あ……」


 気がつけば俺以外の客は店を出ていて。女の子が不思議そうに首を傾げている。そこには媚びを売る様子も何もなく、さっきまで他の客を相手にしていたのと全く同じだ。

 なのに俺は、ホッとするのと同時にどうしてか少し残念に思えた。


「ええと……ここって、バゲットサンドが有名な店だよね?」

「はい、そうですよ。オススメは日替わりサンドなんですけど、それはもう今日の分は売り切れちゃってて。定番のハムとチーズの物か卵ディップを挟んだ物なら出来ますけど、いかがですか?」

「それなら、そうだな。ハムとチーズで頼める?」

「かしこまりました。切り方はどうなさいますか?」

「切り方?」

「一本そのままでも食べれるんですけど、食べやすいサイズにお切りすることも出来るんです」


 女の子は丁寧に商品について説明してくれて。初めて食べるからと伝えれば、美味しい食べ方や溢さないコツなんかも教えてくれた。

 このまま食べ歩きするつもりだと話すと、食べやすいよう包み方も工夫してくれて。至れり尽くせりの対応に、俺は感激しきりだった。


「もう少し早い時間だと日替わりもありますから。お気に召したら、ぜひまた来てくださいね」

「ああ……ありがとう」


 支払いを終えた俺に、女の子はにっこり笑ってくれる。何一つ化粧もしていない素朴なその笑顔が、不思議と綺麗に見えて。うっかり見惚れてしまいそうな視線を引き剥がし、俺はただ頷くしかなかった。


「ありがとうございました! 午後のお仕事も頑張って、いってらっしゃい!」


 見送ってくれる女の子の元気な声を耳にしながら店を出て、歩きながらバゲットサンドをかじる。出来立てのそれは噂通り美味しかったけれど、胸を満たすのは帰り際にかけられた女の子の声だった。


(午後も頑張って、か……)


 女の子の笑顔を思い出すと、お腹の底から力が湧いてくるようで。疲れ切っていた体が、軽くなっていく気がした。


(確かあの子、シャルラちゃんって呼ばれてたっけ)


 お嬢様から言われているヒロインが現れる時は、オレアの月ゴルドの日の日中という事だけだ。それが今日なのか来週なのか、そのまた次の週なのかは全く分からない。

 それでも、もし今日ヒロインが見つからないようなら来週もまたここに探しに来る必要があるわけで。


(また来週もこれを買いにくれば、シャルラちゃんに会えるな)


 一刻も早く仕事を終わらせたいと思っていたはずが、今日見つからなくてもいいと思い始めている自分に気付いて。思わず笑いが溢れたんだ。



 ◆



(初めて会ったあの日に、もう俺は好きになってたんだよな)


 パン屋で元気に働く姿に惹かれて。貴族家に引き取られても戸惑うばかりで、態度の変わらない彼女に好感を持って。

 お嬢様の事を心から心配して協力を約束し、辛い令嬢教育にも諦めずに付いてくるシャルちゃんをまた好きになって。どんどん綺麗になっていくシャルちゃんに、ラステロ様たちが言い寄るのを見て嫉妬に駆られた。


 もうすでにシャルちゃんへの気持ちは、溢れかえりそうなほどたくさん持ってるのに。馬車の中、二人きりの空間で無防備に寝顔を晒すシャルちゃんを見て、苦笑が滲む。


(こんな姿、俺以外に見せないように、後で注意しなきゃな)


 着飾ったドレスと相反する乱れた栗色の髪は、ふわふわと柔らかくて。涙の跡が残る頬はほんのり赤く色付き、薄く開いた唇は桜色。すうすうと寝息を立てているのが憎らしくなるほど可愛らしい。

 いつの日か、彼女を俺だけのものに出来る日を夢見て。今はまずやるべき事をやろうと気持ちを落ち着け、俺は眠るシャルちゃんを子爵家へ送り届けた。

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