65:怒りで我を忘れるなんて(イールト視点)
お嬢様を乗せた馬車を見送りホールへ戻ると、すでに三曲目の中盤となっていた。嫉妬に駆られた女子生徒たちの視線を辿れば、シャルちゃんと王子殿下が見つめ合って踊っている。
それを見た時、どうしようもなく胸が騒ついた。よほど親しい者しか気付かないだろうが、微笑む王子殿下の眼差しにはいつもの力強さがあまり感じられなかったからだ。その顔は、俺にも見覚えがあった。
(殿下は本当に、シャルちゃんに心を開いてるのか)
お嬢様との間を取り持ってほしいと、俺はこれまで何度となく殿下本人から話を受けている。その時の表情に、今の殿下はよく似ていた。
もしそうだとするならば、殿下がシャルちゃんを信用に足る人物だと認めているという事だろう。そして同時に、殿下の心はシャルちゃんではなく、お嬢様に向いたままだという事だ。
(なぜこんな……お嬢様を手に入れたいがために、何をした?)
踊る二人を見ながら、先ほど抱いた違和感を整理していく。
シャルちゃんが殿下のそばにいる事で、殿下が心変わりされたのではと噂が飛び交っているのは知っていた。それを払拭し、お嬢様が不動の婚約者だと示すために、殿下は二曲連続で踊ったのだろう。
だがそれだけなら、曲順の入れ替えなんてする必要はない。そしてそれが必要となる理由は二つだけ。
一つ目は、シャルちゃんが踊れるのは二曲だけだと知っているという事。二つ目は、今日のパーティーで必ずシャルちゃんと踊る必要があると理解しているという事だ。
子爵家の様子は、殿下の配下が時折窺っているから、シャルちゃんについて報告を受けていて当然で。何をどこまで踊れるようになったのかは、知られていても不審ではない。
問題は二つ目だ。なぜ殿下は、シャルちゃんと必ず踊らなければならないと考えたか。
(好意がないなら、いくらシャルちゃんが聖魔法持ちとはいえ、曲順を変えてまで踊る利もないはずだ。シャルちゃんと踊るよう、お嬢様が頼んだのもついさっきだし……)
シャルちゃんに対して特別な感情がないのなら、殿下がお嬢様の意向に沿う形で動くには相応の理由があるはずだった。たとえば、お嬢様がなぜこうもシャルちゃんを勧めるのか、その理由を知っているというような。
すると俺がいるのに気付いたのか、殿下の表情と雰囲気が一気に変わって。シャルちゃんとの仲を見せつけるかのように踊り出した。
(……確定だな)
シャルちゃんと踊って欲しいというお嬢様の頼みに沿うだけなら、ただ踊るだけで充分だ。それなのに、俺を見つけた途端にああも踊り方を変えるという事は、二人が親密である事を俺からお嬢様に伝えさせる必要があるという事だろう。
元々、殿下にシャルちゃんを近付けようとしていると疑いは持たれていた。それを飲み込んだ上でわざわざこんな風に動くなら、それはつまり、お嬢様が懸命に隠されてきた事を殿下が知っている事に他ならない。
(知っているのは、お嬢様と公爵閣下と俺。そしてリジーとシャルちゃんだけだ。閣下が明かすとは思えない。だとしたら……いつ、どこで、どこまで聞き出した?)
嫌な予感が確信に変わり。噴き上がってきた怒りで歪みそうになる表情を、拳を握りしめてどうにか取り繕う。俺はそのままジェイド様の元へ向かい、話があると庭へ連れ出した。
「イールト、どこまで離れる気なんだ。シールドならすでに張ったぞ」
「ありがとうございます。ですが、人目には付きたくありませんので」
ジェイド様には、楽団との接触について尋ねたばかりだ。俺が再び戻ってくるのは想定内だったようで、何の抵抗もなく付いてきてくれた。
いつもなら学生たちが昼食を取るテラスを離れ、庭の奥、木立の影へと足を進める。生い茂った葉の隙間からこぼれ落ちる月光を眺めつつ立ち止まると、ジェイド様は近くの木に背を預けた。
「君が聞きたかったことは、もう答えが出たと思うが」
「ええ、そうですね。まさか曲順を入れ替えるとは思いませんでした。……何のためになさったのですか」
「さあ? 僕は知らないよ。殿下の気まぐれじゃないかな」
表情を変えないまま嘯くジェイド様の目は、楽しげに細められている。俺の予想は正しいはずだが、万が一そうでないなら藪蛇になる恐れもある。どう話を持っていくか、慎重にならなければ。
「お嬢様の具合が悪くなられたのはご存知で?」
「ああ、見ていたよ。もう大丈夫なのか?」
「おそらくは。今頃はお屋敷でお休みになってるでしょう。ですが、今日のこれで殿下のことがより一層お嫌いになるかもしれませんね」
「そうか。あれ以上嫌われるとも思えないが、殿下はショックだろうね。気まぐれもほどほどにするよう、伝えておくよ」
苦笑して答えたジェイド様だが、その直前、ほんの一瞬だけ微かに顔が歪んだのを俺は見逃さなかった。ということは、この結果は意図したものではない……?
「てっきり噂が本当なのかと思ってましたが」
「シャルラ嬢とのか。まあ確かに、彼女は可愛らしいからね。殿下も気になってはいるようだが、あの方がそう簡単にアルフィール嬢の思い通りになると思うか?」
「いいえ、残念ながら。ドレスにも素敵な刺繍を入れるぐらいですからね」
「意図してあの子を寄越していることは、否定しないんだな」
「ええ。そのぐらい見抜いて頂かなければ、次期王の座には座れないでしょう」
「期待してくれてるのか。ありがたいね」
水面下の探り合いでは、全く尻尾が掴めない。ここで一つ、賭けに出る事にした。
「運命のワルツ……これの意味をご存知ですか」
「数十年前に流行った舞踏会での人気曲だろう。かつて、我が国の王子と敵対していた国の姫君が結ばれるきっかけになった曲だ。それが何か?」
当たり障りのない回答。そして動揺も一切見られない。もしこの答えを素直に受け取るなら、リジーの線は消える。
お嬢様は「運命のワルツ」に並々ならぬ思い入れを持っていた。時折自室で鼻歌を歌っては、ジミ恋好きには堪らないのだと頬を染めておられたほどだ。
もしリジーから聞き出していたなら、それを知らないはずがない。
「シャルラ様ですか」
「……シャルラ嬢がどうした?」
「シャルラ様からお聞きになったのでしょう? どこまでご存知なんですか?」
ほんの僅かに、ジェイド様の瞳が揺らいだ。胸の中に押し込めていたドス黒い想いが膨らんでいく。まさかシャルちゃんから聞き出していたとは……。
「彼女に何をしたんですか」
「何をって」
「無理やり聞き出したんでしょう、違いますか⁉︎」
「……っ!」
カッとなったままジェイド様の胸倉を掴み上げ木の幹に押し付けると、ジェイド様のメガネが外れて落ちた。見開かれたジェイド様の目に、怒りの形相を浮かべた俺の顔が映り込む。
(彼女に何かあったら……俺は俺が、一番許せない!)
今こうしているのは、半分以上八つ当たりだと分かっている。ジェイド様のお立場なら、シャルちゃんを怪しんで、目的を聞き出そうとして当たり前なんだ。
だというのに俺は、何度もシャルちゃんを殿下の元へ送り込んできた。俺の目の届かない所でどんな目に遭ってたのかと想像すると、視界全てが真っ赤に燃えて塗り潰されるようだった。
すると制御の効かない俺の手を、ジェイド様が苦しげに掴んできた。
「無理やりじゃない。同意の上だ」
「同意だって⁉︎」
「君も好きなんだろう、彼女のことが」
「今話してるのはそんなことじゃない!」
「彼女は言ってたよ、イールトが好きだって。だから協力してほしいって」
「な……」
力が抜けると同時にジェイド様に突き飛ばされる。転びそうになった所でどうにか耐えると、ジェイド様はメガネを拾い上げた。
「気持ちを確かめるだけのつもりだったんだが……。殿下、もういいですよね?」
「ああ、充分だ」
横から響いた声にハッとして目を向ければ、王子殿下とラステロ様、ゼリウス様の姿が。そして……。
「シャルちゃん……」
顔を真っ青にしたシャルちゃんが、ゼリウス様に支えられるようにして、呆然とした様子で立ち尽くしていた。
*次話が短めなため、明日は朝と夜の二回投稿となります。