36:続・王子様と話しました
魔法の使い方は、王国では学園で学ぶものだ。今日入学したばかりの私が、魔法でイールトさんを助けたと話しても、簡単には信じてもらえないだろう。私だって、本当にやったのか記憶にないんだから。
でもイールトさんが嘘をついたとは思えないから、きっとこれは事実で。他に納得してもらえるような理由もないし、このまま押しきるしかないんだ。
「私は魔法を使ったなんて、覚えてないんです。でも、私は聖魔法に適正があって。母さんを庇って怪我をしたイールトさんを、治したみたいなんです」
「聖魔法か。確かに公爵家が囲おうとする理由になるな。その場凌ぎの嘘にしては上出来だが、簡単に裏は取れるぞ?」
「本当のことです。ついさっき受けた魔力テストでも言われましたから!」
「……そうか」
何だろう。第一王子の顔が一瞬、苦々しげに歪んだように見えた。シルクハットおじいちゃん像の長話とか思い出したのかな?
「イールトを助けた礼と、バゲットサンドの話を聞くために、彼女は貴様の後ろ盾になったと。そう言うんだな」
「はい。そうです。うちのお屋敷に、定期的に親父さんのパンを届けてもらうことになってて。それをアルフィール様にもお裾分けするって約束しました!」
本当は約束なんかしてないけれど、このままとにかく押し通すんだから。
私は堂々と胸を張って、第一王子と向かい合う。すると第一王子は、何かを考え込むように目を伏せ、口角を上げた。
「よし、いいだろう。君の話を信じよう」
ここは喜ぶべき所なんだろうけれど。私の呼び方が変わってるし、第一王子の美しい笑顔がなぜか不気味に見えるし、素直に喜べない……!
「だがその前に、もう一度だけ聞く。裏庭にいたのはなぜだ?」
「あ、ええと、その……せっかくだから校舎を見ていこうと思って歩いてたら、迷っちゃったんです! それで帰れなくて困ってたら、ここで本当にやっていけるのかなって、だんだん不安になってきちゃって」
「それで蹲っていたと?」
「はい。そうです」
この言い訳は、アルフィール様と打ち合わせて作ったお話だ。もし第一王子から声をかけられなかった時にも、迷子を理由にこちらから声をかける事になっていた。銀髪の、とんでもない美男子だから一目で分かるって言われてたんだよね。
「だからといって、あそこまで震えるものか?」
「殿下、そこは信じていいと思いますよ。彼女の手はかなり冷えてましたし、震えていたのは寒さも関係しているでしょう。そうまでしてあんな場所に留まる理由は他にないかと。……シャルラ嬢。かなりの時間、あそこにいたんだろう?」
「どのぐらいかは、よく分かりません。時計を見てなかったので」
「今はもう寒気は治ったかな?」
「はい、おかげさまで。ここはだいぶ暖かいので、助かりました」
ジェイド様が言い添えてくれたけれど、あの時震えてたのはゼリウス様が怖かったからだ。寒かったけれど、さすがに震えるほどではなかったし。
それでも気にかけてもらえて嬉しかった。微笑んで応えたら、ゼリウス様が気まずそうに頬をかいた。
「なんだ、そうだったのか。てっきり何か、良からぬことを企んでるのかと思ったが、寒さで震えてたとは。悪かったな、気付いてやれなくて」
「いえ、気にしないで下さい。ゼリウス様はお役目を果たしただけでしょうから」
「お役目? なぜ分かる?」
「王子殿下には護衛役の学生が付いていると、アルフィール様から伺ってたんです。ゼリウス様は剣をお持ちなので、その方なのかなって思ってました。違いましたか?」
「いや、合ってる。学園内での帯剣は俺だけ許されてるんだ。不測の事態にも対応出来るようにしないと、護衛といえないからな」
ジェイド様もゼリウス様も、ずっと私を警戒していただけで、根は良い人たちなんだろう。さっきまでより、私を見る目がだいぶ柔らかくなった気がした。
そんな事を考えていると、第一王子が組んでいた足を下ろし、身を乗り出した。
「それなら、モルセン子爵令嬢。君は今日、迷子になった所を私に助けられた、ということになるな?」
「ええと……はい。そうですね」
「つまり君は、私に恩が出来たわけだ」
組んだ両手に顎を乗せて、機嫌良さそうに微笑む第一王子は、パッと見ただけなら惚れ惚れしそうなほど綺麗だ。
でも話してる内容といい、さっきまでの態度といい、私は騙されない。アルフィール様は、理想の王子様だと話してたけれど、私には全然そう思えないから。
「王子殿下は、私に何をお望みですか?」
「別に何も。君はアルフィールと親しいのだろう? 今日、私と会ったことを、そのまま彼女に伝えてくれさえすれば、それでいい」
ああ、そうか。第一王子はアルフィール様の事が好きだから、尋問のように問いただされたって話されたら困るよね。
だから本当はまだ怪しいと思ってるけれど、これ以上追及しないから話を合わせろと。そう言われてるんだろう。
あれ? でも、それなら……。
「分かりました。王子殿下に助けて頂いたと、お伝えすればいいんですね」
「そうだ」
「でも本当に、それだけでいいんですか?」
私だってパン屋の看板娘として、お客さんたちとたくさんやり取りしてきたんだから。言葉にしていない要望を汲み取る事は出来る。
アルフィール様は第一王子との婚約を解消したがってて、でも第一王子はアルフィール様が好き。そんな人が、たったそれだけで恩返しに満足してくれるなんて思えなかった。
(ただ黙って聞き入れるだけじゃ、一見さんで終わっちゃう。こっちからも提案しないと、常連さんは増えないもんね)
真っ直ぐに見返してみれば、第一王子はそれはそれは良い笑顔を浮かべていて。
「彼女が目を付けるだけあるな。君みたいな子は、非常に好ましいよ」
うわあ……。言うんじゃなかったかな。入っちゃいけない沼に足を踏み入れたような気がして、背筋に震えが走った。
それでもここで頑張れば、第一王子から信用してもらえるようになるかもしれない。だから私は、勇気を出して話を続けようとしたんだけれど。
不意にどこからか、キラキラと緑色に光る蝶が私たちの間に飛び込んできた。
「うわっ……魔法?」
光の蝶はジェイド様の手元にふわりと降りると、パッと弾けて消えてしまって。その代わりに、ジェイド様の手には折り畳まれた紙が残されていた。
「そう。これは伝書魔法だよ。……殿下、時間切れのようです」
伝書魔法は、一年生が最初に習う魔法のうちの一つだ。イールトさんから学園の授業内容を教わった時に、私も見せてもらってた。
イールトさんの伝書魔法は小鳥の形をしてたけれど、蝶々の形もあるなんてビックリだよ。魔法って自由に形を決めれたりもするのかな。それなら私は、どんな伝書魔法にしよう?
一人でワクワクと考えを巡らせている間に、ジェイド様が受け取った手紙を第一王子も確認したようで。第一王子は、ふっと笑って立ち上がった。
「モルセン子爵令嬢。君の迎えが来ているようだ。続きはまた近いうちに話す。それでいいな?」
「はい。分かりました」
やった! また第一王子と会う約束を取り付けた!
喜びのまま大声で叫びたかったけれど、どうにか平静を装って立ち上がる。イールトさんに教えてもらった淑女の仮面を、頑張って使わないとね。
ゼリウス様が先頭に立ち、第一王子と私、そしてジェイド様という並びで空き教室を出る。迎えが来たって言ってたけれど、どこに連れて行かれるんだろう?
というか、誰が迎えに来たのかな。兄さんには先に帰ってもらうように話してたし、アルフィール様やイールトさんとは明日会うお約束をしてたんだけれど。
聞いてみようかどうしようか。迷いながらついて行くと、いつの間にかまた裏庭に出ていた。
「そろそろ来る頃だな」
第一王子が言ってすぐ、ガサリと低木の揺れる音がして。目を向けてみれば、額に汗を浮かべて荒い息を吐くイールトさんと目が合った。