18:家族と打ち解けました
家族総出でアルフィール様をお見送りした後。エントランスには、生温い空気が漂った。
「マリア、ありがとう。疲れただろう?」
「ジャック……私はちゃんと出来てた? 失礼じゃなかったかしら」
「大丈夫だ。完璧だったよ」
アルフィール様の訪れは、私だけでなく父さんにとっても緊張する出来事だったようで。公爵家の馬車が見えなくなると、父さんはホッとした様子で母さんを抱きしめた。
仲が良いのは素敵だけれど、キスまでするから目のやり場に困る。
二人だけの世界が突然出来上がってしまったけれど、一緒にお見送りに出ていた執事さんたちは綺麗に見ないフリをしていて。兄さんは柔らかく微笑んでいた。
「シャルラもお疲れ様だったね」
「はい。ありがとうございま……っ!」
兄さんは父さんたちからさり気なく目を逸らすと、私を労ってくれた。けれど不意に、空腹に耐えかねた私のお腹が「キュルル」と大きな音を立てた。
「シャルラはお昼を食べてなかったからね。お腹が空いたろう? 楽な服に着替えて、食事にしようか」
「すみません……。そうしてもらえると、すごく助かります」
笑いを堪えながらも、兄さんは優しく私の手を取って。アンヌさんに引き渡してくれた。
そうして着替えを終えた私は、アンヌさんに案内されてダイニングへ向かった。夕食には少し早い時間だけれど、父さんたちも一緒に食事を取ってくれるらしい。十人ぐらい座れそうな長テーブルには、四人分のカトラリーが並べられていた。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
「私どもにそのように丁寧に仰る必要はございません、お嬢様」
「はい……」
執事さんに椅子を引かれて、そっと腰を下ろす。お姫様みたいだと静かに感動する私に、執事さんは貴族の食事に必要な最低限のマナーを教えてくれた。
(そうだった。父さんたちも、貴族なんだった……)
失敗の許されない相手をお迎えするという、緊張した時間を一緒に乗り切ったからだろうか。父さんたちに抱いていた心の壁は、いつの間にか消えていたみたい。
アルフィール様の前じゃなくても、やらなきゃいけないことはたくさんあるのだと、今更ながら気が付いて。ようやく食事にあり付けると気を抜いていた分だけ、さらに疲労が溜まった気がした。
でもそんな私にも、救いの手はあって。
「ロバート。シャルラも疲れているはずだ。教育は明日からでいい」
「旦那様……かしこまりました」
着替えを終えた母さんを連れてやって来た父さんの一声で、執事のロバートさんは下がっていった。
「シャルラ。淑女になるためには、色々と覚えなければならないことがある。だが今日は気にせず、好きなように食べなさい」
「えっと、いいんですか?」
父さんたちと一緒に、兄さんもダイニングへやって来ている。私が兄さんを窺うと、兄さんはニッコリと笑った。
「僕も構わないよ。今日ぐらいはゆっくりして、明日から頑張ればいい」
「ありがとうございます!」
なんて優しい父と兄なんだろうか。身体は空腹を訴えていたけれど、緊張した夕食になれば喉を通らなかっただろう。私は二人の寛大な言葉に、躊躇わず飛びついた。
父さんたちに感謝しつつ、明日からは必ず頑張ろうと心に誓って、初めて食べる料理の数々を堪能していく。
父さんと兄さんは指先一つ一つまで動きが綺麗で、音を立てる事もない。対して私と母さんは、上品とは程遠い食べ方しか出来なくて。私に至っては、絶対に高級品だろうお皿に傷を付けないよう気をつけているのに、どうしてもカチャカチャと音が立った。
それでも父さんたちは、顔色ひとつ変えないでいてくれて。家族になってくれたのがこの二人で良かったと、心から思えた。
(もしゲームの通りになってたら、私はどうなっていたんだろう?)
食事の合間に、ついさっき聞いたばかりのアルフィール様のお話が頭を過る。
ジミ恋では、母親を事故で亡くしたヒロインを、貴族の父親が引き取るんだよね。最愛の人を死なせてしまった悲しみの中、一人残った娘を受け入れるとしたら……。
(うん。きっと今以上に大事にされるんだろうな)
目の前には、母さんの口の端に付いたソースを甲斐甲斐しく拭う父さんの姿があって。もし母さんが死んでいたとしたら、あの重たいぐらいの愛情に後悔も追加されて私に向くのだろうと、簡単に想像出来た。
「父上も母上も幸せそうだよね。二人が再会出来て良かった」
「そうですね、本当に」
仲睦まじい二人を盗み見ていたのは、私だけじゃなかったみたい。
しみじみと言った兄さんに、私は口にした料理を飲み込んで応える。兄さんは、ふっと微笑んで私を見つめた。
「シャルラもあんな風にされたい?」
「え⁉︎ 私もソース付いてますか⁉︎」
「いや。残念だけど付いてないよ」
揶揄うように兄さんに言われると、気恥ずかしくなってしまう。でもこれもきっと、私が食事を気楽に出来るようにという、兄さんの優しさなんだろう。
もし母さんが死んでたら、この人も私をもっと甘やかしていたのかもしれない。母さんが死んでしまったら、私はきっともの凄く落ち込んでいただろうから。
「兄さん。もしかして私を口説こうとしてますか?」
「はは。気付かれちゃったね」
「自惚れかもしれないとも思いました」
「大丈夫。当たってるから」
楽しげに笑う兄さんの周りには、まるで光が舞ってるみたいだ。ジミ恋で遊んでいた女性たちが、ヒロインを通して兄さんとの恋を楽しもうとするのも、分かる気がする。
これが攻略対象の持つ魅力なんだろうな。他の攻略対象も、みんな兄さんみたいな感じだとしたら……。
(私には無理っ! 目が焼け死んじゃうよ!)
太陽を直接見たら、目が見えなくなるんだから。こんなキラキラした人たちに囲まれたりしたら、生きていける気がしない。
(ヒロインの私は、なんでそんな人たちと恋が出来たんだろう。母さんが死んじゃって、目がおかしくなってたりしたのかな? でもそもそも、王子様と恋するなんて恐れ多いと思うんだけど。……それでも私が王子様と結婚しないと、アルフィール様が死んじゃうんだよね。いったいどうしたら……)
頼み込まれた事を思い出し、ふと胸が重くなる。それが顔に出てしまったのか。兄さんが心配そうに首を傾けた。
「シャルラ、疲れたかな。お腹いっぱいなら、デザートはやめにして先に休むかい?」
「デザート⁉︎ それは食べたいです!」
「それならいいけど、無理はしないでね」
「無理じゃありません。……アルフィール様とのお話を思い出してしまっただけなので」
「ああ……。大変だったよね、急に。たくさん緊張しただろう?」
「はい」
私が神妙に頷くと、兄さんは慰めるように微笑みを浮かべた。
「ドレスを着るのも初めてだったろうに。頑張ってくれてありがとう」
「兄さん……」
「シャルラには感謝してるんだ。おかげで公爵家と繋がりを持てたから」
「あれ? 兄さんとアルフィール様は、お知り合いだったんじゃないんですか?」
「顔と名前は知ってるけど、挨拶以外で話したことはないよ。学園内では一応、身分差はないってことになってるけど。本当にそうするわけにはいかないから」
貴族のマナーは色々とあって。その中には、爵位が下の人間は、上の者から声をかけられるまで話しかけてはならないというものがあるらしい。
でも王立学園のルールは、そういった貴族のマナーと違った部分があるそうだ。
学園は魔法の扱い方を貴族の子どもたちに教える場所であり、緊急時には戦力として動けるように訓練する場でもある。
戦う時には、身分より実力の方が大事だから、いざという時に実力が上の者の指示に従えるようにと、学園内独自のルールが設けられているらしい。
それなのに、本当には出来ないってどういうことなんだろう?
「学園のルールがあるのに、それをやっちゃいけないんですか?」
「身分差がないっていうのは、あくまでも立場が上の人間が考えることなんだよ。自分より下だと思う人間の指示にも、必要に応じて従え、という意味なだけだ。だから僕たちが、それを勘違いして上の人間に無礼な振る舞いをするのは間違いなんだ」
「……難しいですね」
兄さんの話を聞いて、ふと思う。
攻略対象だという王子様やその側近になる人たちは雲の上の存在過ぎて、ヒロインがその人たちに恋する気持ちが分からなかったけれど。もしかしてヒロインの私って、この辺りを勘違いしてたって事なのかな。
(だからって、それでアルフィール様から王子様を奪っちゃうとか……。ヒロインの私、何しちゃってるの)
私からすれば、あり得ない事だと思うけれど。それをしろとアルフィール様から言われてるんだよね。頭が痛い。
「シャルラは平民だったからね。分からなくても仕方ない。でも貴族は、本音と建前の使い分けが大事だ。ゆっくり覚えていくといいよ」
「はい。そうします」
「分からないことがあったら、いつでも聞いて。僕も教えるから」
「ありがとうございます、兄さん」
これも口説きの一環なんだろうけど。それでも兄さんは良い人だと思う。でも私が好きなのは、イールトさんだっていうのは変わらないんだけれどね。
きっと本音と建前とは、こういうものなのだろうと何となく思いながら、私は素知らぬ顔で、ニッコリと笑みを返した。