15:お嬢様に頼み込まれました
「死なずに……? どういうことですか?」
掠れた声で問い掛ければ、アルフィール様はひどく切なげに微笑んだ。
「乙女ゲームの悪役令嬢について話したけれど。ジミ恋は少し変わってるの。ジミ恋の悪役令嬢アルフィールには、没落も追放も幽閉もなくて。ヒロインが王子ルートに進むと婚約は破棄されるけれど、殿下の温情を受けてそれだけで終わるわ。その代わり、他の攻略対象のルートだと死んでしまうのよ。ヒロインのあなたがディライン殿下を選んでくれないと、わたくしは生きられないの」
「嘘……」
縋るようにイールトさんに目を向ければ、イールトさんは苦しげに口を引き結んでいた。
「残念だけれど、本当よ。ジミ恋の攻略対象者は、全部で五人いるけれど。殿下以外をあなたが選べば、わたくしは死ぬことになる」
辛そうなイールトさんを横目に、アルフィール様は、ふわりと微笑んだまま話を続けた。
ジミ恋の攻略対象は、第一王子ディライン殿下の他に四人いるそうで。その内三人は、学園で出会う事になるらしい。
「攻略対象のうち三人は、殿下の側近候補よ。そしてもう一人は、あなたもすでに会っているわ」
アルフィール様の言葉にドキリとする。もしかして、イールトさんが攻略対象だったり……?
けれど私の予想は、すぐにハズレだと分かった。
「わたくしも今日、思い出したのだけれど。あなたの義理の兄、ミュラン様が攻略対象の一人なのよ」
「えっ」
「ミュラン様は一番難易度が低いのよ。他の攻略対象との恋愛ルートに入れなかった時、無条件でミュランルートになるの。ゲームのラスト、一年生の終わりにヒロインは誰かと必ず婚約を結ぶことになるのだけれど。その時、ノーマルエンドとなる相手がミュラン様ね。ミュランルートは一度しかやってなかったから、完全に忘れていたわ」
乙女ゲームの攻略対象者は、みんな美形ぞろいだとアルフィール様は言っていた。そう考えれば、兄さんが攻略対象なのも納得出来る。それに……。
「だから、兄さんとの結婚話があったんだ……」
「えっ……! もうその話が出たの⁉︎」
「は、はい……」
ぼそりと呟くと、アルフィール様の目がクワッと開かれてビックリした。
「ミュランとの結婚話が出るのは、学園祭が終わってからのはずだけれど。母親が生きているから、シナリオが変わったのかしら?」
アルフィール様は何か考え込むように、ぶつぶつと独り言を言っていたけれど、すぐに納得したように頷いた。
「まあそれなら、わたくしの話が嘘ではないとあなたも分かるでしょう? 何もなければ、そのままあなたはミュラン様と結婚することになるわ」
「そ、そんなの困ります!」
「良かった。ミュラン様が好きだと言われたら、困ってしまうもの」
ホッとした面持ちでアルフィール様は話すと、表情を引き締めた。
「わたくしは生きていたい。前世で全う出来なかった人生を、ちゃんとやり直したいの。だからお願いよ。シャルラさん、ディライン殿下を選んで」
「アルフィール様……」
「殿下は本当に素敵な方よ。必ずあなたを幸せにしてくれるわ」
アルフィール様がどれだけ第一王子を好きなのかは、この短い時間で充分過ぎるほどに伝わっている。それなのに、好きな人を私に勧めるなんて、どれだけ辛い事だろう。
私が思わず唇を噛むと、アルフィール様は慈愛に満ちた声で、けれど切なげに言葉を継いだ。
「でもこれは、あなたの未来に大きく関わることだから。返事は急がないわ。学園に行く日まで、よく考えてみて」
「はい……」
六日後に私が問題なく入学出来るよう、明日からアルフィール様が様々なサポートをしてくれるそうだ。それでもし気持ちが固まれば、入学前日により詳しいジミ恋の内容と、第一王子ルートの攻略法を教えてくれるらしい。
けれど私には、そこから先の話はほとんど頭に入ってこなかった。
(自分の命が掛かってるのに、アルフィール様は私の事を考えてくれている。こんなに優しい人なのに、死なせるなんて出来ないよ。でも、だからって私が王妃になるなんて無理だ。どうにか出来ないの……?)
私がぐるぐると考えているうちに、アルフィール様は用事が済んだと考えられたのか、呼び鈴を鳴らした。
リンとベルの音が響くと、程なくしてメイドさんたちと父さんたちが部屋へ戻ってきた。
「モルセン卿、お待たせしてごめんなさいね」
「いえ。娘との話は弾みましたか?」
「ええ、おかげさまで。入学が楽しみね、シャルラさん」
「あ、はい……」
お昼も食べず、紅茶しか飲んでいなかったからか、なかなか考えがまとまらない。
私がボンヤリとする中、父さんたちはアルフィール様と言葉を交わす。その様子を眺めつつ無意識にイールトさんの姿を探せば、イールトさんは明日以降の話を伝えてるんだろう。部屋の入り口付近で、この家の執事さんと話し込んでいた。
「では、アルフィール嬢。お見送り致しますよ」
「僕がエスコートしましょう。お手をどうぞ」
「ありがとう」
ひとしきり話を終えると、父さんは母さんを連れて。兄さんはアルフィール様をエスコートしつつ、お見送りのために玄関へ向かった。
私は一人、少し遅れて立ち上がったけれど、足にうまく力が入らない。ふらふらとしながらも部屋を出ようとすると、廊下へ出る前に、ぐらりと身体が揺れた。
「あっ……」
「危ない!」
絨毯に足を取られて転びそうになったけれど。咄嗟に伸ばした手に触れたのは床でも壁でもなく、細身だけれどガッシリとした胸板で。私はふわりと、柑橘系の香りに包み込まれた。
「……っ! イールトさん、ごめんなさい!」
私を支えてくれたのは、執事さんと話していたはずのイールトさんだった。いつの間にかお話は終わっていたみたいで、茶器を下げていたはずのメイドさんたちの姿もなく。部屋に残ってるのは、私とイールトさんの二人だけだった。
「俺は大丈夫だよ。足は捻ってない?」
「はい、どうにか」
「きっと疲れたんだね。大丈夫? 見送りに行けそう?」
「大丈夫です。行きます!」
「無理はしないでね。良かったら、俺に掴まって」
イールトさんは心配そうに言いながら、エスコートするかのようにごく自然に腕を差し出してくれた。私はぎこちないながらも、アンヌさんに教わった通りに手をかける。
イールトさんはやっぱり優しくて。私が転ばないように気をつけながら、歩調を合わせてくれた。
「シャルちゃんは、ドレスもヒールも慣れてないよね」
「ええと……すみません」
「責めてるわけじゃないよ。よく頑張ったねって言いたかったんだ」
疲れた心を労るような、イールトさんの柔らかな声が胸に沁み渡る。アルフィール様がそばにいないからか、イールトさんはいつもの話し口調で。私は心の底からホッとした。
「私、ちゃんと出来たでしょうか。失礼のないように、頑張ってはみたんですけど」
「バッチリだよ。たった一晩でこんなに素敵なご令嬢になってて、驚いた」
きっと私は、相当疲れているんだろう。イールトさんの優しい言葉に、じんわりと視界が滲んだ。
「それにね、シャルちゃん。ずっと言いたかったことがあるんだけどさ」
「……はい。何ですか?」
「そのドレス、すごく似合ってる。……可愛いよ」
溢れそうな涙を堪えるために俯いて目を瞬いていたら、イールトさんは不意打ちで囁いてきた。耳元に響いた吐息混じりの声に、一気に全身に血が巡って、カッと頬が熱くなる。
思わずイールトさんから手を離して、耳を押さえて顔を上げれば、イールトさんは、くすりと笑った。
「だからほら、元気出して。ちゃんとごはん食べなきゃダメだよ?」
「イールトさん……分かるんですか?」
「まあね。俺はいつものシャルちゃんを、知ってるから」
イールトさんは苦笑すると、私の顔色を確かめるように、手袋をはめた手でそっと頬に触れてきた。
「慣れるまで時間はかかるかもしれないけれど、貴族の暮らしも学園での勉強も、シャルちゃんなら出来るよ。俺とお嬢様もサポートするから。自信持って。ね?」
「は、はいっ!」
真っ直ぐ見つめられながらそんな事を言われたら、ただ頷くしか出来ない。きっと真っ赤だろう顔を見られたくなくて、私は逃げるように先を急いだ。
(どうしよう。やっぱり私、イールトさんが好き……)
イールトさんはアルフィール様を助けたいから、私を慰めて応援してくれてるだけだろう。それでも「貴族の令嬢になれるよ」って、「自信を持って」って言われたら、地味な私にもチャンスがあるかもしれないと期待してしまう。
アルフィール様を救うためには、この気持ちを表に出しちゃいけない。でも沸々と湧き上がる気持ちは、どうにも止められなかった。
(せっかく貴族になったんだもの。告白もせずに諦めるなんて、したくない。ヒロインだと言われたって、乙女ゲームなんてものに負けたくないよ)
どうしたらいいのかなんて、何も思い浮かばないけれど。それでも足掻きたいと、イールトさんとアルフィール様を乗せた馬車を見送りながら、私はギュッと両手を握りしめた。