14:王子様をお勧めされました
「あ、あの……。私に何が出来るか分かりませんけど、恩返しは精一杯させて頂きます」
母さんの命を救ってもらった恩は計り知れなくて、私なんかが何をしたら返せるのか想像もつかない。それでも私は、震えそうになる声をどうにかこうにか絞り出した。
私は貴族の娘になったけれど、だからって特別何か出来るようになったわけじゃない。
得意なのは掃除や洗濯で、料理は人並み。パンの仕込みなら手伝ってきたから、一応は出来る。でも、貴族のトップにいるアルフィール様には、メイドさんもコックさんもきっとたくさんいるはずだし、お金も権力も何でも持ってるはずだ。
私が何をしても及ばないと思うけれど、アルフィール様から恩返しを求められるという事は、何かさせたい事があるのかもしれない。
これから一体どうなるのか、ハッキリ言って怖くて仕方ない。それでも、もらうばかりで何も返さないなんて、したくなかった。
するとアルフィール様は満足そうに、ふわりと微笑んだ。
「そんなに怯えなくていいのよ。あなたの幸せに繋がることだから」
「私の幸せ、ですか?」
「ええ。あなたに頼みたいのは、ディライン殿下との結婚なの」
「……は?」
あれ? おかしいな? 聞き間違いかな?
「す、すみません。うまく聞き取れなかったのですが……」
「何度でも言うわ。大事なことだもの。あなたに頼みたいのは、ディライン殿下との結婚よ」
どうやら、聞き間違いではないらしい。でもだからって、飲み込めるようなものではなくて。衝撃に引き攣る私に、アルフィール様は不思議そうに小首を傾げた。
「あら、お嫌なの?」
「い、イヤとかそういう問題じゃなくて……」
「ディライン殿下は素敵な方よ。美の神が顕現なさったようにお美しい方だし、小さい頃から身に付けられた立ち振る舞いも完璧。民を想う優しい心を持っていて、魔力も強い上に剣の腕も凄いの。まだ立太子はされてないけれど文武両道な方だから、将来は賢王になるとみんなに期待されているわ。あなたも一目見れば気に入るはずよ」
第一王子の魅力を語るアルフィール様の熱量が物凄い。これは冗談でも何でもなく、本気なんだとヒシヒシと感じた。
でもね……。兄さんから求婚されて断ったばかりなのに、なんで今度は王子様をお勧めされてるのかな⁉︎ どんな美形もお金持ちも、私には関係ないのに!
そもそも母さんが事故に遭ってから、あまりに多くの事が起きすぎた。
父さんが現れて突然貴族の娘になれと言われ、兄さんから求婚されて、アルフィール様とお会いするために慣れないドレスを着せられて。
学園には来週から行かなきゃいけなくなったし、アルフィール様からはヒロインと呼ばれて、挙げ句の果てに王子様と結婚するよう言われる。
あり得ない事ばかりが続いて、私の心は悲鳴を上げていた。
(私が好きなのはイールトさんなんだよ。毎週パンを買いに来てくれて、何の取り柄もない私に笑いかけてくれて、母さんを命懸けで助けてくれたイールトさんの事が、私は好きなの!)
あまりの事に叫び出したくなるけれど、イールトさん本人がいる前で言えるわけがない。
イールトさんはというと、無表情ではあるけれど、どことなく暗い佇まいで話の成り行きを見守っている。
イールトさんがどんな気持ちでいるのか、ちょっぴり気になったけれど、今はそれどころじゃないから。暴れる胸の内を必死に抑えて、私は出来る限り冷静に応えた。
「私が気に入るとか以前にですね。第一王子様は、アルフィール様のご婚約者なのでは?」
「そうよ。でも殿下とわたくしの婚約は、なくなるから」
「な、何でですか⁉︎」
「あなたがヒロインで、わたくしが悪役令嬢だからよ」
思いがけないアルフィール様の言葉に、私は完全に固まった。
「アルフィール様が、悪役令嬢……?」
「ええ。地味で目立たず、努力しなければ何も手に入らないヒロインに対して、地位も美貌も全てを生まれながら持っている悪役令嬢。それがわたくしなの」
普通なら嫌味に聞こえるような話も、アルフィール様が言えば何の違和感もなかった。
悪役令嬢の役割は、ヒロインの前に立ち塞がる事。だからどの乙女ゲームでも、悪役令嬢の力や美しさは抜き出ているというのは、ついさっき聞いたばかりだ。
アルフィール様は貴族のトップ、メギスロイス公爵家のご令嬢で。第一王子との婚約を抜きにしても、その地位は王族の次に高く、美しさは言わずもがな。そこだけ聞けば、確かに悪役令嬢に相応しいといえるだろう。
けれど私には到底信じられないし、認めるわけにもいかない。だってアルフィール様が悪役令嬢なら、婚約破棄とか幽閉とか、悲しい運命が待ってる事になるんだから。
いつもの私なら、貴族のお嬢様に歯向かうなんて絶対しないけれど。これだけは、どうしても譲る気にはなれなかった。
「そんなのあり得ません。アルフィール様が悪役令嬢なわけないですよ」
「まあ。どうしてそう思うの?」
「アルフィール様が悪役令嬢で私がヒロインなら、アルフィール様は私にイジワルをするんですよね? でもアルフィール様は、母さんを救ってくれました。秘密だって打ち明けて下さったんです。そんなことするはずがありません」
「そうね。わたくしは、あなたを虐めるつもりなんてないわ。むしろ、あなたが王妃に相応しい女性になれるよう、全力で支えるつもりよ」
「それならやっぱり、悪役令嬢なわけないですよ!」
話を続けるうちに、だんだんと頭に血が上る。けれど必死に訴える私に、アルフィール様は余裕ある笑みで応えるばかりで。じわりじわりと胃の底から、不快感が込み上げてきた。
「アルフィール様は、王子様のことが好きなんですよね? お優しいアルフィール様のことを、王子様だって好きなはずです。お二人の婚約がなくなるなんて、信じられません!」
「少なくともわたくしは、殿下のことをお慕いしているわ。でもね、ジミ恋の悪役令嬢は間違いなくわたくし、アルフィール・メギスロイスなの。そしてあなたはヒロインで、ディライン殿下は攻略対象よ。だから殿下の気持ちはこれから変わって、この婚約はなくなるのよ」
「もしそうだとしても、どうして私が王子様と結婚しなきゃならないんですか! ヒロインだなんて言われても、私は王子様と結婚したいなんて思いません!」
「だから頼んでいるのよ。あなたに殿下を選んでほしいから」
「何でそんな! そんなの、恩返しになんかならないじゃないですか!」
「なるわ。わたくしは、死なずに済むもの」
ヒステリックに叫ぶ私に突きつけられたのは、淡々としたアルフィール様の声。予想外の話に、私はヒュッと息を飲んだ。