1:私はパン屋の看板娘
恋愛長編、始めてみました。
一日一話ずつ更新予定ですが、時々複数回になる時もあります。
完結までコツコツ書いていきます。よろしくお願いします!
何の香りが好きかと聞かれたら、女の子の多くはきっと花や香水の名前を言うと思う。
でも私が一番好きなのは、香ばしいパンの匂い。
そして、美味しそうなパンを見て笑顔になるお客さんを見るのも私は大好き。
「お待たせしました。ご注文のレッドサンドです」
「おっ、うまそうだ。シャルラちゃん、ありがとな!」
「午後も頑張ってくださいね」
パンを包んだ紙袋を手に、常連のお客さんたちが店を出て行く。私、シャルラの働く下町のパン屋は、今日も盛況だ。
カラリとドアベルの音を立てて重い樫のドアが閉まると、厨房から焼き立てのパンの香りがふわりと漂ってきた。
「よし。いい焼き色だ」
「シャルラ。手が空いたなら、こっちを手伝っておくれ」
「はーい!」
七歳で働き始めた時には届かなかった作業台も、十五歳となった今は足場なしで自由に使える。
ほつれてきた髪を頭に巻いた布に入れ直すと、カウンター裏に置いてあるミトンをはめた。厨房に足を踏み入れれば、大好きなパンの香りでいっぱいだった。
親父さんと女将さんと私。大きな作業台を三人で囲んで、まだ熱いパンの個数を数えながら蓋付きの藤カゴに並べていく。これは金の日の恒例行事だ。
毎週ゴルドの日は、近くにある孤児院にパンを届けに行く。これは注文品じゃなくて、親父さんの寄付なんだよね。
子ども好きな親父さんと女将さんだけれど、二人の間には子どもがいない。孤児院から養子を迎えようかとも考えたけれど、一人には絞りきれなかったみたい。
だからせめて、子どもたちに少しでも美味しいパンを食べさせたいと、十年ほど前から届けるようになったそうだ。
そんな子ども思いのご夫婦だから、母さんを助けるために働きたいと頼み込んだ私のことも雇ってくれた。まだ小さくて、大して働けなかった私を。
私には父がいない。母さんとの二人暮らしは貧しいもので、八年前は冬を越すのも苦労した。
小さな私を育てながら出来る仕事は限られていて、母さんは長年、レース編みの内職をしていた。でも、仕事先の店主が病で倒れて亡くなり、そのまま店ごと潰れてしまった。
職を失くした母さんには、身元を保証してくれる人もいなくて。雇ってくれる真っ当な店は、なかなか見つからなかった。
毎朝仕事を探しに出かける母さんを見送り、隙間風の吹く小屋のような家で帰りを待つ私は、いつもお腹を空かせてた。
あまりのひもじさに耐えかねて、ふらふらと外へ出たある日。パンの匂いに誘われて、七歳の私はこのお店にやって来た。
よだれを垂らしそうになりながらお店を見つめていた私に、優しい女将さんは焼き立てのパンを恵んでくれて。あの時のパンの味は今も忘れられない。
あまりの美味しさに感動した私は、母さんにも食べさせてあげたくて。でもお金はないから、働かせてほしいと頼んだ。それが、ここで働くようになったきっかけ。
親父さんと女将さんには感謝してもしきれないから、少しでも恩返ししようと、それ以来精一杯働いている。何せ私の取り柄は、明るさと元気しかない。私の見た目はすごく普通で……いわゆる地味なものだから。
ここ、ラスキュリオ王国では、赤や黄、青、緑などカラフルな色合いの髪や目の人が多い。私の母も、綺麗な金髪と緑色の目をしている。
それなのに娘の私は、髪も瞳も地味な茶色。その上、顔かたちにもこれといった特徴はなく、町を歩けば景色に溶けてしまうようなものだ。
私が美少女だったなら、呼び込みとかでお店に貢献出来たかもしれないけれど、そんなのは無理だから。来てくれたお客さんに元気いっぱいの笑顔を見せて、丁寧に接客するようにしている。
私に出来るのは、そんな小さな事だけだけれど。それでも長年続けたおかげか、今では看板娘なんて言われるようになって、お客さんも増えた。でも、まだまだ恩返しには程遠い。
だから仕事中は、よそ見なんてしちゃいけないんだけど……。
(あの人、まだ来ないなぁ。いつもゴルドの日に来てくれてたのに。やっぱり、この前パンの説明し過ぎちゃったからかな? ちょっとでも長くいてほしいからって、馴れ馴れしくし過ぎだったよね。でもあの人、本当にカッコいいんだもの。もし今日来てくれたら、もうちょっと控えめに……)
「シャルラ。やっぱり気になるのかい?」
「ええと、ごめんなさい」
手を動かしながらも、チラチラと店の入り口を見ていたのを、女将さんは気づいていたみたいだ。恥ずかしくて申し訳なくて、顔が熱くなる。
思わず俯いたけれど、女将さんはどうにも逃してくれなかった。
「謝らなくていいんだよ。あんたも年頃になったんだ。そりゃ、気になる男の一人や二人出来るさ。それに、あの子はなかなか良い男だと思うよ」
「別に私、そういうわけじゃ」
「いつもなら来るはずの時間に来ないから気になるだけ、とでも言う気かい?」
「そ、そうです! 何かあったのかなって、少し気になっただけで」
「あの子が来るようになって、まだ一ヶ月だろう。うちの味に飽きたのかもしれないし、そう心配するほどじゃないと思うけどね」
ニヨニヨと笑う女将さんの目を、どうしても直視出来ない。親父さんは眉間のシワを深くしているけれど、助けてくれそうにない。
どうにかして話を逸らそうと考えていると、不意にカラリとドアベルが鳴った。
*曜日は、月、火、水、木、金、土の六つ。