始まり-2
わたしたちが出発したのは、その翌々日。荷物は服とお気に入りの本、バイオリンくらいなので、車付きのかばんひとつで十分だった。あと必要なものは村でそろえられるだろう、と母様。
馬車を使うというからそれなりに遠いところかと思ったけれど、それほどでもなかったらしい。一時間ほどで到着した。
降り立ったのは、緑の農地が広がる村。ぽつんぽつんとかわいらしい木造りの家が並び、村の真ん中を大きくはないが小さくもない川が流れている。輝きぐあいからして、かなりきれいな水のようだ。
この川が、きっとこの村の農地に恵みを与えてくれているんだろう。第一印象は「のどかなところだなあ」だった。
母様は、迷う様子もなく一軒の家にむかって歩いていく。
出てきたのは、ちょっとぽっちゃ・・・いえ、しっかりめの体格のおばさん。
「あらあら、リノさん、お久しぶり。そして、こっちがユリンちゃんね。話は聞いてるわ」
おばさんがにっこり笑ったかと思うと、いきなり手をがしっとつかまれ上下にぶんぶん振られたので、わたしは思わず肩がびくっ。
「あ、あの・・・」
「あら、ごめんなさい。ちょっと驚かせちゃったかしら。私はサト。リノさん・・・あなたのお母さまには、昔から仲良くしていただいてたのよ」
「よろしくお願いします・・・あの、わたし、村の皆様にはだいぶご迷惑をおかけするかも・・・」
「分かってるわ、魔法のことでしょう?大丈夫よ、私から村のみんなにお話しして、ご理解をいただけるようにするから。安心して」
「ありがとうございます・・・」
「この村には、今空き家が何件かあるの。あなたにはひとまず私の家に泊まっていただいて、どこがいいか選んでもらうことになると思うわ」
「ユリン。私はサトさんと詳しいお話をつけたいから、ちょっと待っていなさい」
母様がそう言って、二人は家の中に入っていった。
見回して見ると、あちらこちらで農地を耕す人々の姿がある。やっぱりこの村は、農業が中心になっているようだ。傾き始めた日に照らされて、青々とした山々が美しい。
畑のそばに植えられた木の下にも、人影があった。小さいから、どうやら子供かな。でも、あれ?あの子、どこかで見たような・・・
気になって近づいてみると、え?あの子の頭にあるあれ、小さいけど・・・角?ってことは・・・
「ルリちゃん?」
木を見上げていた女の子が振り向いた。そしたら、もとから丸い目がさらに真ん丸に。
「あ、この間のおねえちゃん!ユリンちゃんだったっけ」
「ルリ、どうしてここに?」
「あたしがお世話になってる村だけど」
ええ?すごい偶然!
「木を見てなにしてたの?」
「うん・・・」
なにか歯切れの悪い返事をして、ルリは足元に視線を落とす。
行ってみると、そこにはチイチイと声をあげる、なにやら小さいふわふわした姿が。
「あ、鳥のヒナ?そうか、巣から落ちちゃったんだ・・・」
「何とかしてあげられないかなあ?」
巣は木の高いところ。きっと親鳥だろう、枝から動かずに心配そうに鳴いている。
幹に足をかけてみると、うわ。皮がかなりつるつるしてる。
「のぼるのはちょっと、厳しいかもね・・・」
「でも、このままじゃかわいそうだよ。死んじゃうよ」
ああ、なんか、くりくりの目がうるうるし始めた・・・
これじゃあ、どっちもかわいそう・・・
「な、泣かなくても大丈夫だよ。・・・何とかするから」
「どうやって?」
しまった・・・
こうなったら仕方ない。わたしは両手でヒナをすくい上げた。
ふわりと、手の中でヒナの体が浮き上がる。親鳥はますます激しく騒いでいる。
ごめんね、でも大丈夫だから。慎重に、慎重に・・・
ヒナはゆっくりと上がっていき、やがて木の上の巣におさまった。
「ね?大丈夫だったでしょう」
「すごい!鳥さーん、助けてもらえてよかったねー!」
ルリが顔を輝かせ、木に向かって手を振る。わたしも思わずほおが緩んだ。
なんか、胸の奥を柔らかい羽根がくすぐってるみたい。
と、そのとき。
「ユリン」
振り返って、体がこおりついた。
母様が立っていた。唇をきゅっと真一文字に引きむすび、まゆの端を上げて。目に鋭い光を宿して。
「見せたの?その子に」
「こ、この子とは前に会ったことがあって、魔法のことも知ってるよ、だから・・・」
「そういう問題じゃないわ。あなた、本当に分かってるの?」
母様の後ろで、サトさんがおろおろした様子になっている。
「人は、自分の知らないものを怖いと思うもの。うかつに人前で魔法を見せたら、どうなると思う?あなたを受け入れてくれる人と、恐れてそばにいて欲しくないと思う人と、はたしてどちらが多いかしらね」
「そ、それは・・・」
「もしうっかり魔法で誰かにけがをさせてしまったりしたら、もう取り返しがつかないって、分かるでしょう。あなたの居場所は本当になくなる。自分が普通じゃない、場合によっては危険だってことを、ちゃんと自覚しなさい」
普通じゃない。場合によっては危険。
この間も言われたことだったけれど、なぜか今回は、どかーんと、わたしを巻き込もうとする崖崩れの岩みたいに、襲いかかってきた。
一言一言が、わたしの心を打ち砕こうとしているみたいに。鋭い刃物のように。
ぼっと、顔が熱くなる。ばくばくと、心臓が暴れ始める。
「なんで。木から落ちたヒナを助けるのが、そんなに悪いの。なんとかして助けたいって、母様でも思うでしょ。それと同じじゃないの?」
のどの奥から、声をしぼり出していた。
「あなたの場合は、悪いこともあるわ」
「だから、それがどうして?わたし、みんなと変わらないよ」
な、なに言ってるんだろ、わたし・・・でも口から出てくる言葉は止まらない。
「みんなと違うところもあるかもしれないけど、わたし、それだけじゃないよ。同じところもあるよ。ただ、みんなには出来ないことができるってだけじゃない。みんなだって、それぞれ違うところがあるのとおんなじじゃない。それじゃだめなの?」
母様は、ただ黙ってわたしを見ている。
ど、どうしよう。わたしの口、全然止まらない・・・
「母様は、どうしてそんなに魔法が嫌いなの」
「・・・あなたは知らなくていいことよ」
その答えを聞いて、わたしの心の中の悪魔は、ますますむくむくとふくらみ始めた。
「よくない。ねえ、なんで?どうして?うわさをたてられるのが嫌なの?あのリノって人の子は魔女だって、そう言われるのが嫌なの?」
「落ち着きなさい。興奮したって仕方がないわ」
「もしそうなら、母様は、わたしがいない方がよかったって、そう思ってるの?」
---しまった!!
そう思ったときには、もう遅かった。
母様の顔が、まるで水が一瞬で氷になるみたいに張りつめた。
口元が血がにじみそうに引きむすばれて、目じりとまゆの端が見たこともないくらいに上がる。もともと色白の顔から、紙のように色がぬける。整えられた黒髪が、いまにも逆立ってきそうにさえ見えた。
「そう思うのは、あなたの自由。でもね、たとえなにかあった後でどんなに後悔したところで、過ぎた時間はどうしたって戻らない。それだけは、変えられない事実よ」
恐ろしいほどに、静かな声だった。
でも、この期に及んでも、わたしの心の中の悪魔は止まらなくて。
「なによ。あなたが一番、わたしと会うの、嫌がってるくせに。もう知らない!」
あぜんとしているサトさんとルリを無視して、わたしは車付きのかばんをがしっとひっつかみ、足音荒くその場を立ち去った。
いらだちに任せて歩き、たどり着いたのはあのきれいな川だった。
小石だらけの川岸に、ひざをついてうずくまる。
言いすぎた。それは分かってる。
でも、とっさに口をついて出たってことは、あれはきっとわたしの本心なんだ・・・ますます、自分がいやになる。
あたりはもう夕暮れの気配だった。だいだい色の光に照らされて、きらきらと水面が輝いている。
そしてその底の見えるような流れの中に、沈んだ表情のわたしがいた。
風になびく、栗色の髪。色は違うけれど、まっすぐで量が多めの髪質は母様ゆずりだ。
--余計に、みじめな気分だった。
こういうとき、わたしがやることはたいてい読書かバイオリン。
車付きかばんから黒い箱を取り出し、さらにその中からバイオリンを出して立ち上がった。
あごで本体を固定して、弓をにぎり、弾き始める。高いけれど心地良い、惹きつけられる音色が、深くわたしの耳に響く。
音のひとつひとつが、冷え始めた空気に吸いこまれていくようだった。
目の前の清流に、空を染める夕日に、もえる山々に、農地に、音色がとけこんでいく。わたしの心と一緒に。
もしこの音色が本当にこの川に乗って流れていくとしたら、それを受け取る人ははたして何を思うだろう。
曲が終わった。両腕を下ろし、ふうとため息をつく。
パチパチパチパチ
「え?」
突然の拍手に振り向くと、銀髪の若いおねえさんと、小さな角を生やした女の子が立っていた。
「シノラさん、ルリちゃん・・・そっか、ここ、あなたたちの村でしたっけ」
「お見事でした。才能あると思うよ、ユリンさん」
にっこり笑って、シノラさんが言う。でもわたしは、思わず目をそらしてしまった。
「・・・ルリから聞いたわ。お母さまと、けんかしちゃったのね」
「・・・」
「まあ、ここじゃなんですから、私の家に入ろうか」
シノラさんが指差す丘の上を見て、驚いた。
「え?あれがシノラさんの家ですか?大きい・・・!」
目に映っているのは、立派なレンガ造りの建物。
目を丸くしているわたしに向かって、シノラさんが微笑みながら言った。
「近くまで行ってみると、どういうところかよく分かると思いますよ」
二人に連れられて丘を上がっていくと、やはりそこそこ大きめの建物だった。入り口の扉もつくりがしっかりとしていて、一軒家というよりはちょっとした集合住宅か、なにかの施設のようにも見える。
す、すごい。シノラさん、こんなところに住んでるんだ・・・
がちゃん、と取っ手が回される音がして、シノラさんが扉を開ける。
「どうぞ」
中に進んで、わたしはさらに息を呑むことになった。
建物の中は、本、本、本。ところ狭しと棚が並べられ、それぞれにぎっしり詰まっている。古い本、新しい本、物語、専門書・・・それなりの数だ。
すみには机と椅子もいくつか置かれていて、奥には小さなカウンターのようなところもある。
「ここはいったい・・・」
「ここは、この村の図書館。あなたが暮らしてたあの街の中心部に、大きな図書館があったでしょう。あそこからときどき人が来て、少しずつ本を入れかえていくの。私は、まあ、ここの管理人ですね」
「ここに住んでるんですか?」
「もとは村の地主さんの家だった建物を、改造したものらしくてね。上の階は管理の人が生活できるようになってるわ」
「あたしが読みやすいような本もちゃんとあるよ」とルリ。
へえ・・・図書館としては小さいかもしれないけれど、十分に立派だ。少しずつでも本が入れかわっていくなら、毎日飽きずに来られるかもしれない。
「ユリンさんは、本を読むのが好きなんですか?」
「え?どうしてわかったんですか?」
「だって、ここに入ったら瞳がきらきらし始めたもの」
くっくっと、シノラさんが笑う。美しい白銀の髪をかき上げて、並べられた椅子に腰を下ろした。
「まあ、私も本が好きだから、この役目をしているんだろうけれど。・・・ところであなたは、今日はなんのご用でこの村に来たのですか?」
「・・・」
また少し、ずんと胸が重くなったけれど、わたしはこれまでのことを一つ一つ、シノラさんに話した。
これからこの村で過ごすことになったこと、ルリの目の前で魔法を使ったこと、それを母様に注意されて、思わずかっとなってしまったこと・・・
「思わず暴走しちゃったわけですね・・・」
「はい・・・」
話せば話すほど、どろどろとなにかいやなものを飲み込んだような気分になる。
本当にわたしは、どうしてこんな中途半端な生まれかたをしたんだろう・・・
母様にとっては、わたしはやっぱり厄介者なのかな・・・
「でも、これからこの村で暮らすんでしょ?とりあえずでも気持ちを切り替えないと、なにも始まらないと思うよ」
心配そうな顔で、ルリが言った。
「うん・・・分かってる」
「それでこれから、住む場所を選ぶわけですね」
あごに手を当てて、なにやら考えこむ様子になるシノラさん。
「そうだ!あなた、ここの住まいを使う気はありませんか?」
「ええ?」
突拍子もない言葉に、わたしは思わず顔を上げる。
「実は私、しばらく村から出なきゃいけない用があって。長くかかるかもしれないから、その間代わりにここを管理してくれる人はいないかなあって、考えてたんです。ユリンさん、お願いできませんか?」
ええ?ええええ?
「でも、わたし、まだ子供だし、仕事なんてやったことがないし・・・」
「大丈夫ですよ。他の村では、あなたくらいの子が、お小遣い稼ぎのためにやってる仕事だから。本の貸し出しと、入れ替えのときのお手伝いをする。それだけの仕事です」
「じゃあ、あたしもお手伝いしていい?」
なんと驚いたことに、ルリまでもが目を輝かせ始めた。
「今は村の人のおうちに交代で泊めてもらってるけど、ずっとそうするのも申し訳ないし。あたしも、一緒にここを使っていいでしょ?」
「ええええええ?」
ルリちゃんと、ここに?な、なんか、話がどんどんとんでもない方向に進んでるような・・・
「上の部屋はだいぶ余ってるから、私の部屋をそのままにしておいてくれれば、ルリちゃんと一緒でも全然大丈夫ですよ。・・・ユリンさん、あなたには、この村になじむきっかけがいるのではないですか?」
わたしは、黙るしかなかった。
だって、こちらを見てくるシノラさんの青い瞳は、真剣そのものだったから。
「でも、そんなに長く出かける用事って、いったい・・・」
「いいんじゃない?」
そういう声がしたかと思うと、扉を開けて入ってきたのは、サトさん。
「リノさんは帰ったわ・・・あなたをよろしくって。ともかく、この図書館は村のいろんな人が使うから、みんなにユリンちゃんのことを知ってもらえるし、ユリンちゃんもみんなのことを知ることができる。そうでしょう?ルリちゃんも、聞き分けのいい良い子なのよ」
「・・・」
わたしは、これまでのことについて考えてみた。
今まで、あまり人と関わらないようにしてきた。この村に来たのも、ここにいる人があの街よりも少ないからなのだ。母様の言葉は、言い方は厳しいけれど、中身は決して的外れじゃない。
そこを考えると、わたしがこの村になじむのは、はたしてどこまで許されるのだろう。
けれど・・・
棚にぎっしりと並ぶ、本を眺める。
わたしは、本が好き。バイオリンが好き。それは、間違いのない事実。
並んだ文字を追ったり演奏したりしている間は、いやなこと全部忘れられる。今までずっとそうだった。
そうか、と思った。
わたしがこの村の仲間になれてもなれなくても、この場所はわたしの力になってくれそう。
好きなものにいつでも触れられるのは、わたしにとってありがたいことかもしれない。
わたしはきっと、この先もずっと、この魔力と向き合い続けなければならない。これからどう生きるか、どういう道を選ぶか、ここで考えてみるのも悪くない。
「分かりました・・・やらせてください。これから、お世話になります」
「やったあ!よろしくね、ユリンおねえちゃん!」
ルリがわたしに抱きついてきて、わたしはうわ、とつい声をあげてしまった。
ご、ごめん。驚いただけで、嫌だったわけじゃないから。
顔を上げると、そんなわたしたちを見て、サトさんとシノラさんの二人は穏やかに微笑んでいた。
次の日にはもう、シノラさんは荷物をまとめて出かけていってしまった。明日から、図書館の番はわたしの役目だ。
ーーこれからこの村で、どんなことが待っているのだろう。
床の中で風の音を聞きながら、わたしはぼんやりとそう考えていた。
ゆっくり続けていこうと思います。頑張れ、自分・・・(震え声)