幼馴染との別れ
その日の夜。
生暖かな風が、ふわりと僕の頬を撫でる。優しげな虫のせせらぎと、川の穏やかな音が、僕の心を静めてくれる。
ナーラ村。
アリサにとっては生まれ故郷で、僕にとっては第二の故郷。
ここは隣町と違い、日が沈めば静かなものだ。普段は子どもたちで賑わう広場も、いまは人っ子ひとりいない。全員が文字通り眠ってしまったのだろう。
「……もう、そろそろか」
木陰に隠れるようにして、僕は彼女を待っていた。
待ち合わせ時間まで、あと十分ほどか。
時間にルーズなあいつのことだ、たぶん数分ほど遅刻する。これくらいは想定内だ。
――が。
「ごめん、待ったー?」
僕の予想を裏切って、彼女は遅刻することなく登場。しかも……
「アリサ……。なんだ、その格好は……」
「え……。これ? あはは」
なぜか目を泳がせて照れている。
アリサといえば、真冬でも半袖に短パン、男でも呆れるほどのワイルドさに定評があった。色気もへったくれもない、それこそ少年のような服しか着ていなかったのに。
いまの彼女はまったくの別人。
清楚風なワンピースなんかを羽織っていて、かなり調子が狂う。しかも元々はスタイルがいいため、女性としての部位が強調されている。
「……なんかさ、リアたちに《今日くらいは女らしく!》って言われちゃってさ。そ、その、レシュアに呼び出されたわけだし……」
セリフの後半部分が妙に掠れていた。しかもなぜか、あのアリサが頬を染めてもじもじしているではないか。
「…………?」
なんだ。
なにを勘違いしている。
僕はただ……一方的に別れを告げにきただけなのに。
――魔族による急激な接近。
それは間違いなく、今後アリサたちを巻き込みかねない。
だから家を出ることにしたんだ。
義母はいないし、義父もわけあって長期間家を空けている。唯一関わりのあるアリサにだけは、このことを告げようと思っていた。
理由はわからない。
黙って出ていってもいいはずだ。
でも……できなかった。せめて彼女にだけは伝えるべきだと、僕のなにかがそう訴えていた。
僕は目を伏せ、数秒だけ黙りこむと、いままでずっと脳内でシミュレーションしていた言葉を紡ぎ出す。
「……あのさ。僕……出ていこうと思うんだ。この村から」
「…………」
しおらしかった彼女の目が、一瞬にして凍り付く。
「――え?」
「正直さ、もううんざりなんだ。君の暴力に耐えるのは」
正確にはこれが理由ではない。
――が、彼女に本当の理由を言っても納得しない。それは僕が一番よくわかっている。
誰よりも強くて負けず嫌い――それがアリサ・ユーファスという女の子だから。
「え、え? なに言ってるの?」
「だから言ってるだろ。君の暴力に嫌気が差した。さよなら……だ」
「…………」
彼女はすっと黙り込む。
その表情は、いままで見たことないくらい悲しそうで。
いままで一度も泣いたことのなかったアリサが、いまにも目を赤く腫らしていて。
なぜだろう。
よくわからない。
だけど、僕のなにかも同時に痛みを感じた。
とてもやってはいけないことをしてしまった気がするけれど、その正体がまったく掴めない。
「……う、嘘よね?」
数秒後のアリサの返答がそれだった。
「だって、昨日までずっと仲良くしてたじゃない。楽しく仕事して、遊んで、帰って……」
「そうか。君はあれが楽しいと思っていたのか」
「へ……」
「僕の気持ちにもなってくれよ。毎日のように蹴られて殴られて……そんなの、君だったらどう思う」
「…………」
「だから、さよならだ。アリサ」
「そ、そんな……」
言いながら、僕はちらりと彼女の背後を見やる。
――やはりいた。
人質のつもりか知らないが、彼女の周囲をずっと影がうろついていたのだ。当然のごとく、彼女は奴の存在に気づいてもいない。
だから、奴の前で別れを切り出す必要があった。
アリサは人質にはなりえない、僕の忌み嫌っている人間であることを伝えるために……
僕の企みが成功したのだろうか。
影はつまらなそうに舌打ちをかますと、物陰にすっと消えていった。
本当にどうかしている。
僕が、彼女のためだけにこんな一芝居を打つなんて。
「……アリサ。そういうことだから――」
「……うん! よくわかったわ!」
今度は一転して明るい声を出すアリサ。
「レシュアがそう決めたんなら、あたしはなにも言わない。いままでごめんね。あはは……」
快活な声を出す彼女だが、その身体はいつになく震えていて。表情が態度に追いついていなくて。
だから僕はまたしても正体不明の罪悪感に駆られたが、こう言われてはぐうの音も出ない。
「いままでありがとうアリサ。――どうか、君だけは生きて」
「……へ」
目をぱちくりさせる彼女を尻目に、僕はそそくさと村を出ていった。
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