ウイルスには気をつけて
「そんな、急に休校って言われてもねー、休校だからって友達と一緒にどっか行っていい訳じゃないし、こんなの春休みじゃないよー!」
「良いじゃないか。家でゴロゴロできるんだから」
「えー! つまんないー!」
由香がこたつの中で体を器用に回転させながら暴れている。
このごろ流行りのコロナウイルスのせいで春休みが多くなってしまった。それ自体は良い事なのだが、由香は友達と出かけたかったらしい。
雨姫はこたつの端にちょこんと座って、黙ったまま由香とテレビを見比べていた。
「良いだろ、別に。一人の時間だってこういう機会じゃないと大切にできないだろ?」
「おにーちゃんには一人の時間しか無いじゃん!」
「俺の心の傷にダイレクトアタックするのはやめなさい。あとおにーちゃんにも友達の一人や二人ぐらい居る」
ピタリと由香の動きが止まる。
何か言い返そうとしているのかと思って見ていると、由香はスマホを眺めていた。
スマホは小刻みに揺れて音を立てていた。
「あ、もしもしー!」
「......なんだ電話か」
その時、由香がちらりとこちらを見て席をたった。
そしてそそくさと別室に入り、ピシャリとふすまを閉めた。
俺はその行動に何か違和感を感じざるを得なかった。
「怪しい」
「......何が?」
「雨姫も見ただろ? 俺の顔を見て別室に行くのを。我が妹は友達とリビングで電話するのを恥だと思うような女では無い。そんなデリカシーのあるような女じゃないんだよ」
「気まぐれ......?」
「いや、あれは何か俺に聞かれてはまずい内容だったんじゃないか。多分そう。十中八九そうだ」
俺の疑いは確信に変わり、雨姫は俺の疑いを歯牙にもかけない様子でテレビを眺めていた。
このごろ雨姫は自分の考えを持って接してくれるようになった。それは嬉しいはずなのだが、もう少し自分の考えも聞いて欲しいとも思ってしまう。
もどかしい。
「電話覗いてみたいと思わないか?」
「......悪趣味」
と言いながらも、雨姫も少し気になっている様子だったので、少し襖に聞き耳を立ててみることにした。
冷たい襖のざらついた感触。耳に当たってヒヤリとする度、背徳感を掻き立てる。
由香のいつもより少し高めの声が聞こえてきた。
「......うん。分かった! 良いよ別に、大丈夫! じゃあまたね。夜かけ直すから」
電話が切れたと分かった瞬間に慌ててこたつの中に潜り込む。慌てながらも音はさせないように、慎重に元いた席へ潜り込む。
由香は名残惜しそうな顔をして戻ってきてこたつの中に入る。俺たちは何事もなかったかのような顔をしてテレビを見ていた。
無論、心中としては心ここに在らずである。
「何? 二人とも。そんなにテレビがつまらないならチャンネル変えれば良いのに」
「いや、全然。面白いよなぁ」
「うん」
「そう? ニュースなんか見ても、やってるのはコロナウイルスのことばっかりだよ?」
いつの間にか見ていたバラエティ番組は終わっていて、映し出されていたのはニュース番組であった。テレビには総理が映し出されていて、学校を休校にしたことを野党から場当たり的だのなんだのと言われていた。
そして画面は切り替わり、テレビのコメンテーターが対応が遅れすぎていると貶す。
「総理も大変だな。対応をもっと早めた方がよかったって言われたり、もっと考えてからした方が良かったって言われたり。しなかったらしなかったで文句言われるだろうし」
「別にそんなことどーでも良いよー! 私は先輩の卒業式出られなかったんだよー!?」
「出たかったの?」
「そりゃ出たかったよー! 先輩ともロクなお別れ出来てないもん!」
由香がうだうだとそう言っている。
俺には別れを惜しむ先輩は居なかったな、なんてことを思いながら、鼻をほじる。
だが由香は時折憂いの表情を見せた後、スマホを覗いてまたため息を吐いていた。
イベントはほとんどのものが無観客、卒業式に至っては校長の話ですら短縮版だったらしい。あの長い話を短くできるコロナウイルスは一体何のチートなんだ、と思ってしまう。
だが俺はこれがチートでは無いことを知っている。
新型コロナウイルスと呼ばれているこのウイルスは、正確に言えばCOVID-19という名前のコロナウイルスの特殊変異型である。元々コロナというのは王冠という意味があり、コロナウイルスが集まった形が王冠のように見えるとか見えないとか。
感染力はそこまで強くないし、症状も比較的軽いのだが、だからこそ自分がかかっていることに気づかず対処が遅れてしまう。
新型というのは誰も抗体を持っておらず、さらにこの菌に関しては未だ明確な対処ができる薬が出来ていないということもあり、パンデミックが起こる可能性を危惧して国が色々と対処しているのだ。
「マスク買い占めだって。大変だねー」
「このごろは盗難も起きてるらしいからな。うちの家はマスクを先んじて買っていたから大丈夫だったけどな」
マスクの高額転売や盗難、更には喧嘩まで起きている映像が流れている。
マスクにはコロナウイルスを防ぐという効果はあまりない。そもそも量産型のマスクの網目よりウイルスの方が小さいなんてことはわかっている。
マスクというのは、空気を漂うウイルスをマスク内の高い湿気に触れさせることによって、ウイルスを入ってこさせなくするものである。
コロナウイルスの場合は飛沫感染。エアロゾル感染という微妙に空気感染に近いものも引き起こすみたいだが、あまりマスクが必要という訳では無い。
「もっといえば、ウイルスというのは生物かと言われるとそうでも無い。人の細胞内の遺伝子を取り出し、遺伝子を自分のモノにコピーすることで増殖する、言わば無機物的な存在と言ってもいい。その構造が壊れることを死とするならば、菌とは大きく異なって」
「うんちくが漏れ聞こえてるよ。友達も居ないとこんなに独り言が大きくなっちゃうの?」
「今のは俺もそんな気がした」
まさか俺のうんちくが漏れているとは思わなかった。
由香が指摘しなかったら気づかなかったかもしれない。恐ろしい。
そんな間も由香は淡々とスマホをつつき続けている。
俺は老害ではないのでスマホをつつくのが悪いとは思っていない。
一日十時間触ろうが、別に不思議なことでは無いと思っている。
昔の人は、長電話をしたりテレビを見たり、ゲームをしたり、色々なことにそれぞれ時間を割いていた。だがスマホはそれらのことが全て出来るようになったのだ。
それらの時間を足した時間がスマホを扱う時間になったって何ら問題は無い。
それは良いのだが問題は、由香が頻繁に席を立っては座るのを繰り返しているということである。しかもこちらの様子を気にしながら席を立つのである。
これは何かあるに違いない。
男か、それとも男か、はたまた男か!?
由香は、一人で百面相する俺を見ながらはぁと長い溜息を吐くのだった。
厄介なお兄ちゃんだなぁ......
それはそれとして、みなさんもコロナウイルスには気をつけてくださいね。少なくとも近隣で一番最初にかかると、気まずい雰囲気になるので十分に気をつけて下さいね。