なれるものにしかなれない
俺はこの場から逃げ出そうとしなくなった男と共に教室にいた。
毒が出ているからとかそういうことが問題なのではなく、この男を励ますのは自分の使命だと感じたからだった。
小日向さんに励まされた俺が今度は誰かを励ます。
今この人を励ませるのは、同じ場に居てあげられる俺しかいない。
俺は受験に対する知識や何やらはまだまだ全然足りていない。けれどその中から使えそうな情報を探すのだ。
「先輩」
「......」
「大学に入ってから何がしたかった......何がしたいんですか?」
「それをお前に言ってどうなるっていうんだ。やれなくなったことが出来るのか?」
「聞きたいんです」
「......」
ぽつりぽつりと会話が進む。
傷心しきった心では上手く相手の言葉が耳に入ってこない。自分にもそういう時期があった。
それでも男は話すことを頭の中で整理しながら話してくれた。
「俺は将来、ゲームを作りたかったんだ。Steamとかで個人が作ったゲームとして売られてるゲームとかよりもずっと面白くて、沢山の人が遊んでくれるゲームを作りたかったんだ」
「そのためにはその大学に行かなきゃならなかったんですか?」
「当たり前だ。有名なゲーム会社に入るためには、圧倒的な技術力が必要なのは当たり前だが、それに付け加えてコネかもしくは学歴が必要になる。俺の家にはゲーム制作の専門学校に行けるような金はない。だとすれば必然的に後者が必要になってくる」
男は俺の目も見ず、スラスラとその語群を並べ立てた。まるで自分に言い聞かせるように。
自分に言い聞かせる度に彼の心が重く沈んでゆくのが分かる。自分で自分の首を締めている。
でも、自分に言い聞かせずにはいられないのだ。それは自分が信じて来たことであって、その前提が崩れれば、今まで自分がしてきたことの全てが瓦解する。
今の彼に必要なのは優しい瓦解だ。
「先輩がその大学に行きたい理由は分かりました。でもその上で自分の意見を言おうと思います」
先輩の目がこちらを見た。怪訝そうな目だった。
「俺が思うに、人はなれるものにしかなれないのだと思います」
「......は? それじゃあお前は俺の苦労が無駄足だったって言うのか? お前なんかには元々できないからやめろって言ってるのか!?」
「違います。人はなれるものにしかなれない。だから自分がなりたいものになれるように、なりたいものをなれるものにするんです」
先輩は押し黙った。
「先輩がなりたかったのはゲーム制作をする人、でしたよね。だから先輩はなりたいものをなれるものにするために受験勉強を必死で頑張った」
「そうだ、それはそうだ。だってそうしないと」
「なりたいものになれないから、でしょう」
先輩の瞳から涙がぽつりとこぼれる。瞬き一つしていないのに、溢れてきた涙が頬をつたって膝の上に落ちていく。
「なりたいものをなれるものにするためには、色々な才能が必要です。向き不向きもあると思います。その中には物覚えの良さだの、物作りのセンスがあるかどうかだの、もしくは運も才能の一つと呼ばれることもあります」
まぁ、自分はその運が足りなかったんですけど、と付け加える。
先輩も言いたいことは沢山あるかもしれないが、黙ったまま聞いてくれていた。
「でも先輩には才能があります」
「会ったばかりのお前に何がわかる」
「先輩には、なりたいものを目指し続けることができる才能があります」
「それぐらい誰だって出来る。目指し続けることぐらい気持ち次第で誰だって」
「できないですよ」
先輩が俺を振り向く。
俺がこのことを断言した意味が分からなかったのだろう。
「結局、人間はなれるものにしかなれない。こうやって言葉にできないだけで、人は誰でもそれくらいのことは分かってます。自分はなりたいものになれない。だから諦めよう。そうやって諦めるのは思っているより簡単です。難しいものになれば尚更です」
男は唇を必死に噛み締めていた。
それでも溢れ出す涙は留まるところを知らなかった。
「それでも先輩はそれを目指し続けた。それは才能ですよ。途中で諦める人、諦めてはいないけれど努力ができない人、沢山の人がいる中で目指し続けられるのは才能です。できない人はできません」
「俺なんか......努力するしか......才能なんて」
「自分は努力も才能のうちだと思っています。努力し続けられること、それは才能です。努力を超える天賦の才もあると思っています。だけど自分の力でどうにか出来る才能は言ってしまえば努力しかないんです」
喉から嗚咽が漏れる。
「結局は、なれるものにしかなれないんですよ」
嗚咽混じりに声が聞こえた。
「俺ぇ......まだ目指してて、良いかなぁ......?」
「あなたにその気があるのなら俺には止められません。大学だってどこに行くかじゃなくて、どう過ごすかだと思います」
チートの発動が止まると共に、うずくまって大きな声で泣き始める。
どうやら上手くやったみたいだ。
しばらくして泣き声が止む。どうやら憑き物が落ちたみたいだ。
「俺、頑張ってみるよ。なれるものにしてみせる」
「......卒業おめでとうございます。これからも頑張ってください」
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「これで全員に催眠をかけた。この会は成功に終わり、万雷の拍手に包まれて大団円になったことになっている」
「ありがとうございます」
俺の目の前で生徒会長がメガネをクイッと上げる。
「それで、奴はどうする?」
生徒会長が男に向かって指を指す。
「彼の記憶は残しておいてください。多分そっちの方が彼にとっても気が楽だと思いますから」
「ふむ」
生徒会長は俺の話を聞きながら、彼の方をじっと見ていた。
「来年からは俺もあれほどのことを頑張るのだろうな」
「そうですね。僕は再来年です」
沈黙が流れた。
おそらく、これからの道の険しさについて考えているのだろう。俺も同じである。
どんどん月日は過ぎていくのだろう。だが今はまだ、今を楽しむことの方が優先だ。
そしてまた春がやってくる。
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
これからどんなことがあるか分かりませんが、少しでも努力すればなれるものは変わってくるはずです。
頑張ってください。