兄の思いと妹の思いはすれ違い続き
「そういえばお兄さんの名前ってなんて言うの?」
「知らなかった......の?」
「人の名前覚えるの苦手で」
俺は階段を上りながら原田さんにそう話しかける。
話しかける内容が思いつかなかったから適当に話しかけただけだったのだが、よくよく考えてみると生徒会長として名の知れた人の名前を兄を尊敬する妹に聞くというのも失礼な話である。
「原田、勇次郎。聞いたことない?」
「あー......なんていうか、強そうな名前だね」
「強そうっていうよりなんでも出来るっていうか......その」
原田さんは途中で言い淀んでしまった。前から思っていたが、原田さんは引っ込み思案だ。人の意見を曲げることができないらしかった。
お兄さんの名前は聞いた事が無かった。だが、まるで何処かの漫画でラスボスとして出てきそうな名前である。
当の本人は肉体派ですらないようだが。
「私は特別じゃない......から」
「......結構吹雪いて来たね」
それだけ言うと足早に教室の中に入って行ってしまった。小日向さんなら上手い返しの一つや二つ、すぐに出来るというのに。
俺が置いて行かれたということに気づいたのは窓から目を離した時だった。彼女にそんなつもりはないのだろうが、俺は唖然とした。目を離したら彼女が消えていたのだ。
改めてもう少し鍛えなければならないと自覚した。
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またいつもと変わらぬ登下校が......始まって欲しかった。
「選挙立候補した丸々三角でーす! よろしくお願いしまーす!」
そのネーミングセンスは親に怒っていい。そして俺は歩く道を塞いで来たやつに投票はしない。
そして小日向さんとは今日も出会わなかった。
相も変わらず選挙戦は続いていた。これが1週間も続くというのだから驚きを禁じ得ない。
高校生ってこんなに体力のある生き物だったのか? 流石に元気すぎるだろ......
立候補者や支援者の波をかき分けて進んでいく。
やがて前と同じように見慣れた人影を見かけた。
俺はそのまま素通りしようとする。
「今日は威圧して来ないんだね」
「妹さんから色々聞いていますから。良いお兄さんなんですね」
「私も妹から色々なことを聞いているよ。最近、妹に付きまとっているそうだね」
原田さんは自分のことをそういう風に伝えているのかと心が痛む。確かに話さなかった人が急に自分に話し出すのは変だと思えなくもない。
その言葉を真に受けて凹んでいると、勇次郎が申し訳なさそうな顔をしていることに気づいた。
「いや、すまない。少しからかいすぎた。妹は確かにそうは言っていたが、別に嫌と言う訳ではないんだ」
「だったらどういう意味ですか」
「うちの妹は人に慣れていないんだ。引っ込み思案だからあまり人と関わることをしてこなかったんだ。だから普通に人と喋るだけでその記憶が強く残ってしまう。どうかうちの妹には優しくしてくれないか?」
俺はその言葉にとても驚いた。驚くというのも失礼な話なのだが、この人は人を人とも思っていない人間かと思っていたのだ。
「あなたでもそんなに優しくなれる人が居たんですね」
「からかわないでくれ。私だって人間だ。それに君に喝を入れられてから、少し自分の能力について考える時間を与えられてな」
「そう......ですか」
確かに考え直してほしいと思いながら、俺はこの人を病院送りにした。そんなことをしても考え直して貰ったことが少なすぎて、考えてはくれないだろうと勝手に思っていたのだ。
「まあ、考える時間は山ほどあったからな」
「それはどうもすみません。あ......」
「何だい?」
少し意地悪な質問を思いついてしまった。だがそれを聞かずにはいられなかった。俺は妙なところで好奇心旺盛なのだ。特にこういう時には。
「妹さんに催眠をかけたことはあるのですか?」
「......それはないよ。何度も言っているだろう。私だって人間だ」
「ならよかった。僕はあなたの言う人間ではない人を知っている。あなたがそうであったなら俺はそれを許すことが出来ないと思う」
勇次郎さんは首を傾げる。俺もあまり話したい内容ではないので深くは語らない。
もしもあの時勇次郎さんが首を縦に振っていたら俺がどんなことをしていたか、予想もつかない。我を忘れていたかもしれないだろう。
「ま、それはそれとして清き一票をよろしく」
相手の眼が赤く変わりかけたのを見て腹パンを入れる。勇次郎さんは本気の腹パンに膝をついた。
勇次郎さんが腹をさすりながら立ち上がる。
「冗談だよ」
「冗談では済まないでしょうが」
「ははは、妹によろしく」
そんなことを話していた。
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「お兄と......そんなこと話してたの?」
「あぁ。うん。」
こちらの事を窓から見られていたらしく教室に入るなり、そのことを聞かれた。聞かれたと言っても、彼女が話したそうにしていたので自分から話に行ったのだが。
あらかたの事は話したがもちろんすべて話したわけではない。
勇次郎さんが原田さんの事をどう思っているか、それと俺が勇次郎さんにした質問は除いたうえでの話を伝えたのだ。
......随分と中身が無くなってしまうな。
「良いな、佐々木君は」
「ん?」
原田さんがぼそりとつぶやく。俺はその言葉に一抹の不安のような物を感じ取った。
「佐々木君は、特別で、お兄と同等だから......同じような話題で盛り上がれるでしょ?」
「そういうことか」
これまで特別だとか、そういうところにこだわりを持っている理由が何となく分かったような気がした。
原田さんは自分が何の能力も持っていないことに引け目を感じているのだ。
だから自分みたいになりたいと思っている。
「違うよ。この能力は個性みたいなもので、別に全然特別なんかじゃ――」
「そんなことないよ! ご、ごめん......」
一瞬発されたその気迫にたじろいでしまう。俺がたじろいだのを見て原田さんもまた縮まってしまった。
やってしまったと気づく。
「そんな、ことない。あるのと無いのじゃ、大違いだよ」
「......そうかもしれないね。でも多分、お兄さんはそんなこと気にしないよ。」
「......」
否定してしまうと堂々巡りになってしまいそうなので、頷いてしまった。
申し訳程度に言いたい事を言ったけれど、それが相手に届いているかと言われればそんなことは無いように思えた。
止むことのない吹雪が辺り一面を覆っていた。
「自分がチートを持っていたらって考えるかもしれないけれど、俺もチートを持っていなかったらって考えることもあるんだ。原田さんからしてみれば贅沢な悩みかもしれないけれど、俺もこのチートで苦労しているんだ」
要するにどっちもどっちということが言いたかったのだが、どうも上手く伝わってくれては居ないようだった。
心でさえも吹雪が荒らしてしまいそうだった。