『やる気』は限界を超えられる
大勢の人間が自分たちの行く末を固唾を飲んで見つめていると思うと冷や汗が止まらない。というか周りの光景を直視したくない。
だが今日は頑張ると決めたのだ。やる気は既に入れてある。自分は自分の出来ることを一生懸命すればいいだけである。その結果、どんなことになろうが誰から攻められようが知ったことではない。
「リレーなんて初めてだから緊張するなぁ。」
「そうか? むしろ俺は興奮してるぐらいだぜ?」
傑が頓狂な声を出していたが、木原はむしろ張り切っているようだった。それはそうだろう。自分が本気を出せば、皆から見える形で役割を果たすことが出来るのだ。責められる要素がほとんどない。
それに比べて俺は持てる力を全て出し切っても他の人が満足する結果を叩き出せるか難しい。それこそ自分の限界以上をだすつもりでいかないとだめかもしれない。
「じゃあちょっと行ってくるわ。」
「おう。」
木原がスタートラインに立つ。
今回のリレーは男女3名ずつの6人で走る。トラック一周300m。今回は男女別れてトラックの反対側に立ち、一人当たり150mを走ることになっている。一番走者は小日向さん、その次が木原だ。
「それでは最後の競技、リレー開始です。」
放送部のアナウンスが入る。間髪入れずにピストルが鳴った。
全員一斉に走り出す。小日向さんが少し集団から遅れていた。そんなに小日向さんが遅いという訳ではない。他の奴らが早いのだ。
木原にバトンが渡る。
「はぁ、はぁ......すみませんでした。」
「いや、結構頑張ってたよ! ナイス、小日向さん!」
傑が小日向さんをフォローする。俺はそんなに人のことをフォローし慣れているわけではないので、傑に後ろから同調していた。
そんなことをしている間にも木原が集団の背中に追いつく。流石、現役陸上部と言ったところだろうか。だが、一番トップまで上がることは無かった。それに一組だけ抜き出ている組がある。このままでは勝てない。
俺達の作戦はこうだった。
俺がアンカーの時に距離差が無ければ勝ち目はない。だから木原、竹内の陸上部メンバーと、傑のチートで他の奴らを引きはがす。そのリードを保ったまま俺につなぐという感じだ。
俺は竹内さんの様子を固唾を飲んで見守る。
竹内さんがトップ争いに入った! 抜きつ抜かれつのデッドヒートだ!!
竹内さん、見かけによらず速かったんだな。そんなに体も大きい方ではないのに。
「じゃあ俺も頑張るかな。」
「ほどほどに頑張るんだぞ。不正だなんだって言われると困るからな。」
「あいあい。」
傑が屈伸しながらバトンの到着を待っている。
竹内さんがバトンを受け渡すために手を伸ばした瞬間に傑はそのバトンを掴んだ。
「はー、しんどい。」
「凄かったですよ! あのチェイス!」
「そんなことよりアレでしょ。アレ何? 私、幻覚でも見てるの?」
竹内さんは呆れたような顔で傑の方を指差した。
傑は人並み外れた速さで走っていた。なんだかみんなが練習しているのがバカらしくなるような速さだった。
「アレはまあ、そういうヤツだから。」
「練習の時にあんなスピード一回も出してなかったわよ! 陸上部顔負けよ!」
多くの人が唖然としながらその光景を見つめる中、新浜さんが傑からバトンを貰い一直線に駆け出す。
とても素敵なランニングフォームだ。昔、陸上をやっていたというのはやはり大きなマージンらしい。
新浜さんがトラックのカーブを曲がろうとした時だった。
その時、俺の見惚れていたランニングフォームが大きく傾いた。新浜さんの驚いた顔が目に焼き付く。
それはほんの小さなくぼみだった。体育祭が始まる前に確認した時はこんな窪みはなかった。多分、何かの競技の時についてしまったのだろう。何度も新浜さんが自分の走る場所を確認していたのを思い出す。まさか直前になってその場所のコンディションが狂うなんて思ってもみなかったのかもしれない。
新浜さんが起き上がっている最中に、テイクオーバーゾーンの端まで走る。相手がそこまで追い付いて来ていた。新浜さんが拾い上げたバトンをこちらに差し出した。俺は途中で奪い取るようにリレーのバトンを取った。
「ごめ――」
「あとは任せて。」
それだけ言うと滑らかな動作でバトンを受け取り、弾かれた様に走り出す。
かっこつけたことを言ったが、どうなるという保証はない。
でもあんな潤んだ瞳を見せられたら――
「やるしかないじゃないか。」
もう躊躇や、周りの視線や、自分が上手くできるかなんてどうでもよくなってしまった。
後ろから来た人間に追いつかれて横に並ばれた。抜かれないように自分の足の回転を最大まで上げるが、相手はリレーのアンカー。大トリを務めるにふさわしい人間だ。
「クソッ!」
呆気なく抜かれてしまう。あとゴールまでもう少しのところだった。
だが抜かれたからと言って諦められるわけがない。
「諦めてたまるかァァァッあっあぁ~!?」
そう叫んだ瞬間に右足から強い衝撃がやってくるのが分かった。その衝撃に弾き飛ばされた身体はものすごい勢いで宙を舞う。
空中で見たのは、他の人がぽっかりと口を開けて自分の姿を見ているのと、傑がこちらを見ながらニヤリとしたことだった。つまるところ傑がチートを発動したのだろう。それと俺が力を入れた時が一致して、俺の体は走り幅跳びの選手の様に宙に浮かび上がったわけである。
もちろん俺は走り幅跳びの選手の様に空中で姿勢を整えることが出来る訳ではない。横目に先頭走者が見えた。こちらを向きながら、まるで目が飛び出したかとでも思うほど目を見開いていた。
「あぁぁぁぁぁ!!!あっあっあぁぁぁ......」
俺は勢いよくゴールテープを切った後、そのまま地面にたたきつけられるように腹から落ちた後、山ほど擦り傷と痣を作りながら地面をゴロゴロと転がった。
「ク、クラス対抗リレー、優勝はい、一組で......す?」
そんなアナウンスと傑のケタケタという笑い声で俺達のリレーは締め括られた。
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「何であの時アレを使ったんだ。」
俺は保健室内で手当てを受けながら目の前の傑に話しかけた。
「そりゃあ、トシが珍しく頑張ってたからだよ。」
「それでもタイミングってもんがぁイテテテテテ!」
「タイミングはばっちりだったたろ。」
保健室の先生は何の話をしているのか分からないという風に俺達を怪訝そうな目で見ながら、消毒液が付けられた綿を傷口に押し当てた。
「保健室では静かに。」
「スイマセン。」
俺は静かに謝罪して、傑を睨みつけた。傑はゴメンゴメンと俺を拝んで体育祭に戻って行ってしまった。
一通り治療が終わったころ、誰かが保健室の扉を叩いた。俺は入ってきた人影を見てはっとさせられた。
新浜さんだ。
「新浜さん......」
俺は保健室の先生に目配せする。保健室の先生はもう行って良いという風に顎で指図した。
俺達は保健室から出たところで向き直る。
「ごめんね。心配かけたみたいで。」
あんなキザな言葉を放った手前、なかなか目を直視できない。
「こちらこそごめんなさい。私がきちんとリードを繋げられていたらあんな勝ち方はしなくて済んだし、普通なら私の失敗で全てがくるっていたわ。謝るべきは絶対にこちらであって貴方であることは絶対にないわ。」
新浜さんが俺に深々と頭を下げる。こんな顔をする新浜さんを見たのは初めてだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
「......あー、とりあえず頭を上げてください。それとありがとうございます?」
新浜さんが困惑した顔で自分のことを見つめている。
「ごめんなさい。俺ってあんまり謝られたことないんですよ。だからこういう時励ます言葉とか良く分かんなくって。でも多分、謝ることなんか何もないですよ。」
「だって結果的に勝てたからよかったけど、勝てなかったら――」
「勝てたじゃないですか。」
新浜さんが自分を物分かりが分からない男だとか、話の通じない男だとかそんな感じで自分を見ていた。
「それに新浜さんがこけてなかったら自分がこけていたかも......ってこれは違うか? ん? まぁ、取り合えずこけたらとかこけなかったらとか、起きてしまったことをどうにか言ってもどうにもならないわけで、それによる不利益が無いのであれば怒る理由が無いというか、あー、その」
自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。励まそうと思ったのにただのうんちくを垂れ流しているだけではないか。格好がつかない。
「ぷくくくく。」
「はえ?」
「ぷはーはっはっはは!!」
新浜さんが笑い出す。
何でこのタイミングで新浜さんが笑い出したのか分からない。
「あ、あのー......」
「なんかありがとうね。貴方を見ていると怒っていた私がバカらしくなってしまったわ。」
「なんか......小日向さんみたいなこと言いますね。」
「なるほど。何で君の周りに色々な人が集まっているのか何となく分かった気がします。」
俺はポカーンと口が開いていることに気づいた。
これでは本当に格好がつかないじゃないか。こっちが恥ずかしくなってくる。
「まぁ、その、立ち直れたならよかったですけど。」
「はい。ありがとうございます。」
新浜さんのそんな顔を俺は見たことが無かった。まるで憑き物が晴れたかのようだった。
その顔をみていると、どうでもよくなった。
「戻りましょうか......?」
「閉会式も始まりますし、そうですね。」
今回の閉会式には出られそうだと少し安堵しながら俺は皆のところに戻った。
これにて体育祭編終了です! これから後日談が少しだけ入ってようやく冬になりますね。