大輪の花は煌びやかに
周りの時が止まっている。これまでの賑やかさは影を潜めて、俺と小日向さんだけが音を作り出す。
小日向さんが手を差し出してきた。
「持ち上げてください。」
俺は手を引っ張って小日向さんが堤防に登ろうとするのを手伝う。
「よいしょっ。」
小日向さんも登るのか。
小日向さんの手は少しひんやりとしていて気持ちが良かった。柔らかい手の感触にドギマギ出来るのはこんな時だけだ。俺はこの気持ちを悟られないように一人で胸を高鳴らせていた。
小日向さんの体が鼻先まで近づく。体を持ち上げたので当然と言えば当然なのだが、それでもここまで近いと驚きで足がもつれてしまいそうになる。もつれたら海に真っ逆さまである。地獄と天国が隣り合わせだが、天国の方が距離的な意味で近い。
小日向さんは堤防をよじ登ると俺の横に座った。俺もつられて堤防に座る。
足が空中でプラプラ揺れるというのは、すがすがしいけれど少し怖い。高いところに登って下を眺めた時に感じるゾワゾワした感覚に似ている。
「そう言えば初めて会ったのもここらへんでしたね。」
「あの時は大変でしたけど。」
「まさか佐々木君があそこまでどんくさいとは思いませんでした。」
俺は文句の一つも言い返してやろうと思って、隣に居る小日向さんを見た。
小日向さんは振袖で口を押えてクスクスと笑っていた。
その笑顔はズルい。何度その笑顔に反論の機会を奪われたことか分からない。そんな笑顔をされたら俺は悪態を飲み込むしかないじゃないか。
俺は水面を見つめながら前のことを思いだす。あの時の俺なら小日向さんが近づいた瞬間に驚いて地獄へ真っ逆さまである。小日向さんと同じところになんて座れていないだろう。
俺も成長したなぁと思ったり思わなかったり。
そんなことをぼんやりと揺れない波を見つめながら考えていた。色が付いた波がピタリと止まっているさまは何だかこの世界が自分の物になっているような高揚感がある。
俺は小日向さんを横目でチラリと見た。
小日向さんはぱっちりと開いた大きな目で俺を見つめていた。小日向さんと目が合う。そうだった。今は俺と小日向さんの二人きりだった。片方が黙っていればもう片方も黙るしかない。当然だ。
「佐々木君。」
「ひゃい!?」
短時間に色々な事が起きすぎている!俺の頭の整理が追い付かない!!
変な声が出てしまったことに頬を赤らめていると、また小日向さんはクスクス笑った。
これじゃただの変な女の子慣れしてない男の子じゃないか!?そう見えてない!?多分見えてるよね!?
「上、見てください。」
「ほぇ......あ。」
見上げるとそこには大輪の花が咲いていた。様々な色の花が咲き乱れ、空に静止していた。崩れることのない花は綺麗なまま宙に浮かび、文字通り煌めいていた。このまま時間が止まってほしいという言葉があるけれど、本当に時間が止まったらこんな気持ちなんだろうなと思う。
見たことのない光景だった。
こんなに大きくて消えない花火も、沢山の人が上を見上げたまま止まっているのを上から見下ろすのも、その全ての煌びやかな光を映した小日向さんの目も。
「綺麗だな。」
「え?」
「花火も、小日向さんも。すごく綺麗だ。現実感を失ってしまうくらいに。」
「はい!?」
「......んー、なんか俺、変なこと言ったな。」
綺麗な景色に見惚れていると嫌な事や考えていることが、まるで頭の中が洗われるように綺麗さっぱり抜け落ちてしまう。余計なことを考えることが出来ないぐらい、視界からの情報を取り入れようとしてしまうのだ。
「佐々木君、いきなりどうしたんですか!?」
「いや、何でもないよ。ただすごく綺麗だと思って。まさにチートだ。」
「へ?」
「窓の中から見つめる景色よりずっと綺麗だ。これが小日向さんが見せたかったものだとしたら、来てよかったと思う。」
俺のダメチートが役に立った。こんなにも俺が持っていたチートが役に立ったと思えることがあっただろうか。
この景色を独り占め、いや二人きりで眺められるという多幸感が俺の身を包み込んでいた。
「どうしたの?小日向さん。」
「いえ......何でもないです。」
小日向さんの顔が赤い。この光景に心が躍る気持ちは分かる。
俺は出店で買ったよくあるビー玉付きの瓶ラムネをあおった。喉を通る清涼感が俺の火照りをもまぜこぜにして留飲する。
「もうそろそろ時間です。」
「早いなぁ。」
「楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものですから。」
本当に早い。
あっという間だった。小日向さんと二人きりだったのに楽しいことをしゃべる余裕もなく終わってしまった。もう少し時間を止めて欲しかった。そんなことを思い始めてから沢山のやりたかったことを思いつく。
小日向さんは満足そうな笑みを浮かべていた。
そんなに満足できたのだろうか。そんなに満足できることもなかったというのに。
「もっと時間が長ければ良いのに。」
「私もそう思います。」
「あとどのくらいだと思いますか?」
「正確な時間は分かりませんけど経験上もうすぐですかね?」
俺はその言葉を聞きながらゆっくりと動き始める大輪の花を見つめていた。
「前の時は時間が良く分からずに大変なことに――」
大変。
その言葉を聞いた瞬間に思い出した。
俺達がなぜこの場で二人きりで花火を見上げているのか。
何故、小日向さんが時を止めたのか。
すっかり忘れていた。
動き始めた時の中でないと生体は動かせない。しかし、今動き始めるのは遅すぎる。
俺は堤防の上を駆け、堤防の上から落ちそうになる妹を掴もうとした。
クソッ!!服がつかめない!!
俺は堤防の角を蹴り、身を乗り出した。
背中に手が届いた!!
両手で力いっぱい由香の背中を押す。俺は妹がうぉぉぉぉと声を上げながら体制を戻していくのを見ながら、良かったと胸をなでおろした。
そして小日向さんが由香の手を掴みながら俺を見下ろしている姿を見て気が付いた。
俺が落ちたら結局同じじゃないか!!
遅れて聞こえてくるザブーンという水の音、水面にたたきつけられた衝撃。
俺は意識が遠のいていくのを感じた。
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それからの顛末を話そう。
結局俺は無事だった。
あの堤防の下は暗かったので分かりづらかったが、意外にそこまで高さが無かったのである。
底も深いので何かに頭を打つこともなく、ただ水面に頭がたたきつけられたことによって脳震盪を起こしたらしい。今でも後頭部に寝違えたような痛みがある。
海から上がったら色々な人が心配してくれた。
その声の中には、さすが優勝者は格が違うとか、お祭り男の鏡だとかいうのもあったが、気にしないでおこう。
あと小日向さんが大丈夫ですか!?と真っ先に駆け寄ってきてくれたのは......良かった。
もちろんそんなことは死んでも口に出さない。
ともあれ俺の夏祭りはそんな形で終わりを告げた。
夏休みも滞りなく終わった。
最後らへんは連日、宿題が終わっていない由香の尻を叩きながら過ごした。
そして俺の夏のイメージがほんのちょっぴり良いものになったというのは言うまでもない。
佐々木はかっこいい事を言ったらかっこ悪いことをしないと死んでしまう病にでもかかっているのでしょうか。
ともあれ夏祭り編及び夏休みが終了致しました!
次回からは残暑と秋が入り交じる二学期の始まりです!