馬鹿げたことでも一生懸命に
ラッパの陽気な音が会場に鳴り響いている。
もう少しこの雰囲気に合った風流な楽器があっただろうに、と思いながら俺は目の前の型を見つめた。
インドの曼陀羅をイメージさせるような幾何学模様が型の中に見事に収まっていた。細い線や曲線が多い。というかそれ以外の線が見当たらない。少なくとも型抜きで出して良いモノではないだろう。
見た瞬間にやる気が失せた。
少なくとも人にやらせて良いモノではない。
「辞退しようかな......」
「ええっ!?何でですか!?まぁ、分からなくはないですけど......」
小日向さんが驚きと疑問が込められた目線を俺に向ける。
俺は滑らかに、表情も変えず、それが自然な流れだとでもいうように、ゆっくりと、目を逸らした。
「佐々木クン。」
「何でしょう。小日向サン。」
「やりましょう?一緒に。」
「......」
「私にできなくても佐々木君になら出来ますよ。集中力だけならピカイチですから。」
そんな安い煽り文句には乗ると思ったら大間違いである。豚もおだてりゃ木に登るだのという言葉があるが、小日向さんの言葉はまさしくそれと同じだ。
大体、こんな祭り自体がバカげているのだ。まず祭りの名前からしてふざけている。何だ、あの長ったらしい名前は。こんなことに時間を費やすべきではない。
そんなことを自分の中で考えているとなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
やめだ、やめだ。帰ろう。こんなものいくら時間があっても足りないではないか。
「私、佐々木君と一緒に、夏祭りを楽しみたかったんです!!」
「よし。やりましょう。」
所詮、男なんてこんなものである。つくづく自分が嫌になる。
それでもその言葉が本当であれば、と信じずにはいられないのも男の性。ましてやここまで言われたら引くことなど出来ない。
やってやろうではないか。
「それでは『夏祭り、夏の暑さにも負けないぞ!!白熱!型抜き大会!』始めます!!」
浴衣姿の司会者が大きく手を振り下ろしてゴングを鳴らした。同時に湧き上がる観衆の声。
祭りの暑さはさらにヒートアップし、多少の違和感や疑問など一瞬でかき消してしまう。今日一日ぐらいはみんなバカになろうと張り切っているのだ。
俺がそうならないのは無粋であろう。
「やってやるぞぉぉぉぉ!!!」
「オオオオオォォォォォォォ!!!!!」
--------------------
俺は画鋲を手に取った。
要はこれで型を取りだす訳だが、今回は細い線をくりぬかなければならない。これが型抜きとしてはかなりキツイわけだ。
大体、形通りにくりぬくだけでも難しいのに、細い部分が折れないようにするなど、切り絵のプロでも難しいし、彫刻家でもなかなか出来る人はいないかもしれない。
もともと型抜きには、型が割れやすい板菓子と言うのが使われている。この型抜きの良心的な点は板菓子よりは割れにくいという点だろう。画鋲を入れた瞬間に型が粉々に割れてしまうこともあるらしいがこれに限ってはそんなことはないだろう。
慎重に画鋲を入れようとして踏みとどまる。
これだけですべてをしようとすると多分時間が足りない。いくらあっても足りないだろう。
俺は型を持ち上げると、親指の先に力を入れて端から少しずつ割れ目を入れていく。結構思った通りに割れるものだ。だが、少しでも集中を思わぬ方向に割れてしまうだろう。
想像以上に難しい。
「あっ」
隣で小日向さんが声を上げる。横目でチラリと見ると、線のように細いところが折れて絵柄が途切れていた。思わぬ早期リタイアだ。たったこれだけ。数ミリ削り間違えただけで終わってしまう。
集中力がゴリゴリと音を立てて削れて行くような気がした。
小日向さんがじっとこちらを見ているのが雰囲気で分かる。じっとりと油の含んだ汗が額から流れ出す。
小日向さんには申し訳ないが、出来れば見ないでほしい。こんなに見られているとプレッシャーをかけられているようで、失敗した時の衝撃が大きすぎる。一人ならあきらめがつくところもつかなくなってしまうだろう。
ユウさんの時も同じようなことを思ったな、と思い出す。あの時はプレッシャーこそ感じなかったが、小日向さんは俺のストッパーになってくれていた。形はどうあれ自分の背中を押し続けてくれていた。
そう考えるとなんだかこのプレッシャーも頼もしいような気がして、心が落ち着く。
はっきりと型が見えてくる。
周りの輪郭の大雑把なところは手で割った。これで大幅に時間を短縮できただろう。時間制限は無いのだが、集中力を温存することが出来る。
俺は画鋲を手に握った。画鋲は押し込むものだと思っていたが、その認識は変わらないらしい。だが、力いっぱい壁紙に押し込むようにしてはすぐに割れてしまう。俺は出来るだけ負荷がかからないように点描を描く。
ただこれは俺が想像していたモノとは遥かに異なる。
入り組んだ線を繰り出すのは中々に難しい。というか、一つでも細いところがあれば難しいとされているのに線を抜くなんてとんでもない。
抜くというより切り出す行為に近いだろう。画鋲で開ける穴を線にする。点を線にする途方もない作業だ。
小日向さんには向いていないかもしれない、と思いながらフッと笑う。
「何故か馬鹿にされた気がする。」
小日向さんがそう愚痴をぼそりとつぶやいた。この笑い声でそう思えるのは流石に鋭すぎやしないか?もしかしたら小日向さんは人の心が読めるチートも持ち合わせているのかもしれない。
俺は脳の端っこの方でそう考えながら、画鋲を挿し続けていた。
周りの大部分の人はリタイアしていた。俺には型抜きのノウハウは分からないが集中力なら人一倍ある。全てが単純作業のようにも見えて、考えようと思えばキリがないほど考えられてしまう。
そうっと、しかし、鋭く、思い切りを持って、一つ一つの穴を打ち込む。
絵が不得意な自分にとって切り抜けば完成する絵と言うのは何だか気持ちのいいモノだ。俺は何かをイメージするのは得意ではない。気持ちを形にすることも出来ない。苦手なのだ、そういうのは。
だが、俺には人には出来ないことも出来る。
良い意味でも悪い意味でも平凡ではない。
考え方も行動も。
だから良いところも悪いところも良く目立つ。そして俺は、出来ることをする。
何分間経ったのかも分からない。もしかしたら一時間ぐらい経っているかもしれない。
俺の周りにはみんながしょぼくれた顔で集まって来ていた。そして半分、期待の視線を向けていた。もしかしたら知らない人も見つめているかもしれない。
俺は冷房の効いた部屋の中で汗をダラダラ垂らしながら削っていた。
そして――
「何分経った?」
「40分だ。良くやるよ。ほんと。俺は途中で千切れてポイしちまったってのによ。」
俺はガタリと椅子にもたれかかる。
「完成だ。」
終わると同時に半分眠りこけるように目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。
長い長いひと時だった。
--------------------
「厳正なる審議の結果優勝したのは......佐々木宗利様です!!おめでとうございます!!」
「あぁ、ありがとうございます。」
「テンション低いですね。そんなことだと他の参加者に失礼ですよ?」
「何か疲れちゃって。ハハハ。」
「それでは参加者の皆さまは彼に万雷の拍手をお願いいたします!!」
会場に拍手の音が響き渡る。
俺はその光景に少し驚きながらもゆっくりとお辞儀した。
「ありがとうございます。」
「それでは優勝商品ですが......優勝者には、この祭りを最高に満喫する権利が渡されます!!!」
「えっと......それってもしかして。」
「毎年恒例の優勝商品です!!!どうかお受け取り下さい!!!」
俺は封筒のようなものを受け取った。
その中には子供の頃に学校で書かされた肩たたき券にも似たものが入っていた。
要するに何も無いってことじゃないか。
俺はそれを見て、やっぱり馬鹿げていると思いながら破顔した。
大会は終わり、夏祭りも終盤に。
色々なことがありましたが、夏の夜は少しずつ更けていきます。
ぬるい風が脇を通り抜けるとき、一体佐々木は何を感じるのか。
次週もお楽しみに。