死人の気持ちを届けに
壊れかけのブロック塀に打ち付けられるようにして『糸川』という表札が付いていた。雨水にさらされているせいか既に表札はボロボロである。
そこはやはり更地になっていた。
雑草が辺り一面生い茂り、青々として真夏の日差しを讃えている。
ところどころにはそこそこ大きな石が転がっていて、ここの所有者が一般の家庭から遊び場を求める子供たちに変わって日が経つということを象徴していた。
「やっぱり、そう上手くはいきませんか。」
「でも周りはあまり変わっていないみたいなので色々と話を聞くことは出来るかもしれません。少し話を聞いてみましょうか。」
いつもなら諦めて帰るところだが、帰ったところで何もすることがない。
家に帰ってもくつろぐというよりは妹達の面倒を見なければならなかった。面倒というより遊び相手なのだが。
由香は変わらないが雨姫もこの頃は何かしようと自分から言い出すようになってくれた。それは結構なのだがいかんせん俺の体は一つしかない。とっかえひっかえに遊べと言う妹達に嬉しい悲鳴を上げていた。
......まぁ、半分は俺を退屈させないためというのもあるのだろうが。
「じゃあ、行ってみましょうか。」
「そうですね。」
俺と小日向さんは一緒に近所の人に話を聞いてみることにした。
--------------------
数時間が経った。
結論から言うと、近所の人にはあまり取り合ってもらえなかった。
最初は友好的だった人も糸川の名前を出したとたんに引き攣った顔になってしまい、最後には丁寧に追い返されてしまうのだった。
確かに死んだ人の話やその家族の話が言い出しにくいのは分かる。だがここまで無下にしたり何も教えてくれないなんてことがあるだろうか。
小日向さんがいなければまともな対応をしてもらうことすら望めなかったかもしれない。
そういう意味では小日向さんに来てもらって良かったと思う。来てもらうのは少し気が引けたのだがそれを面と向かって言うと絶対に怒ると思うのでこの思いは胸に秘めておくことにする。
「なかなか聞き出せないですね。ユウさんのこと。」
俺一人ならここで諦めていただろうが小日向さんが一緒だから続けられていた。
色々考えれば考えるほど正規でない方法が思い浮かぶ。小日向さんの能力が悪用できれば、もしかすると糸川さんとつながりのありそうな家に忍び込んで色々な情報を盗み見ることが出来るかもしれないとか、能力を使って他の人のしたいことをしてあげる代わりに情報を貰うとか。能力だけではなく小日向さんの可愛い容姿を活かすというのも考えた。
だが小日向さんは絶対にそんなことはしたくないだろうし、もちろん俺もそんなことはやりたくない。
やはりこんな時にはチートに頼ってはいけないし、正攻法でなくては望む結果は得られても納得する過程は得られないのだと痛感する。
頭を軽くポンポンと叩いて思考をリセットした。
何か方法は無いのだろうか。
--------------------
これで何軒回ったか分からない。日はもう自分の頭上を通り越してもうすぐ西日になるだろう。
もうだめかと諦めていた時、道の曲がり角の先から声が聞こえてきた。俺は咄嗟に前に進もうとする小日向さんを制して少し様子を見てみることにした。
「今日、私の家にも来たんですよ。その子たち。」
「この頃は変な子も居るのねぇ。」
「娘さんの知り合いってわけでもなさそうだしねぇ。」
聞こえてきたのは噂話だった。世間話と言ってもいい。
話題の標的はどうやら自分達らしい。
「で、どうなの?何か教えてあげたの?」
「言えるわけないじゃない!あんなこと!」
「そうよねぇ。」
どうやら何か言えない理由があるらしい。俺の違和感は正しかったのだろう。
「糸川さん、今頃どうしているのかしら。」
「最近見かけないわね。そちらの方が都合は良いのだけれど。会っても困るだけですから。」
「そうよねぇ!」
その後、自然な形で話題は糸川家の話から夕方のタイムセールの話になった。俺たちは黙って出くわさないように遠回りをした。
「どうやら糸川さんはまだこの辺りに住んでいるようですね。」
「そう......何ですか?」
「多分、そうだと思いますよ。近くかどうかまでは知らないけれど、多分よその町には行ってないみたいです。」
確証とは言えないがそれに近いものがあった。
偶然ともいえる出来事だったが、この出来事を引き起こしたのは俺たち二人の努力である。俺一人では決して聞くことのできなかった情報かもしれない。
改めて小日向さんに感謝しながら俺たちは聞き込みではなく、表札に糸川の名前を見つけることに専念した。
--------------------
俺は努力が奇跡を起こすという表現を信じていなかったし、私的にあまり好きではない。
でも今起きていることはある意味奇跡のようにも思った。
普通では為し得なかったであろうことが現実に起きている。
それはある意味、衝撃的でもあった。
「糸川......」
「ホントに見つかったんですね。」
これが本当にユウさんの親族の家である確証はないけれどここまでたどり着けるとは思っていなかった。
努力の賜物という表現が一番正しいだろう。
インターホンを押す。しばらく待っても返事は戻ってこなかった。
「居ないんでしょうか。」
「......どうだろう。」
諦めるに諦めきれずに粘っていると後ろから声をかけられた。
そこに居たのは痩せた女性だった。顔の肉も体の肉も削げ落ちてボロボロになった体を無理やり動かしている。そんな印象を覚えた。
「貴方が糸川紡さんですか?」
「......そう......ですけど。」
しわがれた声だった。喉がかすれてしまっている。
「娘さんの件で少しお話うかがってもよろしいですか?」
驚いた顔とまではいかなかったが目が大きく見開かれる。
そして次の瞬間、俺は押し飛ばされた。
「帰ってください!!」
急いで家に入ろうとする母親を必死で食い止める。
「待ってください!」
「離してください!警察呼びますよ!!」
「娘さんの幽霊を見たんです!!」
その瞬間ピタリと動きが止まった。
「何を......言ってるんですか?」
「ユウさん......糸川千里さんの幽霊を見ました。」
「ふざけたこと......言わないで......」
「ふざけてません。本気です。」
母親は何か言いたそうにしていたがパクパクと口が動くだけだった。
そして顔を塞ぎ込んでしまった。
しばらくして声をかけてきたのは相手からだった。
「......どうぞ。お入りください。」
俺はその変わりようには何も言わずに、失礼しますとだけ告げた。
--------------------
出がらしのお茶を片手に俺はこれまであったことを伝えた。
ユウさんと何があったか。どんなことを話したか。
母親は終始半信半疑だったがどこか分かるところもあるのか、時々唇の端をキュッと結んで感情を飲み込んでいるようだった。
一通り話し終えると手持ち無沙汰になってしまった。
何かまだ話すことがあっただろうかと思いながら暫し考える。
その間を小日向さんは上手く繋げてくれていた。
そして口を開いたのは相手からだった。
「私も、チサトの幽霊を見たことがあるんです。」
「え?」
一瞬、時が止まったみたいだった。
「でもあなたたちが見たようなチサトらしさはあの時はありませんでした。あの時――葬式の時にフッとチサトの幽霊が現れたんです。お坊さんもお父さんも驚いていました。もちろん、私も恐れてしまいました。チサトは『呪ってやる』って鬼の形相で言っていました。放火で死んだことで誰を呪うのかは少し考えてみれば分かることでしたが、お父さんは間もなくして自殺してしまいました。残されたのは私だけです。」
言っている間、苦しそうに胸元をキュッと掴みながら話していた。
途切れることなく思いの丈を述べた母親は今にも溢れそうな涙を目に蓄えていた。
「でももしかしたら私たちを恨んでいるのかもしれない。助けられなかった私たちを。」
「そんなことないですよ。」
「え?」
「絶対にそんなことないですよ。」
勝手に口が動いていた。
「彼女は成仏するとき自分の名前を見て笑っていました。」
たとえそれは気休めでしかなくても。
「彼女は名前や自分の顔に誇りを持っていた。現世での記憶があいまいでもそれはかわらなかった。きっとあなたたちのことも恨んでいなかった。彼女はそんな人です。」
「......がとう。」
「え?」
「ありがとうございます。」
母親は目から大粒の涙を流していた。堰を切ったかのように溢れ出てくるのを俺達は黙って見ていた。
部屋の中を空虚な泣き声が木霊していた。
亡霊編の後日談も完結です。
これで亡霊に狂わされた人も少しは救われたのでしょうか。
そして夏は過ぎ、夏休みも後半を迎えることになります。