突撃! 友達の受験生!
カツカツと小気味よいテンポで黒板とチョークがこすれ合う。描かれるのは複雑な数式と精緻な図。いつもの彼の言葉は意味のないものばかりだが、この数式は意味があるものである。それも目の前の問題を解くのに必要なものだ。
「すごい。田中、じゃなくて......オルクスさん、ちゃんと勉強できたんですね」
「ふっ......今更我が有能さに気が付くとは。最初から言っているではないか。我は魔王の十三――」
「ともかく、このオルクスさんの手を借りれば宗利君に志望校の対策を教えてあげられるかもしれないですね!」
「あぁ......もう、何もいうまい......」
内藤と雨姫がオルクスの書いた数式と作図を見てぽけーっとしている。由香に関しては意味不明な情報の海を前にしてうたたねしかけていた。
「まさか、こいつに負けてるとは......めちゃめちゃショックだな。いや、ほんとに何か......ショックだわ」
「すごい......!」
「え!?」
内藤が雨姫の発した一言にショックを受けた。雨姫が人を褒めることはまずない。彼女が意識して褒めていないわけではないだろうが、それでも自分は褒められたことが無いだけにこんなところでその言葉を聞きたくなかったと言ったところだろうか。
ナーバスな表情で俯く彼とは裏腹にオルクスもまた微妙な表情をしていた。
「確かにジャッジマンの受ける大学の過去問と似た問題をいくらか持ってくることは出来るだろうが、それぐらいはやつもしているだろう。本質的に足りないのは問題でなく時間だ」
「ということは......」
「解説ぐらいは出来るかもしれないが、それを必要ともしていないだろうな」
「何しに来たんですか!」
「酷い言いようだな! 我も魔王の堕とし子として恥じぬところに進学せねばと努力してきた身だ。それをチーターの未来のために身を捧げ、政府を内部から変えてきてやろうというのではないか! 必然的に努力は過去に置いてくるしかないだろう!?」
何も間違ったことは言っていない。時雨はその物言いに口をへの字に曲げた。
「でも、どうにかしてあげたい」
雨姫がぽつりと放った一言に皆が同意する。雨姫は多くを語らないが口を開いた時は本質を語る。その言葉に嘘が無いところが彼女の良いところだ。そう思いながらにやけて何度も頷く内藤に時雨が横からぬるりと近づく。そして耳元でささやいた。
「この状況でどうにかしたら、もしかしたら雨姫ちゃんが振り向いてくれるかもしれませんよ」
「なっ!?」
内藤が驚いた顔で口をパクパク動かしている。時雨がにやりと笑う。その表情はさながら佐々木が悪だくみをしている時のようだった。いつからこの純粋そうな少女はこんな表情をするようになったのだろう。佐々木に毒されてしまったのか? と内藤は末恐ろしくなった。
「そんな、どうしろと?」
「私にも分かりませんし、雨姫ちゃんにも分かりませんよ。だからどうにかしたらカッコいいんじゃないでしょう」
「......雨姫さんもそうおもってくれるか?」
「絶対そうですよ! だってあのオルクス君のことをすごい......! って言ったんですよ! きっと尊敬してもらえますよ」
うーんと唸っている彼。その背中をもう一押ししたのは耳でささやく悪魔の声だった。
「絶対、告白も上手くいきますって」
「お前......彼氏のためなら何でもやるタイプだな?」
「私、あんまり性格良い方じゃないんですよ」
内藤は自分が悪魔に背中を押されたのを感じて悪魔に皮肉を言った。悪魔はあっけらかんとした顔で日常会話では出てこないような凄みのある言葉を使うから、もう笑うしかなった。
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「ということがあってだな」
「それで俺の家に来て俺の身の回りの世話をすることで勉強時間を少しでも確保しよう、と。お前が俺の部屋に入って来た時はついに幻覚でも見始めたかと思ったよ。よくおふくろもお前の両親も許したな」
「そこらへんは由香ちゃんが話を通してくれてな。俺の両親も友達の妹から頼まれたらさすがに断りにくかったみたいだよ」
「絶対あいつ面白がってるだけだよ」
由香の心の中が透けて見えるようだった。人の恋バナを片手にご飯三杯食べられる人間だ。雨姫と内藤がどうなるかで飯が美味いに違いない。
内藤が学校から選定しただろうえりすぐりの対策問題を机の端にそっと置く。どうやらやるべきことは果たしてくれるみたいだ。
「お前もよくそんな口車に乗ったな」
「それなんだが、お前の彼女、ものすごいな。思ってた数倍やばいだろ」
「まぁ、俺は彼女に濁りきったところが無いから好きになったわけじゃない。そういう所もあって好きになったんだよ」
「あっつ! これが付き合って半年経ったやつらの熱量か!? 熱すぎて溶けるかと思ったわ」
「あのなぁ......邪魔するなら帰ってくれるか」
俺がそう言いながら睨みつけたが、内藤はそれに気が付くことはなかった。リビングから呼ばれたらしい。俺はあいつが持ってきた問題をぱらぱらとめくる。なるほど。なかなか良い問題を持ってくるじゃないか。これなら本当に出てもおかしくないだろう。
内藤は夕食のお膳を引っ提げて帰って来た。
「この問題、なかなか良いじゃないか。だれかに選ぶの助けてもらったのか?」
「あー、オルクスとあと......いや、これは言わない方が良いな」
「どうした? 何か言いたいことがあるのか?」
「いや、何でもない! 何でもないからその問題を解いてくれ」
その妙な態度に俺は一抹の不信感を抱いたが、やっていることには何の問題も無いので俺は首をかしげるだけにとどめておく。
「むねとしー! さっさとお風呂入っちゃいなさい!」
「お背中、流しましょうか」
「誰得じゃい」
リビングの方からまたも声が聞こえてくるが今度呼ばれたのは俺だった。珍しい内藤のボケにツッコミを入れて俺はお風呂に向かう。
「内藤さーん! 暇なら一緒に遊ぼうよ! せっかく人数も居るしボドゲしよ、ボドゲ!! 最近、おにーちゃんが一緒にやってくれなくてさぁ」
「ん? あぁ、いいぞー!」
お前は何をしに来たんだ、と心の中でツッコミを入れながら俺はクスっと笑った。