何になりたい?
金曜日。普段なら学校のある日だが、センター試験も終わって自由登校になった今学校に行く必要は無くなった。そこで眼鏡に会う相談をしたところあっさりとアポが取れてしまった。いったいいつも何をしている人なんだろうか。
「こっちだ」
「まぁ、前の喫茶店から返る理由もないだろうな」
俺たちは喫茶店の中へと入る。マスターの表情が少し嫌そうに見えたのは気のせいではないだろう。
「で、どうするかはきまったんだろうな?」
「その、大体は。でも今日はそれを告げるために来たわけじゃない。まだ時間はあるから。今日はその、少し聞きたいことがあって来た」
「何だ? 早く言え」
眼鏡は期待外れと言わんばかりに深くため息を吐いた。足を組んで肘をつき、露骨に早く帰りたそうな空気を出している。
俺は咳払いして言葉をつづける。
「どうして二週間なんだ」
「どうして、とは?」
「二週間にこだわる意味が分からない。お前なら分かるはずだ。これだけ大事なことならもう少し時間をかけて考えた方が良い結論が出るって。いつまでも終わらせないつもりはない。それでも急ぐのであれば理由を教えてほしい」
眼鏡はうつむいて顎を触っている。マスターが注文を聞きにやって来たので、コーヒーを二杯頼む。その間も眼鏡は俯いていた。それは理由を考えているような迷い方ではなく、理由を話すかどうかという葛藤が見て取れた。
しかし、然る後に彼は葛藤とケリをつけたらしい。
「実はな、就職活動をするかどうか迷っているのだ」
「......え?」
予想と反した答えに耳を疑う。俺はてっきり、『お前に時間を与えてもこれ以上良い答えが返ってくるとは思えない』とか『もう十分に時間は与えたから早くしてほしい』とかそういうことを言われるかと思っていた。
「それはつまり......就職活動がめんどうってことか?」
「そんなわけがあるか。他のしょうもない大学生と一緒にするな」
彼は長い溜息を吐いた。大学生という単語が引っかかったが、今突っ込むべきところではないらしい。彼がいつもよりも真剣な顔をして否定したので俺は喉から出そうな疑問をぐいっとひっこめた。
彼はマスターが持ってきたコーヒーに砂糖とミルクを入れてずずっと啜った。
「俺は能力者だ。それもとても使い勝手のいい能力だ。この能力を欲しがらない会社は無いし、会社に入れば必ず重宝されるだろう。だから多分、どんな会社にでも受ければ受かることができる。だからこそ、俺は一番良い選択をしたいんだ」
「一番良い選択......」
「普通の大学生は俺みたいに価値の高い人間ではない。しかし、生きるためにはどこかの会社に勤めなければならない。だから自分の行きたい会社を自分に合っているか、受け入れてくれそうかどうかで探す。やりがいは二の次になってしまう。もしもそれを第一に考えるのなら、そこに行けるだけの権利を勝ち取るしかない。努力、才能、経験、コネ......そこに至るまでの全てがその先の人間を作っていく。俺はそれを持っている。それも有り余るだけの権利を持っている。だから自分の可能性を模索するのは課せられた使命と言っても良いのではないかと思っている」
正直、侮っていた。
この人がここまでのことを考えて、世界に価値を示すなんてことを言っているとは思えなかったし、ただの自己顕示欲の肥大化の影響かと思っていた。
「会社に勤めるだけが自分に出来ることではない。自分の能力を生かすにはどうすれば良いのかというのを広く見つめた時、まずは世界中に自分の存在を知ってもらうことが必要なのではないかと考えた。俺を必要としている人の中から俺が手を貸すべき人間を見つければ良い。そう思った。だから世界に自分の存在を知らしめなければならないと思って真理の探究者の手を借りた。これが二年前。俺が大学で就職活動を始めようか迷っていた時だ」
俺はその言葉に感銘を受ける中、最初から持っていた一つの疑問をぶつけた。
「あのー、今大学生なのか? それとも大学生じゃないのか?」
「院生だ。院生一年」
「何歳ですか」
「23」
「5歳上......」
「今そこは重要じゃない」
とても23歳には見えない。いや、見ようと思えば見えるかも......?
チーターと言えば自分と同年代かそれより下の人間ばかりだったのでこの人が年の離れたチーターだという考えが無かったのだ。思えばチーターは低年齢の人たちが多い気がする。大人でチーターなんてぐーさんぐらいしか......ぐーさんも正確に言えばチーターではないのか。
「俺、もしかしたら傲慢だったかもしれないです」
眼鏡のことを真理の探究者の幹部としてしか見ていなかった。二週間という期限にもこの要求にも深い意味があるとは考えずチーターの横暴だと思った。年齢どころか大学生なのかすらも知らなかった。自分の知らない知識を沢山持っていたのだから、それぐらい想像して然るべきだったのかもしれない。相手から話してくれないとここまで勘違いするのかと身に染みて思った。
「俺、あなたのこと、きちんと考えていなかったかもしれません」
「お前も例外ではない」
「へ?」
「お前もまたきちんと権利を持った人間だ。能力がある。異能だけにとどまらない人間そのものの能力もお前は兼ね備えている。きちんと自分の展望を考えて動くべきだ。それがこれからこの世界を変えていくために必要なことだ」
そう言い残して残りのコーヒーをぐいっと飲み干した眼鏡は伝票を持って足早に会計を済ませて出て行った。もう話すことはないということだろう。俺は取り残されたまま目の前の手が付けられていないコーヒーに映る自分の顔を見つめていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
家に帰った俺は勉強に取り掛かりながら、言われたことについてひっそりと思いを巡らせていた。そこにガチャリと扉を開けて入って来たのは差し入れを持った妹だ。夜遅くまで頑張る兄を思って差し入れを持って来てくれるとはなんと素晴らしい妹か。その後に俺のベッドに寝そべって携帯ゲームを開かなければ重度のシスコンになっていたところである。
「なぁ、お兄ちゃん将来何になったらいいと思う?」
「知らないよ。それはおにーちゃんで考えるしかないでしょー」
携帯ゲーム機をピコピコと鳴らしながら寝そべっている由香が片手間に答えた。
んー、わが妹にしては正論である。
「なら由香は何になりたい?」
「それ、本気で聞いてるー」
「本気、本気」
「絶対本気じゃないやつじゃん」
由香は二度とやらんわ、こんな糞ゲー、と言いながらベッドの上にゲームを放り投げた。自分で始めたことじゃないかと突っ込みたくなってしまう。
「んー、私はねぇ......やっぱりお父さんとお母さんみたいになりたいかな。小っちゃい私を拾ってきて育ててくれたみたいに、恵まれない子を育てるような人になりたいかな。チーターの子の面倒を見るのも良いかも」
「お前......ちゃんと考えてるじゃん」
感心した。
由香はそんなこと考えていないと思っただけに、将来の展望を語る由香がやけに眩しく見えた。
「そんな高尚な考えをお持ちの由香さんなら、それを叶えるために勉強もさぞ頑張っていることでしょうね」
「あ! ひどい! おにーちゃん! そういうのはルール違反でしょ!」
ぷんすかと怒った妹が差し入れのおにぎりを持って帰ろうとするので俺は慌ててそれを口の中に放り込んだ。そのおにぎりの味はちょっとしょっぱい愛情の味がした。