俺は物理的に尻に敷かれている
布団の中に潜り込もうとした瞬間に扉のノックが鳴る。時雨が強引に布団の中へ俺を押し込んだ。
「ぐえぇっ」
布団にもぐりこんだ瞬間に脇腹に強い痛みが走った。何か重たいものが俺の体の上に乗っている感覚がある。
「消灯の確認ですが......何かあったのですか? へんな声がしましたけど」
「いえいえ。ちょっとカエルの鳴き真似選手権大会をやっていただけですから」
「カエルの鳴き......えぇ? ま、まぁ、良いですけど......」
これは......何が乗っかっているんだ? いや、大体分かる。布団のふくらみを隠すために時雨が俺に腰かけているんだろう。つまりこの感触は時雨のおしりということか......それはそれで感慨深いが......感慨深い? 何か表現を間違えている気がする......
「早く寝て下さいね! 明日は最終日。見どころもまだ残されていますから、早く寝るのが吉ですよ! それでは――」
「先生、ちょっと良いかしら? これから予定はあるのですか?」
「えぇっと......これから男子生徒の方の消灯の確認をして、それからはもう何も無いですけど......これから何かするのはちょっと遅いんじゃないですか?」
これから男子生徒の消灯の確認......マズいな......ここから先生が出てしまえばこの旅館の構造的に次に行くのは俺たちの部屋だ。先生がこの部屋を出てから俺たちが先生より早く部屋に辿り着くことは難しいだろう。だからすぐに俺たちが部屋に居ないことがバレてしまう。それを防ぐためにはどうにかして先生がこの部屋を出るより先に俺たちがこの部屋を出るしかない。
「ちょっと話に付き合ってもらいたいだけよ」
「男子の消灯の確認がありますし......」
「大丈夫よ。どうせ男子なんてほったらかしても注意しても夜遅くまで起きるんだから。それより恋の話の方が重要でしょう?」
「恋の話って誰のですか?」
「それはね――」
布団の横を走っていく音が聞こえる。多分新浜さんだろう。そのままガシッという音が先生の方で聞こえた。
「先生の恋の話よ!」
「ふ、ふぇえ!? わ、私ですか!? そそそ、そんな話、どこにもないですよ!?」
乗った! 先生のテンションが上がったのを見て足止めが成功したのだと確信した。やっぱり誰でも恋の話には弱いのだ。
新浜さん、咄嗟にそんなことが出来るとは、やはり凄いな......
「で、どうなってるの、先生。居るんでしょ? 気になってる人の一人や二人」
「い、いい、居るわけないじゃないですか!」
「でも一応養子もできたんだし、戸籍を非合法に書き換えれば万事オッケーだとしても結婚するに越したことはないんでしょう?」
「それはそうですけど......」
「で、居るの?」
「そ、それは......」
良いぞ、新浜さん!
だが、これで状況が良くなったわけではない。どうにかしてこの場所から出なければ......それも気づかれずに......出来るか? 押し入れの中に居るあいつらはともかく、俺はこの場所だ。まず不可能に近い。しかし、俺だけならまだ策はある。そうなると押し入れの中に居るあいつらをどうにかする方法を考えるのが先決だ。
考えろ......
「あ、もしかして体育......国語......数学......化学、化学ですね!?」
「かかっかか、化学がなんだって言うんですか?」
「先生、化学って言った瞬間にちょっと反応したですよね。気になってるのは化学の先生、日下部先生ですね?」
時雨、鋭い! でもそれだけで特定できるって、女子......怖すぎないか? あんな質問で特定出来るんだったら、俺なんか百万回ぐらいバレてるんじゃ......バレてたか......そういえば高校入る前から、もっと言えば会った時から俺がときめいてたことなんて分かってたんだよな。
それよりも俺はあいつらを逃がす方法を考えなければ......あ、一つ方法があるかもしれない。でもそれをするためには誰かにこのことを伝えなければ......
俺は布団からチラリと誰か目の前に居ないか覗き見る。そこには新浜さんが居た。先生を抱きしめていた状態から戻って来たのだろう。新浜さんは俺が覗き見ているのに気が付いて布団に寝転んだ。俺と新浜さんの距離が近くなる。
『何?』
新浜さんが小さな声で怪訝そうに尋ねる。俺は先生に気が付かれないように小声で話す。
『猫谷にチートを使わせてくれ』
それだけ言って、俺は再び布団を深くかぶる。新浜さんはそれを聞いてもまだ怪訝な顔をしていたが、頭上で足音が聞こえた。
「それでは先生、少し外に出てくるわね」
「何しに行くんですか」
「私、寝る前に水飲まないと寝れないのよ。だから自販機で水を買ってくるわ」
「消灯時間過ぎてますけど......まぁ、新浜さんなら問題ないでしょう。早く戻ってきてくださいね」
「はいはーい」
さすが優等生! 消灯時間を過ぎて出ても気にも留められないとは......さすが成績トップを三年間走り続けたことはある。
新浜さんが出て行って、少し沈黙し、城崎先生がそういえばと付け加えて話し始める。
「あのー、気になっていたんですが、そのふくらみ、ちょっと動いてません?」
ゲッ。さすがに気が付かれていたか。
どうにかして誤魔化してくれ!
「あぁ、これですか? 抱き枕ですよ。私の抱き枕、動くんです。珍しいでしょ。この抱き枕が無いと私寝られないんですよねー」
「へ、へぇー。最近の抱き枕は珍しいんですね。にしても皆さん、寝るためにすごい苦労してるんですねぇ。先生なんて寝転んだらすぐなのに」
「ストレス社会ですから」
先生が半ば困惑しているのが目に見えるようだった。
それから先生の恋の話に首を突っ込みつつなんとか時間稼ぎをするとチートが使われた気配がした。おそらく猫谷のだ。俺は頭の中で伝えたいことを強く念じた。
猫谷は短時間の記憶を操作できる。記憶を操作するためにはその操作したい記憶が見える必要がある。だから副産物として人の考えていることを読み取ることが出来る。それを利用して俺の考えを伝え、この状況を打開する。
ほどなくして新浜さんが帰って来た。
「水は買えましたか?」
「えぇ、もちろん。それと――」
「失礼いたします」
厳かな猫谷の声がした。
「えっと、あなたは......」
「猫谷です。祖母がここの中居をしております」
「はたまた何の用で」
俺は強く念じ、状況と打開する方法を伝える。
「実はここの押し入れの奥がちょっと建付けが悪いみたいで......昨日の幽霊騒動の時に利用した裏通路が上手く動かないんです」
「......ここは忍者屋敷か何かですか?」
「それは祖母の趣味なので、祖母に聞いてくれると助かります」
押し入れの方からガタゴトと音がした。どうやらほんとうにあったみたいだ。
昨日お化け騒動があって、この旅館に普通の旅館にはない通路の類があるのは分かっていた。さらに各部屋から悲鳴が聞こえたことからも隠し通路の類があるのではないかという予想はついていた。もしも隠し通路があるとすれば押し入れか、もしくは天井か、はたまた床か。そのあたりは賭けにはなったが、猫谷が押し入れを触ったということは隠し通路は存在するのだろう。
「それでは無事に終わったので、これにて失礼します」
無事にという単語は上手くいったという合図だ。
これでどうにかなりそうである。
俺はホッとして気を緩めたが、肝心の自分がこの部屋から出ていないことを改めて自覚し、まだ気を緩めるには早いと気を引き締めなおした。