騒動は終わって
服がボロボロになった生徒たちが一列に並ぶ。並んだ先にあるのは更衣室ぐらいの大きさの箱。人が入ると同時にウィーンという機械音が聞こえ、次に出てきた時には制服が完璧な形で修復されていた。
「おぉ~......」
どういう仕組みなのかは知らないが、おそらく魔術の力なのだろう。時雨の背中の服も元通りに直っていてちょっと寂しいような気もしなくはない。
「今、いかがわしいこと考えて――くちゅっ!」
「おー! 小日向氏! ささ、これを」
そう言って卓男さんが取り出したのは一粒の錠剤と水だった。時雨は俺の背中をつねりながら、渡されるままに錠剤を口に含み水を一口飲む。時雨の小さな喉仏が上下した。どこにも変わった感じはなさそうだが......
「これで治ったんですよね?」
「もちろんでござる! このくしゃみを出させる物質は我らが極秘に開発したもの。あの魔術生物が暴走してもこの物質自体を変質させられるとは考えられないでござる。だからこの特効薬は確実に効力を発揮するはずでござる」
たしかに、あれだけひっきりなしに出ていた時雨のくしゃみが薬を飲んでからは出ていない。ものすごい即効性だが、普通の飲み薬というわけでもなさそうだし、そういうものなのだろう。
時雨が元通りになりようやく一息つき、周りの景色を眺める。そしてもうどこにも緑色の触手が居ないことに安堵する。
「出来ることなら捕獲して持ち帰りたかったところでござるが......仕方ないでござるね」
「あたりまえでしょう。捕獲できるほど手加減は出来ないですよ。それに暴走したせいであそこまで大きくなったり再生速度が速くなったりしてるとは思ってなかったんじゃないですか?」
「あははは......面目ない」
最初は人海戦術でどうにか出来るかと思われたが、最後の最後は力を合わせなければどうしようもなかった。この球を投げるだけでは無力化できないということは設計不良だろう。自衛隊員だけで止められたかどうかも分からない。
いや、あの人なら一瞬か。
「そういえばぐーさんは今どうしているんですか?」
「ぐーさん? あぁ、田熊氏のことでござるね。今はかなり忙しくしているでござるよ。真理の探究者が無くなってから能力者の勢力図も大きく変わってしまったのでその事後処理に追われていると言った感じでござるね。特に真理の探究者にもともと入っていて違うところで好戦的にやりたいやつや、真理の探究者によって自由に出来なかったやつが厄介なのでござるよ」
「そうか......」
「もちろん佐々木氏のせいではないのでござるよ」
卓男さんは俺と時雨の頭に手を置いた。
「こういう問題は本来君たちがどうにかする問題じゃないのでござる。こういうのは大人に任せておくのが一番でござるよ」
その太った体でわしわしと頭を撫でる。その丸眼鏡の奥からこちらを見つめる瞳はとてもやさしかった。まるで、親父が自分を見る時のようなそんなやさしさを感じた。
「そう言ってるわりにはこうやって学生を政府の失態のしりぬぐいに突き合わせているじゃないですか」
「まぁ、困ったときは持ちつ持たれつでござるから......」
卓男さんは目を逸らしながらそう言った。まぁ、こんなことを言ったのはちょっと照れてしまったからだ。少し悪い気がした。
「さぁ、観光を楽しんできてくれでござる! なんたって今日は修学旅行でござるからね!」
卓男さんが強引に背中を押す。俺たちは促されるままに銀閣寺に足を向けた。
荘厳なそのたたずまいはあの触手に踏み荒らされたとしてもいまだ健在だった。あれだけ派手な戦いをしたのに目立った傷はないところを見るとあれでも建物などは荒らさないようにしていたのかもしれない。もしくはそういう魔術もかけてあったのか。とりあえず歴史的建造物が壊れなくてよかった。
「金閣寺は派手ですけど、またこういうのもなかなか良いですね」
「見る目があるね。若いのに」
「宗利君、なんか年寄り臭いですね......」
銀閣寺もとい慈照寺は禅の心の象徴とも言うべき寺である。質素でありながら飾るべきところは飾る。派手ではないが細かいところを見れば綺麗に見せる工夫がつぶさに見えてくる。そういうところを下調べしていくのが楽しいのだ。
「一般的に銀閣寺と呼ばれているあの建物は観音殿だ。二階建てのようになっているのが分かるが、一階は心空殿、二階は潮音閣と名付けられている。名づけた足利義政は自身の宗教観をその名前に託したんだな。ここから見ることは出来ないが、中には書院と呼ばれる場所があり襖にはあのなんでも鑑定団とかでよく見る明治の世界的画家の富岡鉄斎の絵が描かれているらしい」
「何でも鑑定団見てるんですか......?」
「親父が好きだからな」
時雨が微妙な顔をして俺を見ている。
なんか、時雨の中での俺がじじくさい人になりつつある気がする。元来俺は若干じじくさいところがあると思うが、そのイメージで固まってしまうのはなんかちょっと......微妙だ。
「......まぁ良いか」
俺たちはこの銀閣寺をあの化け物から守ったのだ。そう考えると少し嬉しくなる。達成感があると言っても良い。
「お二人さん、楽しんでいるようじゃないか」
「白勝」
後ろから聞こえた声に反応する。
「今までどこに行ってたんだ?」
「さぁね」
白勝が肩をすくめる。俺はその態度に少し腹が立った。この騒動はもともと白勝がチートを使ったから起こったものだ。
「お前が球を投げれば速やかに全部終わったんじゃないのか?」
「だろうね。でもそれじゃ、つまらないだろう? チートを使った甲斐がない。ちょっとは楽しんでくれたんじゃないか?」
「それは......」
思えば、あの触手の攻撃方法は紫色の飛沫を出すことと、相手がチーターならちょっとだけ拘束する程度の物だった。建物にも被害は加えていないし、くしゃみも服も今は綺麗に直っている。
適度にスリルがあって、適度に難しく、実際に被害は与えない。思えば良くできたアトラクションのようでもある。
「僕はね、君に負けてからどのタイミングでチートを使えば良いかを考える前に、チートを使わない練習をしているんだ。チートを使わないようにするともう一人の自分が現れる。チートを使えと言ってくるんだ。僕はこれまでその言葉に従ってきたけど、本当は対話するべきだったんだ」
白勝は笑った。
「君のおかげだ。今回はきちんと対話してチートを使った。なかなかおもしろかっただろ?」
俺はそんな彼の笑顔を見ながら、卒業してからまたこの面子と集まった時にこの出来事を和気あいあいと話している姿を思い浮かべた。きっとこの出来事は俺たちがこれまでに遭遇してきたイベントの中でも大きなイベントになるだろう。
「......あぁ。楽しかったよ」
「それは良かった!」
「でも、ここから先、同じことは起こすなよ」
「分かってる。二番煎じは面白くないからね」
白勝は手をひらひらと振って去っていった。俺はその姿を見ながら、彼も少しずつ成長していることを実感したのだった。