清水の舞台から飛び降りれるほどの気概はない
「清水寺――音羽山に位置するこの寺は778年に延鎮によって開創された。正確に言えばもとは小さなお寺だったんだが、坂上田村麻呂によって大きなお寺が建立されて、延鎮がそこの開基になったんだ。あ、ちなみに坂上田村麻呂はあの金太郎のモデルになったんじゃないかとされている人物だな。彼が鹿狩りをしたときに延鎮に叱られて感銘を受けて建てたとも言われているし、都の鬼に殺されていった人々を鎮魂するためにこの寺を建てたとも言われている」
「鬼......ですか」
「まぁ、そういう話になって伝わるものの一例としてよくあるのが疫病とかだな。ほら、芥川龍之介の羅生門でも疫病が流行っていただろ? 都で疫病が流行りその供養のために建てられる。これ以上流行らないようにお祈りするために建てられる。そういうのを指す場合が多い」
時雨が頭に疑問符を浮かべながら尋ねてくる。
「そういえば清水寺って1600年ぐらいに建てられたんですよね?」
「あぁ。現在の清水寺はな。現在の清水寺はそれから徳川家光によって再建されている。それだけずっと長い間このお寺は大事にされて来たということだ」
目の前にある三重塔を見ながら俺はそう言った。三重塔はその名の通り三重の塔であり、高さはおよそ30mある。美しく紅に彩られたその塔は雲一つない秋晴れの空を突き刺すように天高く伸びている。国の重要文化財に指定されている。
「あの中には大日如来像が祀られているんだ。大日如来は悟りを開き宇宙の中では超越者となったものの、生きとし生けるものと共に在る内在者とされているんだ。また、悟りの境地に至った法身は普通説法とかはしないとされているんだが、大日如来は生物に寄り添っているから説法と行うんだと。要するにとても慈悲深い人なんだなということだ」
「すごい人なんですね」
「まぁ、仏様だからな」
時雨は大日如来に興味があるというよりは、ただその景観の美しさに目を奪われているようだった。そんな彼女の横顔を見ながら俺はどっちも違った良さがあるな、と思った。
「どうかしましたか? 早く行かないと時間、無くなっちゃいますよ?」
俺は時雨の言葉にせかされて先に進む。もしかして時雨が居なかったら俺は時間切れで最後まで見ることが出来ないのでは? 改めて時雨に感謝である。
本殿を通り過ぎる俺を見て時雨は疑問を投げかける。
「あれ? これからあそこに向かうんじゃないんですか?」
「あぁ、そこは後回しだ。そこと同じぐらい有名な観光スポットがあっちにもあるんだ。だから先にそっちに向かおう」
「なるほど」
俺と時雨はそこを通り過ぎ、阿弥陀堂や奥の院を見ながら通り過ぎる。その間も湯水のように湧いてくる俺のうんちくに時雨は楽しそうに頷いていた。
「すまないな。俺ばっかり話して」
「いえいえ。ガイドさん要らずでとても快適ですよ。それに宗利君が楽しそうに話してるのを見てると、私まで楽しくなってきます。正直、楽しめるのかどうか不安でしたけど、楽しそうにしてる人が隣に居るというのはとても良いことなんだなって思いました」
......なんて良い子なのだ。
こんなに良い子が他に居るかと全世界に向かって問いただしたい気分だ。
そんなことを言っている間に目的地に着いた。
頭上から三本、綺麗な水がちょろちょろと流れ出してきており、手前には柄がとても長いひしゃくが置いてある。
「ここが音羽の瀧だ。昔は黄金水や延命水とも呼ばれていたらしい。昔からこの水は一度も枯れたことがなくて、どんな時でも一定の水量が出ていたらしいんだ。そしてこの清らかな水から名づけられたのがこの清水寺なんだよ」
「なるほど。そういうことだったんですね」
時雨は流れ落ちる三筋の滝を見ながらひしゃくを取った。
そしておもむろに手を伸ばし水をすくい取ろうとしていたので、俺はそれを止めた。
「実はこの三本の滝にはそれぞれご利益があってな。右が延命長寿、中央が恋愛成就、左が学問長寿になっているんだ。で、その中から一本を選んで飲まないとご利益が薄れるんだよ」
その言葉を聞いて目をぱちくりとさせ、中央から左の滝へと移動した。
「なら今一番欲しいのは左の滝ですね。恋愛はもう叶ってしまいましたから」
時雨はそう言って俺の顔を覗き込みあざとく笑った。
その姿に俺はどきっとしたが、時雨はそんな俺の表情を笑ったりいじったりすることもなく、滝をひしゃくですくった。そんなことされたら本気でドキドキしてしまうではないか......!
彼女はひしゃくを持ち替えた。垂れる髪を耳にかけ、すくった水を喉に通していく。口の端からあふれた一筋の水が頬を伝ってぴちょんと石畳に落ちる。上を向きすぅっと伸びた首筋が露わになる。そのきめ細やかな肌があまりにも美しく、まるで彼女の周りが神聖なものと化したかのように俺は彼女に近づけなくなっていた。
彼女がこちらを横目でちらりと見てから、自分がその光景に見惚れていたことに気が付いた。
「はい、どうぞ」
俺は時雨が差し出したひしゃくを受け取る。俺はそれが時雨の使ったひしゃくだということを意識してごくりと唾を飲む。
......このままでは埒が明かない。俺は色々な煩悩を取っ払い、意を決して左の滝にひしゃくを突っ込み、汲まれた水を一気に飲み干した。
時雨がニヤニヤしながら見ているのを見て、俺は嫌味の一つも言いたくなり口を開く。
「こ、これで、間接キスだな!」
時雨が一瞬キョトンとした顔を見せた。
......何を言っているんだ俺は。
時雨はその言葉にどう返そうか迷った挙句、俺のとなりでぼそっとつぶやいた。
「べつに、間接キスじゃなくても、良いんですよ?」
――
下調べした全ての情報が吹っ飛ぶかと思った。
俺たちはどぎまぎしたまま、本殿へと進む。
「こ、ここが本殿だ」
「へ、へぇ~。やっぱり高いですね」
「ここの高さは13mぐらいだと言われている。まぁ高いと言われれば高いが......周りに何もないだけで、実は高さとしてはうちの学校の屋上と同じぐらいの高さだ。『清水の舞台から飛び降りる』とはよく言ったものだが、昔だからこそこの高さを良く味わえたのかもしれないな」
俺は向こうの景色を眺めてみたがそこまで高いとは思わなかった。シンガポールのマーライオンは近くで見ると意外に小さくてがっかりすると聞くが、それに近いものなのかもしれない。
「そういえば名探偵コナンの映画でも、清水寺に来てましたね」
「ああ、そうだ――」
そういえば、修学旅行で工藤新一と毛利蘭は清水寺でキスをしていた――
いや、え? あり得るのか? ここで俺もするのか? してしまうのか?
どぎまぎとした顔で時雨はこちらを見つめていた。確かあの映画では毛利蘭から新一へキスをしていたが......ここでは多分、俺から行くべき......なのか?
............
「やっぱ、だめだぁー」
行為に移す前に俺の頭が沸騰し、キャパシティを超えた。まだ俺には早い。そう本能が告げていたりいなかったりする。
「......いくじなし」
時雨が頬を膨らませてこちらを見る。
でもすぐにくすっと笑って水に流す。
「まぁ、この景色に免じてその意気地なしも許してあげるとしましょう!」
俺はそう言われて彼女越しに景色を覗いた。
背の低い建物を一望する外観、紅葉しかけの木々に降り注ぐ夕焼けの日差し。
「......確かに、とてもきれいだな」
俺たちは並んでその景色を見る。
そして数分が経って時雨がふと時計を見る。
「あっ! 時間! もう時間ないです!」
「うぉっ! ナイスだ、時雨! 走るぞ!!」
俺たちは急いでもと来た道を戻る。
結局お土産を買うことは出来なかったが、色々と印象深い思い出を残して清水寺観光は終了した。