俺は君のことが好きだ
涙を流す彼女はやりたいことが見つからなくて泣いているわけではない。
どうしようもない自分にあきれて泣いているわけでもない。
彼女が涙を流すのは、俺や他人が自分によって困っている姿を想像したからだ。
彼女はどうしようもなく優しい。
「俺はそんな君の優しいところが......好きだよ。大好きだ」
「......え?」
小日向が顔を上げる。
とても困惑した顔で。
「どういうことですか、優しいって。それにこのタイミングで、好き......って。頭、おかしいんじゃないですか、だって、だって私、佐々木君にもいっぱい迷惑かけてるんですよ。今、そういう話をしてるんですよ?」
彼女は戸惑いに少しの怒りを混ぜて言葉を放つ。
「君が困るのも怒るのも泣くのも、全て自分のためじゃない。それが優しいってことじゃなくて何なんだ。それに迷惑をかけられたかどうかは君が決めることじゃなくて俺が決めることだ。俺は君に迷惑をかけられたとは思ってない。そして俺は君のことが好きだ」
「何なんですか......言いたいことだけ言って。私、あなたと距離を置こうと思ってるんですよ? だからひどい話もして、ふつう幻滅もするでしょう?」
「もとから幻想を抱いていなかった......というのは嘘になるけれど、どの行動も君らしいと思った。ちょっとやりすぎだと思うところもあったけれど、前から君が『誰かの役に立つ』ことに普通よりも執着していることは知っていたし、この話を聞いて何となく納得した」
小日向は歯を噛み締めた。
ふつふつと何かをこみあげさせている。それは話を聞いてくれない俺への怒りかもしれないし、もっと違うものかもしれない。
「やっぱり、全部肯定してくれるんですね。でもそれだって、私があなたを利用した結果です。今も利用してるってことですよ。自分の周りに自分を慰めてくれる人を置いて、どんなことを話してもどうせ悪くないって言ってもらえると思って、言ってるんですよ。肯定してくれるあなたを見ていると、あなたのことも私のことも嫌いになる」
そういえば彼女と喧嘩したことがこれまでにあっただろうか。
彼女は優しくて気に入らないことがあったとしても喧嘩を吹っ掛けてくることなんてなかったし、俺はなんだかんだで真っ向から自分の意見を通して来れたので喧嘩というほどの言い争いをすることが無かったような気がする。
そんな彼女と今、喧嘩している。静かな喧嘩だが、きちんと批判して、きちんと思いをぶつけあっている。
それが出来たのは、多分彼女が譲れない本心を持っているからなのだろう。今までの俺は話を聞いてもらうばかりで話してもらうことが無かった。話してもらうことがあったとしても彼女が隠すダークサイドに触れずに来た。
「君は自分のことを嫌いにならなくても良いんだ。人は誰かに頼りたくなるものだし、俺だって君を利用してる。君が俺に迷惑をかけたというのなら、俺は君にそれ以上のもっとたくさんの迷惑をかけた。俺がありがとうって君に言っていたのは君にそう言いたかったからだよ。君はありがとうと言われるだけのことをしてきたんだよ」
彼女がこぶしを握りしめる。
一度止まっていた涙がもう一度流されようとしていた。
それは感情の潮流であり、悲しいとか怒りを通り越した感情が形になって溢れ出しているのではないかと思えた。
「私がひどいこと言ってるって、分かりますよね。私、あなたに嫌いって言ったんですよ! なんでもっと否定してくれないんですか!? 遠ざけてくれないんですか!? なんで、なんでそんなに優しいんですか!? なんで、なんで......」
声が震えていた。
一度決別すると決めた意地でこういうことを言っているようにも見えた気がした。
俺は自分の言葉をもっと近くで届けたかった。
彼女に直接伝わるように。
今にも色々な感情が溢れ出してしまいそうな彼女がきちんと溢れ出させることができるように。
彼女の過去を許すために。
気が付いたら手が彼女の背中に伸びていた。
後ろから長い黒髪を抑えて、自分の胸に迎え入れる。抵抗はなく、すんなりと彼女の体は傾いた。
柔らかな彼女の頬が自分の体に触れる。
俺は彼女の耳元でつぶやくように言う。
「それは君が優しいからだ。君が可愛いし魅力的だからっていうのもある。嫌いと言われた俺よりも嫌いと言った君の方が傷ついているのを知っているからっていうのもある。そして何よりも君を好きになってしまったからだ。君のことが好きだから君を甘やかしてしまうんだよ」
胸から嗚咽が聞こえてくる。
自分の制服にじんわりと温かい液体がにじむのが分かった。
「私って、ほんとにバカで......ぇっ、また頼ってしまって、困らせるって分かってるのにぃっ。意思が弱すぎてどうしようもっ――」
「辛かったな」
「辛いに決まってるじゃないですかっ! だって、尽くすつもりが空回りしてっ、信じた人には裏切られて......ほんとに恋をしたと思った人が、実は依存してただけだったなんて、辛いですよっ!」
俺の胸の中で泣きじゃくりながら、お腹のあたりをぽすぽすと殴られる。
すべての恨みや思いを溢れ出させて俺の体にぶつける彼女はいつものような強い彼女ではなかった。
「あなただって、ひどい目にあって辛いはずなのに、少しぐらい、八つ当たりしてくれても、良いじゃないですかっ!」
「そうかもな」
「そういうところですよっ! そうやっていつもいつも、受け流して! もっと佐々木君にも頼ってほしかったですよ! 負けちゃった時に最初は私だって励まそうとしてたんですから! その時に頼ってくれてたらこんなことにはならなかったんですよっ!!」
「悪かった」
嗚咽交じりの怒声だった。
黒髪を撫でながら背中をトントンと叩く。
彼女は泣きじゃくりながら抱き着く。きつく抱きしめられてちょっと痛いぐらいだ。
言葉にならない怒りの言葉や「バカ」とか「アホ」というつたない罵声が胸元から聞こえてきて、相当辛かったんだろうということを理解する。
そんな罵声ですら雨はかき消す。そんな雨の力も借りながら大声を出し、恥ずかしさや男女の思いも捨てて自分を抱きしめる彼女に、俺はいとおしさを感じていた。