俺が彼女にしてやれることは
俺は自虐的に笑う彼女の気持ちが痛いほど良く分かった。だからこそ言える。
俺が今の彼女にしてやれることはない。
彼女を励ますことは出来ないのである。
普通の言葉で励ましたとしよう。「君のしてきた行為は間違ってなかったよ。だってそんな君の行為は俺を助けてくれていたじゃないか」と。
そんな言葉で励まされたところで彼女の『佐々木君の優しさに付け込んで利用していた』という愚かさが否定されるわけではないのだ。むしろどんな状況でも励ましてくれる俺という存在を利用しているという事実に拍車をかけるに違いない。
だから俺の言葉は届かない。
そんな俺の言葉でも届くように彼女の愚かさを肯定したとしよう。「君は愚かだった。君のやってきた行為は間違っていた。俺ならもっと上手くできる。だからこれからはなんでも相談してほしい。力になる」と。
彼女は俺を頼るようになってくれるかもしれない。でもそこに俺が出会ってから好きになった彼女は居ないだろうし、彼女は自分で何かをしたいということをやめてしまうだろう。それが依存という形になってしまうことが嫌だった。何より俺は彼女にそんな厳しい言葉はかけられない。俺は彼女の言う通りどんな状況でも彼女の行為を尊重してしまう。
だから俺はそんな行動はとらない。
彼女は一体何を期待して俺にこの話をしたのだろうか。
自分の内心を話して理解してもらいたいからだ。俺に対する好きという気持ちまで話してまで、彼女は俺に自分の愚かさを理解して欲しかったのだ。
愚かさを理解させてどうして欲しかった?
俺に励まして欲しかった? それは違う。
なら俺に何を期待したのだろうか。
そう。
何も期待していないのである。
彼女は俺にこの話をして、愚かさを理解させて、励ますこともできず、そのまま話が終わることを望んでいる。
要するに、これは俺との決別をするための会話なのだ。分かりやすく言えば、別れ話である。
彼女は俺を利用していたことを愚かだと思っている。もちろん俺は利用されていたとは思っていなかったが、彼女の中では自己満足を満たすために、自分の行為を肯定してくれる俺を利用していたということになっている。そしてそんな愚かな自分と決別するために、俺を自分から遠ざけようとしているのだ。
それは彼女や俺にとって良いことなのだろうか。
その答えははっきりと言える。
間違っている。
ここで俺と別れても、彼女は独りでその行為が正しかったかどうかを見直し、答えのない問いに苦しむだけだ。別れて良かったなんて思えるはずがない。なぜなら彼女の行動原理に「誰かに迷惑をかけたくない。そして誰かの役に立ちたい」というのがあって、彼女は俺と話すたびに微妙な雰囲気になる俺を見続けなければならないからだ。自分のせいで相手を悩ませてしまっているということは彼女を大いに苦しめることだろう。
そして俺は彼女とこんな形で関係を断ち切ることになるのは嫌だ。
でも何が出来るだろう。何もできないんじゃないか?
『私はこんな方法しか思いつかなかったけれど、佐々木君ならもっといい方法を思いつくんじゃないですか?』
そうだ。俺はダメチーターだ。黒狼団の参謀だ。自分の運命を自分で変えられる力を持っているはずだ。
ユウさんにあの日『運命は思ったよりも簡単に変わる』と言われた。その方法を俺の方が上手く思いつくと言われた。俺には考える力があって、私には思いつかないような冴えたやり方を思いつくことが出来るだろう、と。
ならこの状況を打開する方法だって思いつくはずだ。
考えろ。彼女を納得させ、俺も納得する最良の方法を。
俺は目を閉じて深呼吸する。
隣で聞こえるのは静かな吐息。少し震えている彼女の吐息。
その吐息の音が、いつも苦しかったはずのこの行為を和らげてくれる。
頭が最良の判断を模索し、選択肢を広げ、間引く。残ったものからさらに選択肢を広げ、良いものだけを残す。
そして目を見開いた。
あるじゃないか。きちんと。彼女の強がりで出来た牙城を壊す一つの道が。
「なぁ、一つ聞いても良いか?」
彼女は目を伏せたまま唇を引き締めた。
そして俯くようにコクンと頷く。
「君が......小日向が今やりたいことって何なんだ?」
「今更そんな質問ですか? 私がしたいのは......佐々木君と距離を置くことですよ」
「じゃあこれからしたいことは?」
「え......?」
聞くべきことはすぐに目の前にあったんだ。
彼女はこれまでしてきた愚かなことをつまびらかに話した。彼女のやりたかったことは全て裏目に出てしまって、自分のやりたい事同士が矛盾を引き起こしてしまって、自分が本当にやりたいことすら分からなくなって。
そんな自分と決別するため彼女は俺との関係を断ち切って、悪くならないかもしれないけれど良くもならない選択肢を選ぼうとしている。
「それは......そのですね、」
だから、彼女の話には続きがないんだ。
「君は誰かの役に立ちたい。そうなんじゃないか?」
「それはっ......!」
それは彼女が捨てた選択肢。
幼いころから神社で母と父のお手伝いをして育った少女は、誰かの役に立つことで喜ばれることに喜びを知った。それからも誰かの役に立ち、感謝される日が続いて、いつしかそれは少女の行動原理となっていた。
そのせいで誰かを傷つけたり、誰かの思惑に陥れられたり、誰かを利用してしまった。だから彼女はそんな自分を切り捨てようと思った。
「私はっ、嫌なんです! そんな自分が! 誰かの役に立つために独りよがりになるなんて、根も葉もないことをしてしまう自分がっ!」
彼女はそんな自分を愚かだという。だから切り捨てたいという。
でもそんなに簡単に自分を切り捨てられるなら、こんなに苦しんだりしない。
こんなに泣きそうな声で叫んだりしない。
自分を納得させるために俺に怒鳴ったりしない。
「そもそも私が本当の意味で誰かの役に立てたことなんてなかったんですよ! 父と母も娘のやることだから嬉しくて褒めてただけだし、参拝客だって子供が一生懸命頑張ってるのをほほえましく見てただけだった! 先輩は私のおせっかいにうんざりしてたし、近づいてきた男の子だって私の性格が好きなわけじゃなかった! 佐々木君だって......最終的には私のせいであんな組織に入れられてしまって......人に迷惑をかけてばっかりだったじゃないですか!」
自分のことを否定するのは心が痛む。
彼女はその痛みを目から溢れ出させていた。
俺は彼女の頬に触れ、水滴を拭った。
「役になんか立ててなかったんですよ......いつも迷惑ばっかりで......」
ずっと君はそうやって人のことを考えてばかりいる。
喜ばれたことの方がずっと多いのに、迷惑をかけたことがずっと胸に棘のように刺さっている。
俺と距離を置くのだって、愚かな自分と決別するためとは言っているけれど、本当はこれ以上俺に迷惑をかけないためだということに、彼女自身気が付いていない。
彼女はそこはかとなく優しいのだ。
「俺はそんな君の優しいところが......好きだよ。大好きだ」
「......え?」