今の自分には何もできない
「ねぇ、どうしてほしい?」
滑らかに肌の上に指をつたわせる。
くすぐったさとこの緊迫感が相まってとても気持ちが悪い。普段なら鼻の下を伸ばすシチュエーションかもしれないが、そんなに緊張感を緩ませられるほど俺の肝は据わっていない。
これは脅しだ。
自分の反抗心を知っていて、それをほかの幹部に告げ口することもできるという脅しだ。
彼女はチーターで心を読むことができるらしい。ちょうどうちのポチ太とおんなじようなチートだ。今さっき『どうにかして欺いてやる』と俺の考えたことと一言一句違わず言ったということはそれを証明するに値する。
本当にそうなのか?
「私の能力は心を読むこと。あなたなら、分かるでしょう?」
俺の考えていることに答えを与えるようにそう言った。
確かに、それは間違いないと思う。
「どこまでが当てずっぽうだ。少なくとも今俺の考えていることに答えたことが当てずっぽうだということが俺には分かる」
「どうして?」
「俺のダメチートが発動していないからだ」
彼女の能力が心を読むことだったとして、ダメチートが発動していないのはおかしい。
心を読むチートを発動しているのなら、テレパシーのように口に出さずに会話ができるはずだ。いつもポチ太と話すときのように。
部屋の中に居たときはある程度距離があったから、ほかの人が室内でチートを使っていれば俺は彼女のチートをコピーできない。だから室内に居たときに発動していた可能性はあるが、この至近距離で発動していたということはありえない。
彼女がはぁーっと俺に息を吹きかける。ため息のようでもあったが、意図するところは違うだろう。
「あなたが室内に居たときは、能力を使っていたわ。脅されているのに冷静ね。そういう男、私は好きよ」
こんなに軽々しい「好きよ」で浮かれる男はそこまでいないだろう。いや、居るか。割と居るかもしれない。でも今の俺にそんな心の余裕はなかった。
何がしたいのだ。
ただ脅したいだけということはないだろう。
と、すると弱みを握りたいとか、そんなところか。
幹部の弱みを握っているというのは一つのアドバンテージになるだろう。
「別に弱みを握りたいとかそういうのではないよ。ただ、私は、貸しを作るのが好きなだけ」
頬をツンツンと指でつつく。
「それと、媚びを売るのも好きよ」
この感じ、嫌いなタイプだ。ララにつながる何かを感じる。
だがあの幹部たちに比べればまだマシだ。あいつらは人を人として見ていない人でなしだが、彼女は少なくとも人だ。
「私、猫谷。猫谷愛。ネコちゃんって呼んでも良いニャ」
好きかどうかは別にして、悪い人間ではないように思う。あくまで勘だが。
「じゃあ帰るか......ってどう帰るんだよ、これ」
「あ、ひどい。無視したわね?」
廃校を出て来たのは良いものの、どうやって帰ればいいのだろう。
ここまで来るのに、車を一時間ぐらい走らせたはずだ。
「帰りはゲートを使ってください。任意の位置に行くことができます。幹部は幹部会もありますからゲート開通も許されているので、これからはゲートで自宅との行き来をしてもらうことになります」
「そんな便利なものがあるのか。それもチートなのか?」
「えぇ。空間転移の能力者の方に常駐してもらっています」
人が......常駐? そんなことができるのか?
身寄りのないホームレスのチーターでも居たのか?
いくら真理の探究者とはいえ人を脅して軟禁しているなんてことはなさそうだが。
とはいえ、そんな人が居るのなら廃校の外まで出てくる必要はなかった。
早く帰ろう。帰って何もかも忘れて今日は寝よう。
「ん?」
「どうかしたか――」
突如、脳内に何かイメージが浮かび上がる。
それはまさしくレーダーだった。この空間にある建物や人がすべて骨組みのように見えた。
そしてはるか遠くで何かが光っている。
瞬く間にその光は大きさを増して......
「何か、来る!」
砂埃を上げて目の前に降り立った。
常識を逸脱した大きさの体に人間離れした身体能力。ここまで飛ぶような走りで来れる人間を俺は一人しか知らない。
「ぐーさん......」
「迎えに、来てやったぞ」
砂埃を掻き分けて堂々たる姿でこちらへ迫るその男はぐーさんに違いなかった。
険しい目つきだ。怒っている。
「報告! 敵来襲! 先日の例の男だと思われます! 至急、応援頼みます!」
山田さんが手元のスマホで応援を頼む。その瞬間に後ろで何か物音がした。
誰かが後ろから駆け寄ってくる。
「来た! 来たぁ! フヒヒヒフフゥ!!!」
不気味な笑い声を発しながら横から出て来たのはワカメ髪の女だった。
右手には藁人形を持っていた。
......まさか!?
「前に落としていった血で作ったんだよぉ! たっぷり楽しんでねぇぇ!!」
ぐーさんは一度ここで戦ったことがある。
つまりその時に血液を落としていたら呪いの藁人形はすでに作られていることになる。
それはつまり大きなアドバンテージを握られているということだ!
呪いの藁人形の首を指でつまもうとする。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
「――遅い」
気が付いたら目の前からぐーさんが消えていた。俺の真横で女に向かって拳を振り上げていた。
女はその速さをかろうじて目で追って、そして――藁人形を盾に使った。
拳は藁人形めがけて振り下ろされる。
「待ってくれ!!!」
俺は手を広げて女とぐーさんの間に割って入った。
拳はぴたりと止まった。拳から放たれた衝撃波が俺の肌をピリピリと刺激する。
「どうして、俺を、止めた!」
ぐーさんの額には血管が浮き上がっていた。
ここで戦っても何も良いことはない。
ぐーさんが藁人形を攻撃すれば無事では済まないだろう。それにぐーさんが攻撃してしまいそれを俺が止めなければ、共謀者として俺も問答無用で敵認定されてしまう。
そもそも俺を力づくでここから帰し、真理の探究者を脱退したところでその先がない。今はまだ勝ち目がないのだ。
「俺はここに残りますよ。ぐーさんもここは一度、俺の立場に免じて帰ってもらえませんか」
これが一番賢い選択だ。
そう思う。
ぐーさんは拳を強く握りしめる。
「お前は賢いよ。でも、お前はそれで良いのかよ!」
その剣幕に俺は唾を飲んだ。
良い、わけがない。良い、わけがない、が。
「これが俺の選んだ最善策ですから」
俺の意思よりも重たいものがある。
優先すべきことがある。
ぐーさんがぼそりとつぶやいた。
「お前は......また背負うのか、すべての結果を。お前は、運命の奴隷じゃないだろう......?」
次に瞬きをした時にはすでにぐーさんは消えていた。
運命の奴隷、という言葉が妙に頭に張り付いたまま離れなかった。
俺は呪い女を鎮めた後、ゲートをくぐって家に帰り、夕ご飯も食べないで、寝室の布団にもぐった。
無言で何度か拳を敷布団に打ち付けた。
何もできない自分への腹立たしさに八つ当たりするようだった。
そして不意にやってきた睡魔に意識を奪われて泥のように眠った。
佐々木君......君はチーターに振り回される運命にあるようですね。
実は記念すべき200話目だったりします。
はてさて、これからどうなることやら。