運命に抗う力を自覚した日
佐々木が震えていた。とても小刻みに。ぐちゃぐちゃになった本を掴んで。
俺は向かいの銀行で何が起きているのかを確かめるため、今すぐにでも行かなければならない。
できることなら佐々木を現場には連れて行きたくない。いくら俺に降りかかる火の粉を払ってやれるだけの力があるとは言え、危険が無いとは言い切れないからだ。
だが、震えている佐々木を見て、置いていくわけにはいかないと思った。
ここであいつを置いて行けば、きっとあいつは色々なことを自分一人で勝手に考えてしまうだろう。何故この騒ぎが起こってしまったのか、自分が何か問題を起こしてしまったのか、迷惑をかけてしまったのか。そこから出される答えがどんなものであったにしろ、自分が外出した時に問題が発生したという事実は変わらない。
やっと外に出たんだ。あれから学校以外の用事で外に出なくなり、ほとんど人とも話さなくなった佐々木が、俺に心を開いてくれて、ようやく外に出てみようという気になったんだ。その矢先にこの事件が発生した。
置いて行けるわけがない。ここで置いて行けばあいつがまた外に出なくなってしまうのは目に見えている。
「行くぞ」
「え?」
「運命への抗い方を教えてやる」
「でも、これ......本がぐちゃぐちゃに......」
「そんなものは後で弁償すれば良いんだ。気にするようなことじゃない」
俺に手を掴まれた佐々木は戸惑うように手から出てきた何かによってぐちゃぐちゃになってしまった本を棚に戻しあぐねて床に置いた。
あいつの手は震えていたが、引っ張って銀行の前に連れていくと震えは次第に収まっていった。
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「普通、逆だと思ったよ。銀行強盗が目の前に現れているのに震えが収まっていくのはかなり不自然だったから印象に残ってる」
「それは佐々木君の震えが自分への恐怖から来るものだったからではないですか? 目の前に悪い人たちが居るのを見て、自分が起こしたことが原因で銀行の人が困っているわけではないことを知ったから、とか。佐々木君って良く分からないところがあったらそれを怖がるけど、理由を知ったら途端に肝が据わるようなところがあるので」
「......なるほど」
ぐーさんは長年疑問に思っていたことがストンと腑に落ちたように手のひらを叩いた。
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「おらァ! 一歩でも動いたら、コイツでバンだからな!」
銀行強盗はその手に真っ黒い銃を手にしていた。そして銀行員を脅している。
グループは見えるだけで8人。見えないところに居る人間も含めれば、10人は超えていると見て良いだろう。見える強盗は全員銃を持っている。
あの銃の種類についてはあまり詳しくはなかった。だが仕事の関係で見たことがある銃だった。たしかサブマシンガンとかいうやつの一種だったかな。一介の銀行強盗が手にできないような強い銃だったと記憶してる。
「銀行の中に入るのは......ちょっと難しいか」
いくら俺でも銀行に押し入ってから強盗が銃弾を放つ前に全員を倒すことは出来ない。流れ弾が他の人に当たってしまうかもしれないのに、押し入るのはご法度だ。
銀行強盗全員にいきわたるだけの銃を揃えられるとは考えにくい。はっきり言って不可能だ。だが、佐々木のダメチートが発動したことを考えると、能力者に不可能を定義することはあまり得策とは言えない。
「俺はこういうの苦手なんだがなぁ。もっと単純な方が好きだ」
あまり策を考えるのは得意じゃなかった俺は、その場で立ち尽くすしかなかった。強盗が出てくる瞬間を狙って叩くことぐらいしか頭になかった。恥ずかしい限りだがな。でも、その方法を選んだとしてもどうにかなる自信があった。だからあえて無理に入ることはしなかった。そして静観を決め込んだ俺は佐々木に振り返った。
あいつは何か考え事をしているようだった。
目の前で銃を持った男達が居るにも関わらず、それが目に入っていないかのように考え事をしていたんだ。
「ぐーさん。あれ、多分偽物だよ」
「本当か?......何でそう思った?」
「なんとなく......ほら、あれ。本物だったら多分人に向けるよ。あの人たち見せびらかしてるだけだし。それにあの時のダメチートじゃこんな拳銃は作れない。作れても形だけだよ。なんとなく、そう思う」
「でも窓ガラスが割れてるだろ。あれは銃で割ったんじゃないのか?」
目の前の窓ガラスは割れていた。あの悲鳴が上がった時に割ったのだろう。粉々に割れている。
「あれは銃で割れたものじゃないよ......悲鳴が上がった瞬間に割れたなら、能力を発動して割ったんだ。その時に僕もダメチートを発動させたから。ほら、あの銃、本物だったらあんなに軽々動かせないはずだよ。やっぱり本物じゃない」
俺はその考えに思わず目を丸くした。
一応、筋は通っている。その時はそう思った。
その説得力はただの妄想から来るものではない。ちゃんと目で見た物から判断したから説得力があるのだ。
この小学生の生活はダメチートに振り回されてきた。そんな恵まれない境遇が、振り回された時の対処をするための力を育んだ。
今から考えてみれば、その理論は完璧とは程遠かった。
窓ガラスは能力で割ったにしろ、銃が本物ではない理由にはなり得ない。本物じゃないから人に向けないという確証もないし、相手の能力が想像した物を具現化させる能力だったことを鑑みると銃を作るのはかなり難しいが不可能とは言い切れない。本物の銃を作れるだけの知識があれば、時間をかけて作ることもできるだろう。今回はそうでは無かったというだけだ。それに銃で窓ガラスを割ったのではないにしろ、相手は窓ガラスを割れるだけの力があるというのは紛れもない事実だった。
しかし、それでも、この子は既に身に着けている。いや、身に着けようとしている。
自分の運命に抗うだけの力を。
佐々木はぶつぶつ言いながら割れた窓に向かった。
「おい、何をしようとしている」
「銃が偽物なら入っても大丈夫だよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
あいつは俺の静止を聞かなかった。
走って割れた窓ガラスから中に入る。
「おじさん達の銃は偽物だ! そんなことはやめろ!」
「なんだ、このガキ! 押さえこめ!」
「なんで銃を使わないんだ! やっぱりおじさん達の銃は偽物だ!」
強盗の一人が銃を投げ捨てて、佐々木を抑え込もうとする。
あいつは全く怯む様子が無かった。むしろ自分の理論があっていて安心したようだった。自分の身に危険が迫っていることはそっちのけだった。
佐々木に魔の手が伸びる。
みすみす見逃すわけがない。
「危ない事するなよ、大の大人が子供相手によ」
「なッ!? お前、一体どこから!?」
「窓からだ。見えなかったか?」
一瞬で距離を詰め手首を掴む。そのまま上に手首を捻り上げ、間髪入れずに腹に左の拳で三発殴る。
他の強盗が反応する前に市民を集めた区画を仕切る男を蹴り倒す。その男を手で掴みリーダー格の強盗に投げつけながら、自動ドア前を塞ぐ二人の男に駆け寄る。リーダー格の男が投げられた男にぶつかって尻もちをつくと同時に、自動ドア前の男達に足を引っかけて転ばせて逃げられないように足の骨を折る。
「クソッ!」
強盗の一人が手の中から刃物を作り出し、それを投げつける。俺は振り返りながら飛んでくるそれを親指と人差し指の先でつまみ、指に力を入れて破壊する。踏み込みと同時に男との間合いを詰め、顎を裏拳で殴り脳震盪を起こさせた。
それからはあっという間だった。
警察が辿り着くころには俺が全員の自由を奪っていた。
目を丸くしたままその光景を見つめる佐々木の肩に手を添えた。
「やればできるじゃないか」
「いや......何もしてないですよ......」
「お前が考えたから俺は入れたんだ。お前のおかげだよ」
そう言うとあいつは頬を少しだけ緩めた。
「まぁ、考えは粗削りだがな。良い方法があるんだが、どうだ? 学んでみるか?」
「......はい」
それは少年が運命に抗う力を自覚した日になった。