初詣に行こう
空が黒から紫になり、徐々に赤みがかってくる。
空気はとても白く、顔の周りを漂って霧散してゆく。
「うぅ~、寒ッ......」
太陽も町もまだ寝静まっている中、俺は一人で少し遠い隣町まで自転車を漕ぐ。
静かな通りに自転車のチェーンが擦れる音が吸い込まれてゆく。
「着いた......」
傍らにある小さな駐車場に自転車を止めながら、その場所が醸し出す神聖な雰囲気を肌で感じる。
カシの木に囲まれた階段を一段一段踏みしめて昇り、ところどころ朱色の塗装が剥げた鳥居をくぐる。
口を開けた狛犬がうつろな目でこちらを見つめていた。
そして目の前に荘厳な建物が現れる。
とても古いが、きちんと掃除されていて、どっしりとした存在感がある。
普段感じることのない自然に包まれるような感覚に思わず息を飲んだ。
これが彼女が憧れる場所、小日向家が宮司を務める神社だ。
「凄いな」
階段の上り口が少々小ぢんまりとしていたから、正直ここまで大きい神社だとは思っていなかった。
本殿や拝殿だけではなく、手水、社務所にお守りやおみくじの売り場まで一通り揃っている。神社の一角ではお焚き上げまでされている。近くにそんな神社があるなんて知らなかったから小さな神社だろうと思っていたのだが、これだけちゃんとした神社なら神社巡りの観光紙に小さくぐらいなら乗るのではないだろうか。
そんなことを言ってはいるが俺もそんなに神社の事情に詳しいわけではない。小日向から神社で働きたいということを聞いてから少しずつ調べた付け焼刃のようなものだ。
正月にも関わらず、人はまばらだ。
おそらくコロナウイルスの影響が大きい。昨今は『幸先詣』と題して正月から一月中旬にかけて人々が集中しないように12月中に神社に参るのを済ませておこうとかどうとかマスコミが言っていたような気がする。
まだ日が昇っていない時間帯だというのもあるかもしれない。
「さて、確か最初に――」
俺は神社をお参りするときの手順を思い出し、手水舎へ向かう。
確かここで手を清めるのだったか......
こんな寒い日に冷たい水で清めるのかと思うと思わず身がすくむ。
「あー、初詣のこんな時間にわざわざ手水舎で体を清める人なんてあんまりいませんよ」
後ろから声が聞こえて慌てて振り返る。
そこに居たのは天使。地味に神様の使いという意味もかけられたダブルミーニングだ。
天使の羽衣ともいうべき純白の衣をまとい、小日向という名前にふさわしい朝焼けのような緋袴を履いている。
前に見た神職に近いような格好ではなくて、アニメなどでよく見るような巫女服姿。それだけに現実感とかけ離れていて、オーソドックスでいて完全な清楚を体現している。
飾り気のあるものは一切つけていないのに彼女自身が輝いて見えるのは、彼女の容姿やスタイルの良さなどのポテンシャルが高いからだろう。それとこの格好、それに彼女の人を思いやる性格が加われば最早無敵だ。誰も彼女にかなわないだろう。
「あ、ああ、明けましておめでとうございます」
「ふふっ、昨日も言いましたよ。明けましておめでとうございます」
クスクスと笑いながら社務所に戻る彼女の後を、何も考える余地なくフラフラと歩いてゆく。脳内のメモリーが彼女の姿を全て余すところなく記録しようと情報を整理している。
「あの、私はまだ仕事があるので、ひと段落するまでお参りしていてくれませんか?」
「あっ......はい」
社務所に戻っていく彼女を見ながら、飼い主に見捨てられた子犬のようにしばらく立ちつくす。
フル回転していた頭も冬の乾いた風に晒されてすぐに冷えた。
俺は言われた通り神社をお参りすることにした。
お清めはしなくても良いと言われたので、そのまま拝殿に向かう。
確かに考えてみればそうだ。元旦の朝は例年なら拝殿に行列ができているだろう。そんなときにわざわざ手水で体を清めるなんてことはしないだろう。
まさかこんなにも早く付け焼刃がぽっきりと折れることになるとは思わなかった。
拝殿の鐘を鳴らそうと思ったが鐘は取り外されていた。
これもコロナウイルスのせいなのだろう。直接縄に触れて鐘を鳴らすと接触感染のリスクが高まる。
風情がないな、と思いながらポケットから五円玉を出した。
五円玉には『ご縁がありますように』という意味が込められているらしい。
ご縁か......友人関係だけでなく、恋の縁なんて意味も含んでいるのだろう。
除夜の鐘で煩悩を払ったのに、その直後に煩悩まみれのお願い事をするなんて、人間の業はとても深いな......
二礼、二拍手、一礼
「成績が上がって志望校に受かりますように」
......願い事まで日和らなくても良いだろうに。
さて、次はどこに行こうか。
小日向の仕事が終わるまではこの辺で時間を潰さなければならないし、かといって何かすることがある訳でもない。
お焚き上げの火の近くで温まっていようか。
そう迷っていると社務所から出てきた小日向を見つけた。
「ではひと段落したので、ちょっとうちの神社を案内しますよ。行きましょうか」
「は、はい!」
彼女はニコッと笑って俺を導くように手招く。
やはり彼女は天からの使いに違いない。
そんなことを思いながら彼女の後ろを着いて行った。
新年あけましておめでとうございます。
今年もダメチーター、続けていきますので、よろしくお願いします。