そこには敗北も勝利もなかった
『......ッアァ!!!』
『ラァ!!!』
俺達は言葉に出来ない気合と共に、目いっぱい拳を振りぬく。
トシのフォームは殴り慣れていないこともあってぐちゃぐちゃだった。絵面だけなら小学生の拙いケンカに見えるだろう。しかし、その威力はプロボクサーに匹敵するだろう。
お互いの拳が同時に当たる。
当たる瞬間に肉体強化を使ってダメージを抑えていたから、トシも同じようにガードを発動することが出来たんだろう。それが無ければトシは確実に取り返しのつかないことになっていただろう。
その時の俺は目の前の敵を倒すことしか頭になかった。
どう相手の攻撃を避けて、打ち返すかしか考えていなかった。
しかし、これまで攻撃を避けるという経験をあまり積んでこなかったのもあって、慣れるまでは攻撃に当たり続けた。
つまりは相手が素人丸出しなのにも関わらず良い勝負になってたってことだな。
自分に対するもどかしさが募っていた。
一方でトシは怒りをむき出しにしながら、無我夢中に殴りつけていた。
口の端から血が垂れていた。多分、衝撃で唇を切ってしまったのだろう。
その血を拭うこともなく一心不乱に拳を繰り出す姿にはある種の狂気がにじみ出ていた。
今から考えると、トシの頭は怒りに支配されかけていたんだろう。そんなに怒ったトシを見るのは後にも先にもそれが初めてだったんだ。
俺はなぜトシが怒っているのか分かっているつもりだった。
だからそれが何に向けられている怒りなのか考えようとしなかった。
時間が経つにつれ傷は刻まれていく。
トシは全身の至る所から血を流していた。
それでも怯まない。
無茶、無謀としか言いようがない。
実力差は目に見えている。
自分が圧倒的優勢なのにも関わらず、トシは気力だけでこちらに向かってきていた。
何がそんなに彼を駆り立てるのかは分からない。
しかし、これだけ相手を傷つけても一向に気分が晴れないのは、これだけダメージに差があってもまるで勝った気がしないからだろうと思った。
俺はトシを倒す方法を探すうちに、トシの能力が何であるかについて考えを巡らせることになった。
そして、俺はトシの能力が俺のそれとは根本的に違う事に気が付いた。
自分と同じタイミングで発動する能力。
そもそも最初になぜ体がよろけて自分にぶつかって来たのか。
なぜ自分の力加減が出来ずに俺の手を握り潰しかけたのか。
そこから導き出された結論は、トシがダメチートを持っているということだった。
『誰かが能力を発動した時に勝手に同じ能力を発動してしまう能力』
トシはそういう能力に振り回される能力者だった。
それに思い当たった時、トシがこれまでに受けて来たであろう理不尽やダメチートの使い勝手の悪さが引き起こすトラブルの事象が稲妻のように頭の中を駆け巡った。
トシの周りで起こるちょっとした不自然。それによってトシは若干の嫌悪を含んだ視線を常に浴びせかけられてきた。
何を考えているのか分からない気持ち悪いヤツとしか考えたことが無かったが、誰にも迷惑をかけないように自ら手を引いていたとしたらこれまでの佇まいにも説明がつく。
自分の発動する能力が思わぬところで人を傷つけてしまうから、皆から離れた。離れたことによって皆からは訳もなく嫌われてしまった。トシは当然それを望んでいなかったが、仕方がないことだと思って受け入れざるを得なかった。
その心がどれだけの悲しみに染まっていたか、俺には分からない。
俺が一瞬、拳を止めた。
力ないトシの一撃が俺の体に入った。
とても弱弱しい。
『僕はっ......お前......お前らみたいなチーターには負けないっ......! ここで折れたら僕は......運命に押しつぶされたまま生きることになる! そんなのは、嫌だッ!』
2、3発。弱い拳を当てながら泣きそうな声で俺に叫ぶ。
その言葉でようやく、トシが俺と戦っている本当の理由を知った。
トシは俺を許せなかったわけではない。
手を振り払った俺を。
優しさを無下にした俺を。
暴力にしか訴えることが出来なかった俺を。
そんな俺に怒っていたわけではないのだ。
チーターという暴力的で利己的で自己中心的な存在に怒っていたのだ。
俺はつまるところその象徴だった。
そんな俺に負けて逃げ帰ることは、自分が生きていく上で一生付きまとうことになるであろうダメチートから逃げることと同じ。つまり、運命に負けてしまうのである。
俺がトシに勝てない理由にも合点がいった。
トシは元から俺と勝負していなかったのだ。
俺はトシを倒そうとしていたが、トシは自分の運命を倒そうとしていた。
最初から戦っていなかったのである。
この勝負にトシの敗北は無い。
俺がトシを倒しても、トシが諦めない限りトシが負けたことにはならない。
トシが俺を倒したら、トシは自分の運命を一つ乗り越えたことになる。
トシが敗北しないということは、俺は勝てないということである。
しかし俺は倒れない。
こんな攻撃で倒されることは絶対にない。
だからこの勝負でのトシの勝利もあり得ない。
それにこの勝負では、トシが本当の意味で運命に勝つことは出来ない。
彼の勝負は多分、一生続いていくのだろうと思う。
その瞬間を乗り越えることは出来ても、次の壁が立ちはだかる。
それが彼の運命だ。
だったら、どうすればいい。
この戦いを終わらせるためには、どうすればいい。
答えはもう掴んでいた。
今の状態がそうである。
つまり、俺が能力を発動しなければ良いのだ。
そうすれば、お互い傷つかない。俺が戦う気力を無くせば、じきにトシも拳を振るうのをやめる。
最初から、暴力では決着がつかなかったのだ。
暴力ではどうにもならないことだってある。
そのことを俺はその時に初めて知った。
トシが拳を振るわなくなって、力尽きたように雨で濡れた砂利の上に寝ころんだ。
俺もそれを横目で見ながら寝ころぶ。
とても冷たい砂利は発熱する傷跡を冷やす。
『なぁ』
『......』
『お前は特別な力を持っていると知ってどう思った? 他の人との違いを嫌だと思ったりしなかったのか?』
『......嫌だと思ったよ。でも他人と違うのはみんなも同じだ。僕だけが苦しんでいるわけじゃない』
トシは、自分だけが特別な訳ではないということを知っていた。
ダメチーターという数奇な能力で自分以外にも似たような存在が居たことを知っていたからかもしれない。
でもトシが言う特別とは多分そう言う意味ではない。
人それぞれの個性を『特別』と呼んでいたんだ。
俺は他の人と同じように特別だった。それと同時に他の人とは違う唯一の特別ではなかった。
そのことに気が付いた。
そんな特別で、特別でない俺に何が出来るだろうと考えた。
横にはダメチートに苦しむ一人の少年がいた。
俺はこの少年の力になってあげたいと思った。
ひたむきなこの少年に。
『俺は今からお前と『うんめーきょうどうたい』になることにするよ』
『......嫌だよ』
そんなトシの言葉を聞いて、やっぱり力になってあげられるのは俺しかいないと思った。
その日から俺は一方的にトシに付きまとうようになった。
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「ってのが、これまでの流れってわけよ」
何だろう。
改めて聞くと、自分が昔、とても恥ずかしい発言をしていたような気がする。
黒歴史を暴かれた気分だ。
「なるほど。つまり佐々木君は昔から変わっていなかったという訳ですね」
「......そんなに変わってないか? 随分変わったと思うんだけど」
「根っこのところが『あー、佐々木君だなー』って感じがします」
そうだろうか?
「でも、新崎さんが佐々木君に惹かれたのも何だか分かる気がします」
「でしょ! そう思うでしょ!」
「......自分としてはただ八つ当たりしてただけのようにも思うんだが」
結局の所、していたことと言えば八つ当たりである。
今の自分だったら、もっと色々なことが出来るのに、と思ってしまう。
考えなしの行動のようで恥ずかしい。
「そんなことないですよ! しっかり信念を持ったかっこいい行動だったと思います」
「......ちょっとトイレに行ってくる」
恥ずかしさと嬉しさが許容値を振り切った。
逃げるようにトイレに走る俺の後ろでヘタレだの、そこがトシっぽいだのという言葉と笑い声が聞こえてきた。
まぁ、笑ってくれているなら良いだろう。
そんなことを思いながら俺はその場から逃げるように早足で駆け去った。
いやー、最後まで佐々木君でしたね。
次回は二学期のまとめです。
......二学期めちゃめちゃ終わるの早くないですか?