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雨音の中、拳は交わされる

 俺の手はぎゅっと音を立て押し返された。


 激痛。


 俺はその時もあの警官の時と同じように驚くほど冷静で、その激痛には驚かなかった。むしろ、トシの方がそれだけの力を出して俺の手を傷つけてしまったということに驚いているみたいだった。

 だが、錯乱と言うほどではなかった。

 やってしまったという後悔だけが残っている。そんな悲しそうな顔をしていた。


 俺はそれが理解できなかった。

 普通の人間ならもっと慌てふためいて良いはずだ。

 もっと慄いて良いはずだ。

 目の前で起こった光景は誰の目から見ても不自然だ。俺でさえ、こんなことを他人にしたことは無い。俺は自分の能力に手加減が出来るから警察や病院を呼ぶはめになるようなことはしない。

 だからもっと何か大きな反応があっても良いと思ったのだ。

 その静かな反応が示す意味を俺は悟った。

 つまり、目の前に居る物静かなクラスメイトはこういう『非日常』に慣れている。そういうことなのだろう。

 それを俺は『自分よりも特別な存在がこの世に居る』という風に受け取った。


 それがどうしようもなく許せなかった。


 どうしてもトシの驚く顔が見たかった。

 慄く顔が見たかった。

 俺の能力に驚いてひれ伏すということは、俺の存在を異端だと理解するということだ。つまりそれは俺を特別な存在だと認めることになる。

 その顔を見なければ、俺の特別性は失われてしまうと思った。


『......ご、ごめん。あの、大丈夫......? 本当にごめ――』


 俺は差し伸ばされた手を振り払った。

 最初は俺から手を出したのだ。それが今は心配されている。

 この俺が? あり得ない。

 これではまるで負けたみたいではないか。

 俺は振り払った右手で拳を作り、そのまましゃがみ込んでこちらを見ているトシを殴った。


 バチンと鈍い音が鳴った。


 その時の俺は自分と同じ能力者相手だということもあって、手加減を見誤っていた。

 その時はトシの能力が自分とは違うものかどうかも分からなかったから、どうせ少しぐらい力を強くした所で自分で治癒出来るだろうと思っていたんだ。俺の壊れた手は既にもとに戻っていたし、大丈夫だろう、と。


 トシは放物線を描いて砂利道に叩きつけられた。

 倒れたトシはしばらく動かなかった。

 雨音がひどく鮮明に聞こえた。


 俺はトシが立ち上がるのを待っていた。どうせ立ち上がるだろうと思っていたからだ。

 とても長い時間に感じられた。

 雨の変わらない雑音が時間の間隔を狂わせていた。

 あまりにも起き上がらないものだからとうとう痺れを切らした。


「立てよ」


 その言葉で俺はまた横暴な俺に戻った。

 地面から腰を上げ、倒れたトシを見下ろすように立った。

 そしたら、トシはどうしてたと思う?


 泣いてたんだ。


 痛みに泣いていたわけじゃない。

 顔から血も流していたしとても痛そうだったが、すすり泣くように泣いていたのではなく、まるで茫然とするように泣いていた。


 トシが受けた暴力は彼にとってとても理不尽なものだった。

 彼は最初、暴力を受けた。襟首を持たれ押し倒された。

 そしてやり返した。そこまでするつもりは無かったが、結果的に相手に怪我を負わせてしまった。

 だから手を差し伸べた。

 負い目もあっただろう。本当に申し訳なく思っただろう。

 だから自分がされた理不尽な暴力への怒りも抑えて手を差し伸べたのだ。


 そして突然の裏切り。

 二度目の理不尽な暴力。

 その理不尽をどうしていいのか分からないという戸惑い。

 それが涙となって雨と共に流れていたんだ。


 トシの怒りは爆発寸前だった。


 だが、その時の俺に人の感情に思いを馳せるほどの余裕は無かった。

 大体、あの時は小学校低学年だ。

 そんなに深いことが分かる訳が無い。

 そしてあの顔を見た瞬間に俺の現実感は消え去ってしまったんだ。

 トシの口角だけが上がった狂った笑い顔のような泣き顔を見て、非日常の世界にどっぷりと沈んでしまったんだ。

 そんな奇妙な泣き顔を見る事なんて普段無かったから。


『チーターは......いつも理不尽だ』


 俺は再び襟首をつかんだ。

 トシの言葉になんて気を留めなかった。

 襟首を掴み、無理矢理体を持ち上げた瞬間に両手で押し退けられた。

 今度は相手も能力者だと分かっていたから対応することが出来た。


『人のことなんて考えもしない。お父さんだってそうだ。平気で人を騙すし、他の人がそれによって苦しんでいるのを知っていてもなんとも思わない』


 言葉が雨音にかき消される。

 雨雲に隠れた太陽も地平線の向こうに沈み、辺りはすでに薄暗くなっていた。

 その時のトシの表情は見えなかった。


『何で、ここまで、僕が困らせられなくちゃならない。こんなダメチートのせいで、顔だって殴られるし、教室でも隅っこに居なくちゃならない。自分だって何をするか分からないから』


 だが拳をこれでもかと言うほど握りしめていたのは分かった。


 ここで謝ることが出来ればどれだけ良かっただろう。

 俺は謝ることなど頭に無かった。

 これまで誰かに謝ったことが無かったからだ。謝ったとしても形式だけで、母親から謝れと言われたから謝るとか姉から頭を押し付けられて謝るとか、心まで謝ったことは無かった。

 罪悪感も無かった。

 これがチーターの持つ傲慢さの典型例だと知ったのはもう少し後のことだ。


 俺は拳を振り上げた。

 そうすればトシの勇んだ心も折れて帰っていくだろうと思ったからだ。

 だがトシは素手で向かって来た。

 明らかに素人。勝ち目があるかどうかなんて分からない。俺と同じ能力が使えるにしてはあまりにも弱弱しい拳。

 こんな拳で俺に勝てるのか?

 そう思いながら俺は拳を相手の顔面に叩きつけた。


 急にトシの拳が鋭く打ち出された。

 当然だ。俺がチートを使えば、トシのダメチートは発動する。

 それが劣化コピーだったとしてもトシの身体能力は大幅に向上する。


 胸板にトシの拳が入った。

 ずしんと重く響いた。

 俺の拳もトシの顔面に入っていた。

 骨にヒビが入るような音がした。


 やはり、コイツは俺と同じく特別な存在だ。

 そして、同じ存在が居る限り、『唯一の』特別な存在にはなれない。


 ここで俺に対する反抗心を潰す必要がある。


 俺は人間の感情とかそういうのを排除した、極めて機械的な思考でそう思ったんだ。

 ついに彼らの対立も佳境に入りました。

 ここからホントに友達になれるの......? めちゃめちゃ関係悪いじゃないですか......

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