やはり昔の事を話すのははばかられる
試合のほとぼりも冷めた11月末の昼下がり。
日の当たるところとは言えお世辞にも暖かいとは言えない教室内で、俺と傑と小日向は中身のない話をしていた。
ふとした話の流れで、あの小岩井との勝負の話になった。
「そう言えば、あの試合前の練習のとき、新崎さんと佐々木君だけとても早く学校に来ていましたよね? 何かしていたんですか?」
そういえば朝に二人きりで行っていた俺の傷の回復のことについて話していなかった。
チーターである小日向には別に隠すようなことでもない。俺はどうして傑に傷を治してもらっていたかをつまびらかに話した。
「そんなことがあったんですか。なかなかまどろっこしいことをしていたんですね。新崎さんもよくそんなことに付き合いましたね」
「まぁ、別に早く来れば良いだけだし、それにトシの頼みとあっては断れねぇよ」
「新崎さんってとても佐々木君と仲が良いですよね。なんていうか、普通の友達というより本当の親友って感じですよね」
確かに。
仲が良いという言葉で表現されるのは癪だが、俺達の関係はそこら辺のクラスメイトの友人関係よりも深いだろう。
もちろん同じチーターという立場だから仲良くなったというのもある。
しかし、それだけが理由ではない。
「まぁ、昔、色々あったからねぇ」
「昔? どんなことがあったんですか?」
俺と傑は目を見合わせた。
多分、頭で思い浮かべている光景は同じだろう。
俺は「別に話しても構わない」という意思表示で一度深く頷いた。
もとより小日向に隠し事はしないと決めている。
「あー、小日向さんってさ、ちょっとアレな話とかに耐性がある感じ?」
「アレ......ですか?」
今度は小日向が俺の目を見つめて来る。
自分が「アレな話」に耐性があるかどうかの判断を俺に求めているのだろう。
傑がどこまで深い話をしようとしているのかは知らないが、俺の思いつく限りでは彼女なら耐えられるレベルだ。
アレと言ってもグロテスクな方のアレで、下ネタの要素は含まない。俺の話を受け止めてくれている彼女なら大丈夫だろう。あれに比べれば全然大したことじゃない。
大丈夫だ、と深く頷いた。
「多分、大丈夫だと思います」
「なら良かった。では、コホン......あれは大体十年前、もしくはそれより前にさかのぼります」
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傑が話し始めたのはあの日より少し前の話からだった。
そこから話し始めた方が分かりやすいと思ったのだろう。
「俺のチートってさ、トシのチートに比べたら扱いやすいし、オンオフもしやすいじゃないですか。そういうのもあって、俺は結構小さい時からこのチートを扱えたわけですよ。で、俺の肉体強化のチートは子供が持つにはあまりにも......ふさわしくないわけですよ」
傑は目を逸らした。
昔の事を思い出して後ろめたくなったのだろう。
それから傑は昔の彼について話し始めた。
それはあまりにも要領を得ない話し方だった。昔のことを話すのはやはりはばかられるものだ。昔の彼は今とは似ても似つかないほど......荒れていた。
要するに彼はとてつもない悪童だったのである。
彼はとてつもない悪童だった。
彼は子供には似つかわしくない力を手に入れた。上級生どころか大人の男性の先生でさえも手も足も出ない。そんな力を手にした子供が取る行動が理性に抑制されることなどあるはずがない。
地域で傑を知らない人間は居なかった。しかし、それを止めることが出来ず、下手に止めれば自分も何かされてしまうかもしれないという危惧は、彼を止めるという行動すら禁忌とした。
唯一、彼を止められる人間がいたとすれば、彼の家族だった。とりわけ彼の姉は唯一、傑を止めることのできる力を有していた。
それもあって、傑は「罪を隠蔽してしまえば、誰からも拘束されることなく悪事を働ける」という思考に取りつかれた。
そして彼は狡猾になるべくして狡猾になった。
そして悪事を働き続けた彼に一つ目のターニングポイントが訪れる。
「まぁ、万引きに限らず盗みとか、暴力とか振るってたら......呼ばれるわけですよ」
「呼ばれるって......」
「そりゃ......警察しかないでしょ」
小日向が口に手を当てる。
とうとうやるところまでやったという感じだ。
やり返されることが怖かった市民にとって通報という手段はある意味最後の手段に近かった。仕返しをされても構わないから誰かコイツを止めてくれという一縷の望みが110番通報という手段に手を伸ばさせたのだ。
つまり傑もそれ相応の行いをしたということである。
やって来た警察は通報者に事情聴取をした後、傑を取り押さえようとした。
無論、傑もただでは捕まらない。
小学校の低学年の児童にとっての警察とは、正義の象徴であり、先生、親に続き絶対に逆らえないものの象徴だったと言える。
小さな子供だった傑にとってもその概念は残っていた。無論、力関係で言えば町交番の一警察よりも傑の本気の方が幾倍も強い事は明白だったが、そういう理屈を考える事の出来ない子供にとって概念を乗り越えるのは大きなハードルだったと言える。
何しろ、このハードルさえ超えてしまえば、「自分はたとえ警察に狙われたとしても問題ない」という称号が与えられるのだ。そんな称号を持つ人間などこの世では数えるほどしかいないであろう。ゆえにこれは現実離れするほど高いハードルだったのだ。
「で、どうなったんですか......?」
「警察署のおっさんと俺は大立ち回りを繰り広げた。あっちに行ったりこっちに行ったり......で、そうするうちにおっさんも段々分かってきたんだろうな。俺が普通の人間とは並外れた存在で、自分でも止める事が出来ないかもしれないってことが」
小日向が絶句する。
この後、大人しく傑が警官につかまったとは思えない。
この物語が執着するには劇的な何かが必要なのだと悟ったからだろう。
「警察のおっさんは俺と適度に距離を取るようにしながら追い詰めていたんだが、その距離感を見誤ったんだろうな。俺に近づきすぎた。俺も捕まったらただでは済まないだろうって思ってたから......めちゃめちゃ必死だった。そして警官に襲い掛かった」
起きてはならないことが起こった。
誰もがそう思った。
だが、本当に起きてはならないことはそれからだった。
「警官も必死だった。このままだったら殺されてしまうかもしれないと思った。実際何もしなければ、冷静じゃない俺はおっさんを殺すかもしれなかった。俺には力加減一つで目の前の男を殺す力があったし、力加減なんてしてる余裕は無かった。だから......おっさんを責めないでほしい」
小日向が真っ青な顔で首を傾げた。
責められるのがおっさん? それが分からなかったのだろう。
「おっさんは腰にある拳銃を取り、発砲した」
この時、本当に起きてはならないことが起きたのだ。
傑君!?
ここからどうなってしまうのでしょうか!?