チートの格が違う
ここに入ってくる時、何か不思議な感触があったと言った。
おそらく何か壁のようなものが作られていたのだろう。
であればおそらく、その壁がこの景色や防音の効果を引き起こしているのだろう。
「抱きかかえられたまま考え事かぁ? 気分はお姫様ってところだなぁ?」
「俺が自分で立つよりも百倍安心して居られる場所だというのは間違いないな」
俺の余裕な態度が気にくわないのか、チッと舌打ちを鳴らす。
――もっと頭に血を上らせろ。血を上らせてボロを出せ。そうでもしなければ、俺はお前に勝てない。
ボロ衣の男は俯いて頭を手のひらでトントンと叩く。
雑に入った小物の箱を叩いて隙間を無くす、そんな風に頭を叩いて情報を整理しているようなイメージを想起させた。
そして、ニヤリと笑った。
ぞくりと背中を針が刺す。
緊張感で出来た殺意の針だ。
「この表情見た奴は全員逃げ出したくなるんだ。ここから早く出たいってな。佐々木クンはそう思ったらしいが、傑クンはそうじゃないらしい」
「傑は力じゃ負けないからな」
「それは良い。そそるねぇ」
男はクククと笑いながらそう言ったが、残念ながらそれは事実だ。
アイツの殺気に顔が引き攣った。暗殺者は殺気を隠すが、格闘家は殺気を押し出す。相手には格闘家のような戦闘に対しての強い自信がある。一瞬でそれを感じ取った。そして俺は......臆してしまった。
「トシ、お前は外から見てろ」
傑が裏拳を透明な壁に叩き込んだ。景色が揺れて青い壁にぽっかりと穴が開く。
放り投げられて俺は浮遊感の後に地面に尻もちをついた。
そして周りから見える光景に驚愕する。
まるで空中にドアが設置されていて、違う世界をのぞき見しているようなそんな景色だった。
現実感が、まるで、ない。
ドアが縮まって元の形に戻ろうとする。
後ろを見ていないのにそのことに気が付いているのか、傑が再び裏拳を放った。
塞がりかけたドアがさらに大きく広がる。
「他のことに気なんか使ってんじゃねぇよ」
今回の戦いの目標は『相手の余裕を限界まで無くすこと』。つまり余裕がなくなれば奥の手を使うしかなくなる。
それを知ることが出来ているかどうかが決戦の大きなカードになると思うのだ。
「phase3 『怪物殺し』」
傑の体が大きく膨れ上がる。
骨格が無理矢理に肥大化し、皮膚が裂けた血液が飛び散った。皮膚が裂けた部分を引き締まった筋肉で塞ぎ、激しい流血を一時的に止める。
体は人間の皮膚よりはるかに硬く、痛みに耐える精神はさらに硬い。
血液を対価に支払いながら人間の域を超えるタイムリミット付きの能力解放だ。
「それがお前の能力の上限か。ま、じっくりと――」
男がニヤリと笑い腕を出した瞬間だった。
傑が、消えた。
力強い一歩から爆発的な加速を得る。
縮地、と表現すれば良いのだろうか。
俺の眼では追いきれなかった。
無論、それは男にとっても同様だ。
「ッ!?」
翳された男の掌。
傑の神速の拳が――ズレた。
明らかに拳の軌道が曲がったのである。
すかさず傑が足払いを繰り出す。
ゆっくりと傾く男の体。
体勢を戻すかと思いきや、これは......
「避けろ! 傑!」
「......!?」
なされるがまま、地面に倒れ込んでいく。
何かがおかしい。
その奇妙な光景に俺の頭の中でアラートが鳴った。
男が地面に手を着いた瞬間、地面がたわんだ。
一瞬、目の錯覚かと思ったがそうでは無い。
地面は波のように揺れ動き、傑が立っていた場所さえもあやふやにさせていく。
自分の立っていた場所にも波及する。
まるでトランポリンの上に立っているような感覚だった。だが、自分の体重操作で動くことのないトランポリンは自分の意識とは裏腹に平衡感覚を失わせてゆく。
傑が体をふらつかせたその隙だった。
ぐっと相手の体が沈み込む。
刹那、今度は男の体が掻き消えた。
視線を泳がせ相手を探す。
そして見つける。青空の中、空間に作られた壁の天井。
その場所をたわませて、再度掻き消える。
「ぐっ!?」
傑の方から聞こえて来た声。
胸の中の空気が一度に吐き出されてしまったような声だった。
男から高速で体当たりされたのだ。
それも特殊な方法によって傑の体にも響く攻撃で。
傑の体が真後ろに倒れそうになる。
が、倒れない。
後ろに引いた足が倒れることをかろうじて阻止していた。
そして、のけぞった体から、腹筋が躍る。
「どぉりゃあ!」
即座に腹筋を起こし、力業で相手を跳ね飛ばす。
相手の体はクッションに包まれるように壁に力を吸収された。
間隔を置かず追撃。
体勢を立て直す暇も与えない。
相手は空中で指をパチンと鳴らした。
呼応するように電撃が走る。俺に流した時よりも数段大きい。
稲妻の龍が迸る。
傑に空中で稲妻を避けるような暇はなかった。
稲妻の龍の中に腕を翳したまま突っ込んでゆく。
竜が稲妻を飛び散らせた。
いや、傑が龍を切り裂いた。
傑の腕が黒くなっている。高温で焼かれて表面が炭になってしまっていた。
だが止まることは無い。
空中で勢いを緩めずに、もう片方の腕を出す。
「行くぞッ!」
男の体が強張る。
重力で落ちる暇もない。
傑が足を透明な壁に突き刺して体を固定する。
そして手を熊手に。
「熊狩りィ!」
鼻先を穿つように叩く。
入った!
そして信じられないことが起こった。
「何だ......これ」
相手の体がたわんでいた。
例えるなら、暖簾に腕押し。まるで手ごたえがない。
「あーあ、ここまで見せる気はなかったんだがなぁ」
男が掌を傑の腹に手を当てる。
傑には抵抗する気力は残っていなかった。
「逃げろ!」
傑が煙るようなスピードで弾き飛ばされた。
壁に叩きつけられるどころか空間は簡単に破れ、その勢いのまま地面にめり込む。
「傑!」
傑が地面の中からはい出した。
俺はすぐさまその場に駆け寄る。
「俺は......もう時間切れみたいだ」
「良い! 知りたい事は十分知ることが出来た! お前のおかげだ!」
俺は傑をひこずるようにして走った。
完璧な敗走だった。
相手のチート、強すぎやしませんか?
攻撃を当てた瞬間に体がたわんだのはどういうことだったのでしょう? 地面に触れた瞬間にぐにゃりと曲がったのは? 最後に傑が弾き飛ばされたのは?
一体相手は何者なのでしょうか?