メリットとデメリットと責任と
「えー、今年の高校生は非常に恵まれておらず、高校総体中止、センター試験廃止など先行きが見えないことばかりでございますが、皆、目標を持ち頑張ることこそが――」
始業式。
朝礼台に立つ校長は相も変わらず眠たくなるテンポで話をしている。
話題は変われど眠たさは変わらない。
最早これは才能と言って良いだろう。
いつものようにざわつく校庭。
校長は自分の話に酔いしれるあまり、生徒たちが自分の話を聞いていないことに気づいていない。
酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言ったもので、自分の話に酔うのは周りを把握しながらにしてもらいたいところである。
まぁ、そのおかげで何の衒いもなくこうやって小日向と話すことが出来ているのだが。
「ほんと、センターが変わる時期がまさかウイルスと被ることになるなんて思いませんでしたよ。今年ぐらいは先延ばしにしても良いんじゃないですか?」
「それはそれで三年生たちも困るんじゃないか? 新しい形での試験に慣れるために頑張っているところなんだろう?」
「それは......そうですけど」
今年の高校三年生はコロナが流行る前からも不遇とされてきた。
これまでセンター試験が行われてきたのだが、今年からは大学入学共通テストという方法に変わるのだ。何でも、より社会に求められる人材を測るため、単に学力だけを問うわけではなく多角的な判断が求められる試験する......らしい。
そのため、これまでに培われてきたセンターの過去問などが使えなくなったらしく、どうすれば的確な対策が出来るのかということが非常に難しいということだそうだ。
俺は保護者の間から今年の三年生が『新制度のいけにえ』だとか『尊い犠牲』などと呼ばれていたことを思い出していた。
「来年は俺達も受けるんだ。そのためにも大人しく犠牲になってもらおう」
「そんな殺生な......と言っても私に何か出来る訳ではないですし、反論できる権利を持っているのは私ではないですね」
素直に反論すれば良いのに。
彼女は自分が反論してもどうにもならないことを悟り、相手の気持ちを害さないように反論を取りやめたのであろう。
生きにくい生き方をしている。
「小日向さん、トシはツッコミを入れて欲しかったんだよ」
「そ、そうだったんですか!?」
「そんな風にギャグの説明をされるのは本当に心に来るな。仮面ライダーゼロワンの主人公の気持ちが少し分かった気がするよ」
「仮面ライダー見てたんですか......」
背後から傑の声がする。
夏休みの間も一緒に会っていたはずなのだが、何だか久しぶりに話したような気がする。
「まぁ、それはそれとして、三年生が不憫と言うのはその通りだな。あるべき行事がいきなり無くなったのは残念だ」
「ですね。三年生は最後の大会でしたし、それが無くなってしまったのは本当に残念でしょうね」
「他人事みたいに言ってるけど、一応俺達も当事者なんだからな」
「私たちは部活には入ってないですからねー。言ってしまえばそんなに関係が無いと言いますか。ああでも、部活に入っている友達がとても悔しそうな顔をしていました。『先輩は最後の大会だったのに、こんな形で終わってしまうなんて』って」
小日向は苦々しく表情を歪めた。
「せめて何競技かだけでもしてあげれば良いのに。出来ない競技と出来る競技があるでしょう。それらをきちんと分ければできるようになったのに」
彼女の表情があまりにも痛々しかった。
よっぽどその友人は悔しがっていたのだろう。それも悔しがっていたというぐらいだから、とても理不尽な理由だったに違いない。
彼女の意見には俺もおおむね同意だ。出来ない競技なんて本当は一握りだっただろう。
それでも現実は非情である。
すべての競技は中止になった。
彼女を励ます言葉をかけてあげたい。
だが、普通に励ますだけで大丈夫なのだろうか?
『しょうがないよ』
『早くコロナが収束しないとね』
そんな理由では駄目だ。
もっと説得力のある理由でないと彼女は全て納得し留飲を下げることは出来ないだろう。
「小日向、朝にしたメリットとデメリット、それを踏まえた上での決定の話は覚えているか?」
「えぇ、覚えていますけど......それがどうかしたんですか?」
「この場合に当てはめて考えてみるんだ」
彼女は良く分からないという風な顔をしていた。
俺は一つ一つ持論を展開する。
「まず、メリット。これは簡単だ。生徒たちの思い出を作ることが出来る」
「先生たちや政治家さんたちはそれらの重みが分かっていないんです。それらがどれだけ高校生にとって、人生にとって重要か」
「いや、分かっていると思う。ただ、彼らはデメリットの重みについてもっと分かっているだけだ」
彼女は不信感を向ける。
あまり俺の言葉を信じていないようだった。
「デメリットは、コロナウイルスが感染してしまうことだ」
「感染対策をしっかりすれば、出来る競技もあったでしょう」
「すべての競技で安心して競技が出来るほどの感染対策を出来ると思うか?」
「出来ますよ」
それが彼女の答えだった。
「出来るよ。感染対策自体は出来る。関係者がものすごく頑張って、政府からいっぱいお金が出て、一人一人が意識を高く持てば、出来る。それは出来るんだ」
「なら!」
「でも感染は防げない」
彼女は絶句した。
「どれだけ頑張っても感染はしてしまう。それは誤差のレベルだ。感染したことに理由はない。もしかしたらそこで感染したわけではなくても、そこで感染した疑いがかけられてしまうことになる。その時のデメリットの責任はだれがとる?」
「それは......感染した人とか......感染された人、先生とか......あと、政治家さんとか......でも、仕方なかったと理解されれば、これだけ小さな感染者だったと思われるはずで......」
なるほど。いつもの彼女より的確な答えだ。
どうやらそれについて色々なことを考えて来たらしい。
彼女がここまで正確にデメリットを把握できているとは思わなかった。
だが、それ以上が考えられていない。
「では、感染してしまった人が誰かに感染させた場合、感染してしまった人は責任を取れると思うか?」
「それは......取る必要がないと思います。感染してしまったことは仕方のない事で、どうすることも出来なかった」
「いや、出来ることはありました。開催しなけれな良かったんです」
「それは結果論で......!」
彼女の表情が固まった。
どうやら自分の言っていることの大きなミスに気が付いたらしい。
「そう。結果論にしないためにリスクを避けて通っているんです。感染者が出た時点でアウトなんですよ。そして問題になってしまったとしたら、嫌が応にも次の大会に慎重にならざるを得なくなる。必要以上にです。そうなってしまったら本来再開できる時に再開できなくなるかもしれない」
「そう......ですね」
彼女は完全に論破されてしまった。
しかし......言い過ぎたかもしれない。
俺は彼女の肩を叩いた。
俯いていた彼女が顔を上げる。
「出来なかった先輩はさぞ無念だったことでしょう。そして、それを見ている事しかできなかった人の気持ちも分かる。目標が無くなるのはとても辛い」
「......」
「その気持ちを晴らす事が出来るのは後輩しかいないですよね」
「へ?」
彼女がキョトンとした顔をする。
「自分が競技に出ることはできなかったが、自分が教えた後輩は競技に出て自分の代わりに良い結果を取って来てくれた。言い方は悪いかもしれませんが、それは慰めになる」
彼女は何かに気が付いたように目を見開いた。
憑き物が取れたようだった。
俺はその顔を見てホッとする。
「先輩を救うことは後輩にしかできない。友達にはそう言っておいて下さい。きっと何かの助けになるはずですよ」
「......はい!」
彼女は笑ってそう答えた。
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「デメリットとメリットと責任......ねぇ。高校生のガキにしちゃあ中々面白い考え方をする奴が居るじゃないか」
男は耳を押さえていた。
「良いねぇ......そそられる」
そして男はふわりと電柱の上から飛び降りた。
何やら不気味な男が出てきましたね。
これは何か不穏な感じがします。