悪い事はやはりバレてしまうものだ
小日向は聖域から出て、代わりに紫袴で壮年の男性が中に入っていく。
独特の足運びが様になっている。顔つきもしっかりとしていて緊張などは微塵も感じられない。
見ただけで分かる。根っからの神職だ。
「これのゆにわをいつさかと祝ひ定めはらい清めて――」
その男性は何かを読み上げ始めた。
後から調べて知ったことだが、この儀式は『祝詞奏上』。つまり神様にこれからの工事が安全に終わることをお祈りする儀式である。
流石にこの長い文句を堂々と面と向かって神様に読むには流石の彼女も経験不足なのだろう。だから父親とバトンタッチしたのかもしれない。
「さてと、彼女はあのテントの中に入っていったねぇ。どうする? 覗く?」
「するわけねぇだろ。この神聖な儀式の最中によくそんなバチの当たりそうなことが言えるよな。絶対、良い死に方しないぞ」
「ここまで来た時点で君もかなーり悪の道に染まっていると思うんだけどなぁ。見てよ、あそこのテントの中。多分彼女は今テントの中であの白装束を脱いでいるはずだよぉ。僕達の体は小さいから絶対に気づかれることなくノーリスクであのテントの中を覗くことが出来るんだぁ! それでもやらないのかなぁ!?」
おっさんが羽をバタバタとはためかせながらそんな言葉を吐く。
だが一度固まってしまった俺の意志がそんな言葉で揺らぐはずがない。
「あのテントの中はロマンだ。覗いちゃいけない。それぐらいが一番ロマンがあるんだ。だから俺は覗かない」
「男気があるのかないのか本当に分からないねぇ、君は......でも」
おっさんはニヤリと笑った。
背筋に寒気が走る。
チーターが悪いことを企んでいる時の寒気の走り方だ!
『ポチ太!!』
間髪入れずに心の中で叫ぶ。
間もなくおっさんが最高速で観衆の間を音もなく潜りぬける。
俺もソレを追いかけてはいるがやはりスピードが足らない。
『ダメだ! 俺じゃ相手に追いつかない! ポチ太! アイツを捕まえてくれ!!』
俺はポチ太に目をやったが、そこで俺はあるものを目にして俺の考えが甘かったことに思い至る。
ポチ太が観衆に引っかかっているのだ。思うように進めていない!
俺はポチ太が居ればあの蚊は捕まえられるものだと思っていた。
しかしそれは間違いだった!
これだけ人が集まっている場所だとたとえ犬の速度でもアレを追いかけることは不可能だ!
「クソッ! 待て!」
「待てと言われて待つわけないだろー!」
観衆の間を通り抜け段々とテントが近づいてくる。
だが相手との間にはまだ2mほどの距離がある! しかも差は開く一方だ。
「このままじゃ......」
「馬鹿だねぇ! そんな動きで俺が止められるわけが――」
「ば、馬鹿ッ! 前をよく見ろ!」
それはおっさんがこちらに気を逸らした瞬間だった。
おっさんの前に何かが現れる。
それはフライ返しだった。
先程まで屋台で焼きそばを焼いていたフライ返し。それが目の前にあったのだ。
なぜ地鎮祭なんかで屋台が出ているのかは知らない。
だが必死になってテントまで一直線に進んでいた俺達には見えていなかったのだ。屋台の存在が。俺達は屋台を潜りぬけながら進んでいたことを気にも留めていなかった!
俺は寸でのところで屋台を避けて前に進むがおっさんはそうはいかない。
焼きそばをひっくり返すために勢いよく跳ね上げられたフライ返しに体を弾かれてしまった!
「ぶべっ」
はたかれたおっさんが声を上げた。
体ははたかれたスピードのまま茂みの中に突っ込んでいく。まるで扇風機の羽の中に突っ込んだハエのようにビタンと茂みの葉に叩きつけられた。俺以外は誰もそのことに気が付かない。
俺の体が大きくなりつつある。
おっさんが気絶したのかチートの発動が収まったのである。
そこで俺は不味いことになったことに気が付いた。
テントまでの距離はあと少し。
このスピードのまま大きくなったら......
「確実に突っ込む!!」
ダメだ!
チートを失って空中で勢いを弱めることはできない!
慣性の働くまま俺はテントの中に突っ込んだ。
「佐々木......くん?」
「ど、どうも」
気まずい空気が流れる。
顔を上げるとそこには小日向が居た。
着崩された服。下着は着けていなかったのか普段は露わにならないところまで肌が見え隠れしている。
なんというか......とてもセクシーだ。
余りのショックに俺は見惚れたまま頭を真っ白にさせていた。
「とりあえず......出て行ってもらえませんか」
「......しょ、承知しましたッ!」
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彼女が出てきたのはそれから十分ほどしてからだった。
「覗くのはどうかと思いますよ」
「俺もどうかと思う」
小日向は俺の噛み合わない返答に首を傾げた。
だがこれまでの経緯を話すのもなんだか面倒くさいので、おっさんの存在については話さないことにした。
「やっぱり来てくれてたんですね」
「やっぱりってどういうことだ? 確かに何度もこちらの方を見られたような気がしたけれど」
「ほら、ポチ太くんも連れて来たんですよね」
俺はその返答で納得した。
彼女が見つめていたのは俺でもおっさんでも無くてポチ太だったのだ。ポチ太が来ていれば当然俺も来ているはず。そう思うのはいたって自然なことだろう。
俺は隣に居たポチ太の頭をわしわしと撫でた。
「地鎮祭と聞いたからてっきりもっと儀式ぶったものかと思っていたんだが、まさかこんなにお祭りのような雰囲気でやるなんて思ってもみなかった」
地鎮祭と言えば関係者だけでやるものだ。
俺のイメージの中の地鎮祭はテントの中などで参列者が一様に座って祭りの光景を眺めている感じだから、まさかこのような形でやるとは考えなかった。
「だから結構大きめにするって言ったじゃないですか。ウイルスが蔓延してるこんな時期だからみんなお祭りに飢えてるし、普通とは違う地鎮祭をやった方が注目も集められるのではないかと考えた市役所の方が地鎮祭をイベント事にしてみようと考えたらしいんですよ」
「でも結構反対意見もあったんじゃないか?」
「それが工事の運営会社やうちのお父さんも結構乗り気になっちゃって......お父さんは私の常装まで用意してしまったんですよ」
彼女は少し鬱陶しいという風に言った。
俺にはお父さんがはしゃいでいるのも何だか分かるような気がしていた。
こんなに可愛い娘だったら色々な人に見せたいだろう。俺だって彼女が他の人に可愛いと言われているのを見ると誇らしい気持ちになる。
まぁ、独り占めしたい気もするのだが。
「でも良かった」
「へ?」
「いや、その......私、初めてだったんですよ。人の前で神事をするの。普通神職の仕事は資格がないと出来ないんですよ。私はうちの神社で修行中というか見習い中なんです。だから普通ならこんなことはできないんですけど、今回は特別なんです。だから......見ていてもらえてよかった」
心がドキリと跳ね上がった。
それは俺に見ていてもらえてよかったということか!?
彼女は俺の表情を見てアハハと笑った。
「佐々木君が見てると思ったら何だかしっかりしなきゃと思えて、結果的にミスせずに終えることが出来ましたから」
俺はそんな理由かとがっくりと肩を落とした。てっきり大切な人にこういう記念すべきことを見てもらえて良かったとかそういう理由かと思っていたのだが......
だが俺は気が付かなかった。
それは彼女が咄嗟に吐いたちょっとした嘘だったということに。
結果的にラッキースケベな展開になってしまいましたね。うらやま......いや、なんでもないです。