蚊は何をしても気づかれない
「な、何なんだ! いったいアンタは!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。どうどう」
俺は気絶から治った後もそれが悪夢の類いでは無い事を悟る。
目の前には背中から羽虫のような羽を生やした中年太りのおじさんが居たのだ。
「この状態でどうやって落ち着けって言うんだよ!?」
「その意見も一理あると思う。実際俺もバレるとは思っていなかったからなぁ」
「不法侵入じゃないか!」
「全く以ってその通り」
おじさんは全く悪びれることなくそう言った。
とりあえず、今の状況を整理したい。
俺は蚊のような小ささになっている。それも飛べる羽まで背中に付けて。
これは言うまでもなくダメチートのせいだ。
目の前に居るおじさんのチートが『体を小さくして背中から羽を生やすチート』なのだろう。
そしておじさんは俺の部屋に不法侵入してきたという訳である。
「どうして君は僕と同じような姿になっているのかなぁ」
俺はこんな男に経緯など話したくなかったが、話さなければ話が先に進まなさそうだったので、しぶしぶダメチートのことを話した。
「なるほどぉ。つまり君は、勝手に人の能力をコピーする能力なのかぁ。僕と同じような特殊な能力を持った人間もいるんだねぇ」
ねっとりとした喋り方でフムフムと頷く。
はっきりと言って気持ち悪い。
こんなティンカーベルを性転換させて20年間ニートにさせたようなバケモノを普通の人間と言って良いのかどうかすら俺には判別がつかない。
「で、どうして俺の家なんかに不法侵入したりしたんだ」
問題はそこである。
金目のものを盗むつもりだったのか、それとも何か個人情報を抜き取りに来たのか。
こんな小ささで出来ることは少ないと思うが、それでもキャッシュカードの番号を見たりすることは出来るだろう。
俺が理由を尋ねると、どうしたことか男は照れた様子で頬を赤らめた。
――何だか嫌な予感がする。
「実は、僕はですね、覗きが趣味でして」
「は?」
「つい夕方ごろに可愛い女の子が二人、この家の中に入っていくのを見まして、これは覗くしかないだろうと思いまして」
俺の感情が沸点に達した。
問答無用でおじさんの胸倉を掴む。
「お前、俺の可愛い妹達に何しようとしてたんだッ!?」
「な、なにって危害を加える訳じゃないですよ!? ただ覗きをするだけで」
「それが駄目だって言ってるんだろうがッ!!」
俺は小さな体でバコーンと相手の体を殴った。
小さい体で質量が無いのか、あまりダメージが入らない。
これ以上殴っても無駄だと感じた俺は、この男がなぜこんなにもヘラヘラと笑っていられるかを理解した。
つまるところこの体は思った以上に無力なのである。
蚊が人間に潰されるのに抵抗できないように、力など出したくても出せないのである。
この体の事を熟知しているおじさんは、この体同士で争うことが出来ないことを知っているのだ。
それを知った上でこの態度。
俺の怒りが昂ろうとも知ったことではない。
「あんた、なかなかズル賢い性格してるな」
「別にそんなことは無いよぉ。僕は争うのが嫌いなだけさ」
ニタニタと笑う男はまるで反省していないようだった。
おそらく何度もこうやって覗きをする中で罪の意識が薄れ始めてしまったのだろう。
「大人しくここから出ていけ。俺はお前を法的に裁くこともできるかもしれないんだぞ」
「確かにここで捕まったらマズイかなぁ?」
男は深刻そうな顔もせず、そう言いながらしらばっくれている。
羽の生えたおじさんは何かを伺っているようだった。
「そうだねぇ。ここで捕まったらマズイから......」
一瞬の隙を突かれた。
俺が彼の返答を待っているほんの一瞬の隙を突き、彼はその羽で勢いよく浮き上がった。
俺は飛び方に手間取っているにも関わらず彼は一直線に扉の向こう側に向かおうとする。
「待てッ!」
「捕まったらマズイことにされちゃうんだよねぇ? だったら逃げるしかないんじゃないかなぁ?」
そう言いながらも向かっていたのはやって来た窓の方ではなく、閉まったドアのわずかな隙間だった。
俺は体勢を整えながら、彼の向かった方向へ飛んで行く。
あそこから抜けられて距離をつけられれば探すのはかなり困難になる。
ここで食い止めなければ!
だが、彼との距離は縮まらない。
相手の方がかなりスピードが速いのだ! 相手の方が飛び慣れているからなのか、それともダメチートの劣化コピーによるものなのかどうかは分からないが、このままだと勝てない!
「雨姫! 由香! ドアの隙間に注意しろ!!」
「ハハハ! 大声を張り上げたって無駄だよ! 君の体のサイズじゃあ、大声を張り上げたところで誰にも気づいてもらえない!!」
クソッ!
この姿だと良くも悪くも、どんなことをしても気づかれないということなのか!?
よく考えろ。
何かあるはずだ。
自分が非力というならば、相手も非力に違いない。
いくら相手が人間にバレないからと言って、バレてしまえば無力。
絶対にこの理論だけは揺るがない。
つまり、相手の存在を俺以外の誰かに伝えられればいいのだ。
とっておきがあるではないか。
うちにはこういう時のための番犬が居る。
『ポチ太ァァ!!』
俺は心の中で大きくその名前を叫ぶ。
階下から何かドタバタとした音が聞こえる。
「何か来るのかぁ?」
「とっておきが来るんだよ。うちにいるチーターは俺一人じゃないんでね」
こちらをチラチラと見ながらおじさんは素早く他の部屋に入ろうとする。
その部屋は由香と雨姫の部屋だった。
「だが残念だったねぇ! この僕が人間相手につかまることなんてあり得な――」
べチンという乾いた音が響き渡る。
猫パンチならぬ犬パンチ。
壁に叩きつけられたおじさんはピクピクとしながら泡を吹いていた。
『これで良かったのじゃな? ご主人』
『ああ、カンペキだ』
俺の体は元に戻る。
俺はその小さいおじさんの体が元に戻るのを見て、やはりこれは普通のおじさんだったのだと、吐き気がするような気持ちだった。
「どうかしたのー?」
「あぁ、いや......なんでもないよ」
俺はアハハと笑いながら部屋の向こう側から勘繰る由香の疑問を受け流していた。
由香が何も疑問に思わなくなったところで俺ははぁっと溜息を吐く。
目の前には気絶したおじさん。本日二度目の気絶である。
「これ、どうすっかなぁ」
俺はとりあえずおじさんを俺の部屋に引きずりながら、放り出すわけにもいかないおじさんをどうしようか考えていた。
何だこのおっさん!
ド変態おじさんが家にやって来たみたいですね。
このあと彼らがどうなるのか。作者にも想像がつきません(いきあたりばったり)