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雨に唄えば

「そうだ! 佐々木君! 良い物を見せてあげます!」

「へ?」


 そう言って小日向さんは、手を打ち鳴らした。


――瞬間、時が止まる。

 

 比喩表現ではない。

 彼女のチートは時を止める能力。手を叩けば時が止まる。その能力を俺は甘く見すぎていたのかも仕入れない。

 降る雨が全て止まる。

 地面に当たって跳ねた水が、空中で止まったまま落ちてこない。

 畔を流れる水が、地を穿つ雨だれが、波紋を無数に広げた水たまりが、全て動きを止めている。


 静寂。


 完全なる静寂だった。

 日常に溶け込んでいた雑音が全て消えてしまうという『異常』が、ここまで日常に不可欠だったことを知った。

 感動とはまた違う。

 心が空っぽになるような光景だった。

 ただ一つ、分かることがある。

 ここは、この世界は、今まさに俺達だけの空間になったのだ。


「どうです? きれいでしょう?」

「はい......多分、綺麗なのだと思います。でも雨を綺麗だと思って見たことは無かったから、少し心が驚いていると言いますか......なんといえば良いのか分かりません」


 なんと例えれば良いのか分からなかった。

 動いているべきものが止まっている。自分の中の常識が覆されてしまうような感覚。違和感のようなものが大きいが、それを不快には感じない。

 これはある意味、感動なのかもしれないと思った。

 

「さぁ、来てみて下さい!」


 小日向さんが、雨の敷居をまたぐ。

 軒下のその向こうへ、雨の中を歩いていく。

 俺は唖然として、止めようと思い手を伸ばす。その手を小日向さんは躊躇なく掴み、そして俺を軒下から引っ張り出した。


 濡れない。

 なぜだろう。

 服と肌が水玉を弾いている。


「私、時を止めている最中に止める対象を変えることができるんです。生き物の時間を動かすことは出来ないんですけどね。いつもは触れたものを動かすようにしているのですが、それをちょっと変えると、こういうことが出来るんです」


 俺は水玉に触れてみる。

 まるで固体に触れたように形状が変わらない。かといって体に当たると痛いということもない。自分が歩いてきた所が、雨の中に片を抜いたように何もなくなっていた。

 この雨は俺の知っている雨ではない。直感的にそう感じた。

 俺の知っている雨はもっと悲しくて、そんなときに寄り添ってくれるようなものだった。

 けれどこれはそうでは無い。


「やまないはずの雨が......やんだ」

「どういうことですか?」


 自分でもそれ以上何と言えば良いのか分からなかった。

 あの日から続いていたはずの雨が止まって、雲の切れ間から日差しが差し込んだような、そんな気分だった。


 小日向さんが俺の手を引っ張った。


「知ってますか? 確か2年ぐらい前の朝の連続テレビ小説なんですが、雨の中で昂った男女が二人で踊り出すシーンがあるんですよ?」

「いや、聞いたことないですね」

「そうですか。結構、物議をかもしたんですよ? 主人公と夫が離婚したり、不倫したり、ちなみに主人公は女なんですけど、男性と知り合って踊るまでにわずか5日ほどしか経ってなかった気がします」

「そんなものをこのご時世に流せるとは、なかなか朝からハードですね」

「私は好きだったんですけどね」


 小日向さんが手をクイっと引っ張った。

 俺は半ばリードを握られるように踊り出す。

 慣れないリズムに足を狂わせながらも、段々と慣れて基本のステップを踏めるようになった。


「それでその男女はどうなったんですか?」

「どうなったんでしょうね」


 小日向さんがクスッと笑って話をはぐらかす。

 離婚だの不倫だのと言っていたからには、あまり上手くはいっていないのだろう。

 大体5日間で踊り出すような恋などたかが知れている。俺は相手の名前も知らないのに好きになって心中するようなロミオとジュリエットにときめいたこともないのだ。

 そうだとすればここで踊っているのは、俺達の仲にとってなかなか危ないことになるのではないか? そんなことを思いながら時々こちらも小日向さんをリードする。


「雨の中で踊ると言えば、俺が真っ先に思いつくのは雨に唄えば、ですかね」

「何ですかそれ?」

「知らないですか? I sing in the rain. Just sing in the rain. What a glorious feelin'

I'm happy again.」

「メロディーは知ってるような気も」

「この映画はあの当時はやっていたミュージカル映画なんですが、主人公の気持ちが昂って雨の中で踊り出すシーンがあるんです」

「面白そうですね!」

「何年前の映画なのかは忘れましたが、著作権が切れるほど前の映画です。不朽の名作ですよ」


 雨に唄えばの続きを歌いながらステップを踏む。

 俺はこの映画を一度見たことがある。だが、この映画に共感することはできなかった。確かに面白い映画だとは思ったが、それと俺の心の中が同じだったわけではないのだ。

 でも今ならこの曲に合わせて歌ったり踊ったりも出来る。

 世界に自分たちしかいない。

 そんな特異な状況だからこそ、こんな気持ちになれたのかもしれない。


「それも男女で踊ってたんですか?」

「いや、男だけですね」


 だが、気持ちが昂っていた理由としては同じようなものである。

 小日向さんが言っているドラマと違って、こちらの恋は成就しているのが違いかもしれない。 


「佐々木君!」

「何ですか?」

「私、もうそろそろ佐々木君が私の呼び方を変えてくれても良いころだと思うんです!」


 俺はその言葉に目玉が飛び出るほど喜ぶ。

 なぜ、今のタイミングでそれを言い出したのか。訳が分からなかったからだ。


「だってこれまで色々な事があったのに、最初からずっと小日向さんとしか呼ばないじゃないですか! 私は親しみを込めて佐々木『君』って呼んでるのに」

 

 そう言えばそうだ。

 最初の頃は確か佐々木さんと呼ばれていたような気がする。

 だが、結構初めの時に自分の呼び方だけすんなりと君付けになったような気がするのだ。

 いつの話だったかは全く覚えていないのだが。

 これは親しみを込められていたのか。


「だったらなんて呼べばいいんです!」

「それは佐々木君が決めて下さいよ!」


 困った。

 非常に困った。

 小日向さんとつないでいる手が、急に汗をかき始めたような気がした。

 小日向ちゃん、は無いな。子供っぽい。時雨? 図々しすぎるだろ。女子同士が下の名前で呼び合うのとは訳が違うんだぞ。


「小日向さんじゃダメですか」

「ダメです」


 俺は踊りながら黙考する。 

 小日向さんにされるがままに回り、ステップを踏み、雨をまき散らしていく。


「小日向」

「そこまで行くなら時雨って呼んでくれても良いんですよ?」

「それは無理です! 俺にはここが限界です!」


 小日向さんが俺の顔を覗き込み、紅潮する俺の顔を見て満足そうに笑った。


「及第点ですね。許してあげましょう。でもその代わり、考えている最中じゃない時でも、敬語は禁止です!」

「分かりま......分かったよ。小日向」


 小日向さんがニッと笑った。

 意地悪そうに笑う小日向さんを見るのはなんだかんだこれが初めてかもしれない。そう思いながら俺も困ったように笑い返した。

 小日向さんと佐々木君の関係が一歩進んだみたいです!?

 最後の最後で日和らなければもう少し進めたかもしれないですね......

 佐々木君らしいです。

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