人にはそれぞれ違う人生がある
「もう一度、あの時に戻れたらどうするか。考えたことも無かった」
天啓を受けたような気がした。
確かに今の自分ならもっと上手くやれる。
あの男の能力を意図的に逆手に利用して、定期的に上手く暗示をかけ続けることも出来るだろう。
でも、もしも、今の自分ではなく、あの頃の自分のまま俺があの時間に戻ったら?
出来ない。
俺はあの方法以外に取れる選択肢は無かった。
あの頃の俺は未熟だったが、同時に心があった。
あの頃の俺がもしもあの光景を見逃していたら、俺に心は残らなかった。
今の俺があるのはあの頃の俺が心を手放さなかったおかげである。
何もかもが事後報告に過ぎない。
全てが結果論で、今の俺が結果的に上手くいっているから言えるだけに過ぎない。
もしかしたら他の世界線の俺はもっと良い人間になっていたかもしれない。
それでも俺は。
「俺は今の自分が嫌だと思っている訳じゃない。過去の自分が行った事を悔いているだけだ」
「そんなものなら私にだってありますよ」
「何がですか?」
「後悔です」
小日向さんは何か後悔していることが無いか、頭に色々なことを思い浮かべているようだった。
時には頬を赤く染めたりもしながら、何か言えることが無いか考えているようだった。
しかし、小日向さんは頬をパチンと軽くはたいて覚悟を決めたように言葉を発した。
「実は私、佐々木君と出会う前に一度だけこのチートをばらしたことがあるんです」
「一度、ですか?」
「はい。それ以来は誰にもばらさないと決めていました」
小日向さんが縁石に体を預けたまま、足をぷらぷらと放り出す。
その動きがメトロノームの様に規則正しく揺れるので、俺はつい見入ってしまった。
茶色のローファーが振り子のように揺れる。
「私は結構幼いころからこの能力を使いこなせていました。物心つく前には自分が手を叩くと時が止まることをしっていたんです。両親もそのことは薄々感じ取っていたようで、私の育児にはとても手を焼いたようでした」
「あぁ、確かに。何かと大変そうだ」
ご飯を食べている最中に気が付いたら消えているとかもしょっちゅうなのかもしれない。
そう考えてみると、親としては気が気でないだろう。
「私が幼稚園の頃は、これが誰にでも出来る事なんだろうと思っていました。別に特別ではないことなのだろうと。だから別に気に留める必要もありませんでした。幼稚園に入ったころには自分の能力が使いこなせていたのですが、引っ込み思案なのもあって、あまり目立ったり自分の好き勝手にしたりするのは好きではなかったので、あまり自分の能力を使いませんでした」
「そういうところは想像できる気がします。小日向さんらしい」
「らしいって何ですか! これでも結構変わったと自分では思ってるんですよ?」
「褒めてます。褒めてますから続きをどうぞ」
「もう」
小日向さんは多分、自分が満足するために人を不幸にしてまでチートを使うことは無いだろう。
もしもそんな人であれば、俺が好きになることは無かったし、俺の隣でこうやって座って話を聞いてくれることも無かった。
俺は基本的にチーターが嫌いだ。
チーターは普通の人よりも自分の事しか考えていない人の方が多い。それは幼少期からチートを持っていた人間に顕著な特徴だ。倫理観が発達する前に好き勝手出来る力があるので、それをいけないことだと思わずに使ってしまうのだ。
俺は小日向さんがチーターである以前に人間として好きだが、チーターであったとしてもそういうチーターではないから好きだ。
小日向さん的に言えば、そのころの自分はあまり好きではないのかもしれないが、俺は好きだ。
俺も変わったと思っていたら残っていた部分もあるみたいだしお相子だろう。
「それでですね、小学校に上がってからようやく自分の能力が特異的なものだと感じたわけです」
「なるほど」
「それで、その年でみんなに隠しごとするのって心的に苦しいじゃないですか」
「まぁ、そうですね。中々出来ることではないですね」
小日向さんが頬を赤く染めて何だかモジモジとしている。
何か言いにくい事でもあるのだろうか。
「話は飛ぶんですけど、ちょうどその時、初恋をしたんですよ」
むせる。
何が軌道に入ったわけでも無いのにむせた。
ゲホッゲホッと汚い咳が出る。
「そ、それで」
「その子に告白をしまして」
絶句。
なんだその過去は。
聞いたことが無い。
「付き合うことになったんですよ」
「や、やりましたね」
「まぁ、そのころは付き合うってことをドラマでしか知りませんでしたから、そんなにいろんなことはしてませんけど」
「で、それが、どう本題とつながって来るんですか」
俺は現実逃避の様に話を逸らした。
そうか......いたのか、小日向さんには。
俺の初恋はいつだったか。
思い出せない。
だが俺の恋がこれまで一度も成功しなかったことだけは思い出せる。
「私、その人に能力の事教えたんですよ」
「あー、なるほど」
「最初は信じてくれなかったんですけど、能力を見せたら信じてもらえました。そしたらその子、この能力が万引きに使えるんじゃないかって言い始めて」
「まぁ、普通ならそうなるでしょうね」
時を止める能力を正しくないことに使おうとする輩は沢山居る。
むしろそうしない方がおかしいと言っても良い。
だがそれを彼女に相談するのはどうかと思う。
だが、それが小学生というものなのだ。若いければ若いほど失敗が多いのだ。
「だから一気に冷めちゃいました。それで別れたんですよ」
「そうなんですか。良かったです」
「良かったです?」
「何でもないです。続けてください」
俺は内心ほっとした。
「それだけで終わればまだ良かったんですけど」
「何かあるんですか?」
「私が能力を持っていることを言いふらされたんですよ。言わないでって言ったのに」
「それは......悲しいですね」
「まぁでも、その子が言っても信じてもらえなかったんですけどね。それからちょくちょくちょっかいを出されるようになって、ああもうこれからは誰かに能力の事を話すのはやめようって思ったんです」
なるほど。
それは言いたくもなくなるわけだ。
そう言う意味で言えば、俺は周りの友達には恵まれていたのかもしれない。
「だからあの時、私が時を止めた中に入って来た佐々木君に助けられたんです。」
小日向さんがニコリと笑う。
それは励まそうとする笑みだった。
俺もつられて微笑んでしまう。
小日向さんの知らない一面を覗き見た気がする。
「そうだ! 佐々木君! 良い物を見せてあげます!」
「へ?」
そう言って小日向さんはすっくと立ちあがり、パンッと手を打ち鳴らした。