正論は正しいが信じられるとは限らない
しばらく沈黙が続いた。
小日向さんが口に当てた手を放してからも長い間沈黙が続く。
お互い、何を言えば良いのか分からなかったのだ。
俺は樋を流れ端から落ちてくる雨のしずくを、ただぼんやりと眺めていた。
この話を知っているのは傑、今の両親、由香、あとは中学での黒狼団の中でも限られた人間だけだった。
自分から話したのは傑と黒狼団の人間だけである。
話す時期はいつも決まって梅雨の時期だった。
傑は極力気にしていないような感じで話を流してくれた。それはそれでありがたかったし、流石の憎たらしいほどのイケメンムーブだ、とも思った。
黒狼団の皆に話した時は、そうせざるを得ない状況だったこともあり、割とすんなり受け入れられた。沢山の人数相手に話していて、わりとやんわりとした感じになってしまったというのもあった。
俺はそういう時、誰かにこのことを話して楽になろうとしていた。
周りの人に俺のしてしまったことの罪状を知ってもらうことで、自分の本質を見てもらおうと思っていたのだ。
沈黙を破ったのは小日向さんだった。
「私、は、そんなに重たいことを経験したことは無かったし、佐々木君がそのときどれだけ苦しんだのかもわかりません」
「別にそれを小日向さんが理解する必要も無いし、小日向さんにその時と同じ気持ちになってほしいとも思っていません。ただ知っておいて欲しかったんです。俺がどれだけの罪を犯してしまったのかということを」
「罪なんかじゃありませんよ! 佐々木君は、佐々木君は殺す気なんて無かったんじゃないですか!」
「罪ですよ。刑法で言えば過失致死罪です。自分の可能性に気づけていなかった自分の過失です」
小日向さんが返す言葉もなく口を半開きにさせた後、唇をギュッと引き締めて俯く。
自分の思考回路は凝り固まっていた。
この雨は止むことは無いのだろうと信じきっていた。
「俺は結局、罪には問われませんでした。これだけ沢山の不可解なことが起きて、警察が何の成果も得られず、見つかったのは小学校高学年の年端もいかない男子児童一人。それでも俺が罪に問われることは無かったんです。交番の人に全て真実を打ち明けました。でもその頃の俺には説得力も無くて、ただパニックを起こしているようにしか思われなかったんです」
「......だから知ってほしかったんですか」
「少しでも自分の事を知っている人が多く居て欲しかった。自分を罪人だと知ってくれている人が多く欲しかった」
俺はあれだけ憎んだ父よりもひどい事をした。
これは事実だ。
だから俺は自分の命が狙われようと、絶対に人の命を奪ったり、傷つけたりする方法で問題を解決しないと心に決めた。
こんなことは償いにもならないと分かっている。
でもこれしか出来ない。
これが俺の償いだ。
小日向さんは困ったような顔をしていた。
それは何かを葛藤しているようでもあったし、俺の言っていることが素直に飲み込めないようでもあった。
空が少しずつ暗くなって、ふと腕時計を見る。
もう話し始めてからかれこれ一時間が経っていたことに俺は驚いた。
こんなにも長くの間、俺達は二人きりでどうしようもないことを話していたのだと思うと、小日向さんに申し訳ない気持ちになってしまう。
俺達はそれから少しの間、短い言葉のやり取りをした。
お互いがお互いの言葉を否定しあい、そして沈黙が続く。
どうしようもないやり取りをただひたすらに繰り返していた。
それからしばらく経った時、小日向さんがぽつりと言葉を放った。
「私は決して佐々木君のことを罪人だとは認めません」
「......どうしてですか」
「分かりません」
俺はその返答に耳を疑った。
小日向さんの顔を覗き込んだが、その言葉で俺をからかったり、俺の気持ちをないがしろにしようという魂胆は見て取れなかった。
俺はその言葉からその言葉の意図を読み取ろうとしていた。
小日向さんはむすっとした顔で、少し怒っているようだった。
「だってどんなことを言っても佐々木君はそれに対しての反論を持っているんだから、反論のしようがないように言わないと、自分の考えが伝わらないじゃないですか」
「......それは」
それは俺が小日向さんよりも何倍も多く、俺が悪かったことについて考えたからである。あらゆる角度から見て、俺が悪かった。そう思えるからである。
「私はそんな正論は信じません」
「え?」
「誰が悪いだのどこが悪かっただの言っても、結局佐々木君の考えにはその時の自分の思いとか色々な事が込められていないんです」
「その時の自分の思い?」
小日向さんがコクリと頷く。
しっかりとした頷き方だった。自分の考えにはある種の信念があるということを主張するような頷き方だったと言っても良い。
「例えば、佐々木君が当時のままあの頃に戻ったとして、同じことを繰り返さないと言い切れますか?」
「どう、でしょう?」
「その時、言ったら父親が死んでしまうと分かっていて、止められたと思いますか?」
「分かり、ません」
胸が締め付けられる。
あの時の俺は思いの丈をぶつけただけだった。
あの時の俺に後先のことを考える余裕はなくて、頭に血が上ったままで、その気はなくても「死んじゃえば良いのに」と言えるほどには怒っていたのだ。
もしも今みたいに知能があればもっと賢い選択が出来たかもしれない。
でもあの時の俺が、言ったら父親が死んでしまうと分かっていても自分を制御できたかと言われるとはっきり言って良く分からない。
「佐々木君が今みたいな考え方が出来るのは、過去の全てが佐々木君を作っているからだと思います。もしもあの時その行動をとっていなかったんだとしたら、佐々木君は今みたいなダメチーターじゃなくて本物のダメチーターになっていたと思うんです」
「本物のダメチーター、ですか」
「多分、佐々木君が嫌っているような、自分が良ければ何でも良いというようなダメダメなチーターですよ」
俺は顔を上げた。
どうしてそうなるのかの理由が知りたかった。
「だって佐々木君がそのお父さんともっと長い間暮らしていて、そのまま大きくなったとしたら、多分佐々木君はもっと上手いやり方を見つけていたと思います。それでお父さんをどうにか出来たんだと思います。でも多分、佐々木君がそれを成し遂げられたのだとしたら、そこにいたるまでに佐々木君は人の幸せも考えないような人間になっていたと思うんです。だって仮にも自分の父親ですから。そんな父親をコントロールしてやろうと考えることってとても辛いことだと思うんです」
俺はハッとさせられたようだった。
小日向さんの論拠が正しいかと言われると俺にも分からない。
でも想像がつく気がした。
自分の父親をどうにかして害のない物に改造しようと苦心すれことは、もっと故意的に殺すのと同義ではないかと思った。
俺の考えが何か変わり始めているような気がした。
佐々木君の考え方も分かるんですが、小日向さんの考え方も分かるんですよね。
どちらもが納得するように終わるのでしょうか?