夏の獣達(エルシュオン視点)
「あれ、ミヅキはどこに行ったんだろう?」
定期健診を終えて戻った私は、いつもならば駆け寄って来る存在がないことに首を傾げる。
黒い子猫……ミヅキはゴードンが保護してきた子猫である。元野良のせいか、ミヅキは非常に逞しい性格をしているが、親代わりの私によく懐いてくれていた。
警戒心はそこそこあるようだが、大型犬であるアルやクラウスを恐れることなく友好的な関係を築いている――犬達に構われている、と言った方が正しいだろう――ので、私も、飼い主であるゴードンも、安心して子守りを任せているのだが。
今日に限っては、その犬達も居なかった。ワクチン接種のためなので、こればかりは仕方がないことだろう。
「脱走を試みた様子もないようですが」
私同様に首を傾げたアルが辺りを見回し、黒い子猫を探す。アルにしてもミヅキの歓迎――遊び相手と認識しているらしく、アルを見ると飛び掛かってくることがある――がないことが寂しいらしく、どことなく残念そうだ。
そんな友の姿に、私は生温かい気持ちになった。
アル……君、すっかりミヅキがお気に入り(意訳)なんだね。
この大型犬、子猫が可愛くて仕方がないのだ。ころりと転がった腹をベッド代わりにされるのは勿論のこと、それなりに衝撃があるはずの突進をされても、機嫌良さげに尻尾を振っている始末。
何せ、甘噛みと言えど、ミヅキに耳を齧られていても嬉しそうにしているのだ。それに加えて、ミヅキを咎めて引き剥がしたゴードンに恨めしげな目を向けるのだから、救いようがないと思う。
ゴードンも当初、何故、アルが怒っているのか判らなかったようだしね。その理由に気付いたのは、アルが邪魔をするなとばかりに、ゴードンに抱えられた子猫を取り返そうとしたからだ。
ゴードンの目が、何とも言えない感情を宿したのは言うまでもない。
子猫に虐げられて喜ぶ大型犬なんて、いくら獣医でも見慣れるはずはない。
しかも、その大型犬は自分の家の子なのだ……これまで『賢くて大人しい、手のかからない良い子』という評価だったこともあり、完全に予想外の一面だったのだろう。
アルの特殊な性癖が露見した瞬間だった。『子守り犬……いや、子猫に虐げられて喜んでいるのか……?』と呟いたゴードンは悪くない。
私から見ても、それが犬にとっての普通とは思えなかったのだから。そもそも、親代わりである私からすれば、噛み付くなど説教すべき事態だ。他所の子に迷惑をかけないためにも、しっかりとした躾は必要なのだから。
アルの態度にゴードン共々ドン引きし、慌ててミヅキを腹の下に匿ったのは余談である。いくら家族同然に育った存在といえども、ミヅキの教育に宜しくないならば遠ざけるのが当然だ。
まあ……その後、アルに激しく抗議されたのだが。
結局、話し合いを経て『後々、困ったことになりそうな癖は付けない』ということで妥協した。呆れたクラウスが私の味方になってくれたことも大きい。
その後も、ミヅキは相変わらず奔放だ。こればかりはある程度の期間を野良として生活してきたので、仕方がないのかもしれなかった。
「おい、居たぞ。窓際のサイドボードの上だ。昼寝してる」
クラウスの声にそちらを向けば、カーテンに隠れるように眠っている子猫の姿が。
「ああ、お気に入りの場所でお昼寝していたんですね。ぐっすり寝込んでいるから、私達が帰って来たことに気付かなかったんでしょう」
「カーテンに隠れていたから見つからなかったのか」
安堵の声を漏らすアルに同意しつつ、サイドボードの上に飛び乗る。それでもミヅキは起きる様子を見せず、夏の日差しを受けて黒い毛並みが輝いていた。
……。
何となく、無視されているようで寂しい。
「ほら、ミヅキ。そろそろ起き……っ!?」
揺り起こそうとして、速攻で前足を引っ込める。思わず、びくりと体を跳ねさせてしまったのも仕方がないだろう。
アル達からもそんな私の様子が見えていたのか、訝しげにしながらこちらへ近寄って来る。だが、私にはそれを気にする余裕なんてない。
熱かった。ミヅキの体、とっても熱かった……!
実際に熱かったのは毛皮の表面部分なので、半長毛のようなミヅキの体温自体はそこまで上がっていないのかもしれない。だが、それにしてもこれは少々、問題だろう。肉球に感じた熱は、思わず前足を引っ込めてしまうくらいのものだったのだから。
「ああ、ミヅキの毛は黒いからな。熱を吸収する色、だったか?」
「いやいや、クラウス!? 君、自分も黒いからって、呑気に言ってる場合じゃないからね!? すでに成体の君はともかく、子猫だよ!?」
「そうは言っても、猫はお気に入りの場所で眠ることを優先する傾向にあるように思いますが……」
「そうだな。散歩の最中に見掛ける猫達とて、強い日差しを物ともせず寝転がっているぞ?」
「それ、日陰くらいしか涼しい場所がないだけじゃないかい!? 今は家猫だからね!?」
犬達にとっては珍しい光景ではないのかもしれないが、私からすれば見過ごせる事態ではない。私自身が長毛種ということもあり、室温は常に快適な温度に保たれているので、今のミヅキのようになること自体がないのだ。
「起きなさい! ほら、場所を移動したら寝てていいから!」
「ん〜?」
慌てて体を揺すれば、ミヅキはぼんやりと目を開け。
「あ〜、親猫様だぁ、お帰りなさい」
嬉しそうに、へにゃりと笑った。多分、まだ寝ぼけている。
それでも、帰って来たのを喜ばれるのは悪い気はしない。先ほど感じた淋しさが消えていく。
「ただいま、ミヅキ。ここは暑いだろう? もっと涼しい所に行こう?」
「ん〜……」
私の言葉に、ミヅキは寝ぼけたまま首を傾げ。
「ぬくぬくだね〜……。……。……お休み」
再び、寝た。ちょ、この子は……!
「ぬくぬくどころじゃないから! ほら、起きなさい!」
「……すぅ」
余程眠いのか、完全に寝入ってしまうミヅキ。そんな姿に、私は起こすことを諦め、強行手段に出ることにした。
「まったく……! 世話の焼ける子だ」
首の後ろを銜え、サイドボードを飛び降りる。そのまま空調の風が来る場所まで来ると、ミヅキを降ろして一息吐いた。
そんな私の下へとやって来るのは、二頭の大型犬達。達成感のままに安堵の息を吐くが、クラウスから予想外の言葉が発せられる。
「室温はお前やアル用に調整されているから、寒かったんじゃないか?」
「え゛」
「元野良ですから、人工的な風というか、冷房が苦手なのかもしれませんね。馴染みがないですし、それもあってあの場所に居たのかもしれません」
……確かに、二頭の言い分は一理ある。野良には空調なんて無縁だろうから、苦手でも不思議はない。肌寒さを感じたとしても、一匹だけ残された室内では私達に寄り添って調整することもできなかっただろう。
「……」
無言でミヅキの傍に伏せて、尻尾で小さな体を包む。……無意識に尻尾に抱き付くあたり、やはり多少は寒いのかもしれない。
そんな私達を見ていたアル達も顔を見合わせると、私達を囲むような位置に伏せた。まるで、私達へと必要以上の風が来るのを防ぐよう……今日はここで昼寝を決め込むつもりらしい。
二頭の存在と、尻尾に感じる小さな気配を感じつつ、私も一つ欠伸を漏らす。徐々に襲って来る睡魔に身を委ねながら、私は無意識に小さな塊を抱き込んだ。
その後、人の気配に目を覚ますと、私達の姿を真剣な表情で記録媒体に収めるゴードンの姿が。思わず、顔を顰めてしまうのも仕方がないことだろう。
ウザイよ、飼い主。ミヅキを起こしたら、怒るからね?
親猫、順調に過保護を発揮中。